第2話『観測者の牢獄』

 頭を突き刺すような痛みが引いた後も、僕の記憶は混乱の渦中にあった。御堂カナの存在を肯定する僕の心と、それを否定する「上書きされた」記憶。どちらが真実なのか、僕にはもう判別できなかった。ただ、データ端末に残されたカナの遺言だけが、僕の唯一の確かな錨だった。


 僕は、廃墟と化した図書館へと向かった。かつてカナとよく訪れた場所だ。埃を被った棚には、朽ちかけた紙の書籍が並び、デジタル化された情報が主流のこの時代では、まるで遺物のように感じられた。しかし、その中には、この世界の真実を記したものが隠されているかもしれない。

 奥まった書架の片隅で、僕は一冊の古びた学術書を見つけた。タイトルは『観測と存在の相関性について』。ページをめくると、そこに記されていたのは、僕が今いる世界の根幹を揺るがす、あまりにも恐ろしい真実だった。


 「世界は、人間の“観測”に依存して形成されている」

 その一文が、僕の脳裏に深く刻まれた。僕たちが認識する現実とは、個々の意識が観測することで初めて実体を持つ、流動的なものだというのだ。そして、2038年に発生した“終末時間干渉災害(エンドロール・プロトコル)”は、その観測の仕組みを歪め、歴史そのものを変質させていた。


 さらに読み進めると、「記憶編集者」という存在が記されていた。彼らは、歪んだ歴史を「修正」するため、人々の意識、つまり「観測」を操作する者たち。僕の記憶が上書きされたのも、カナの存在が消されたのも、すべて彼らの仕業だったのだ。

 彼らの目的は、世界の安定。カナの存在が、何らかの形で世界の安定を脅かす「バグ」だったから、彼女を“いなかったこと”にしようとした。


 「君だけは、この世界を忘れないで」。

 カナの遺言の真の意味が、少しずつ見えてきた。彼女は、自分が消されることを知っていた。そして、僕だけが、彼女の存在を記憶し続ける「観測者」として、この世界に残されたのだ。なぜ僕だけが? なぜ彼女は、僕にその役割を託したのか?


 図書館の窓から差し込む鉛色の光が、僕の顔を蒼白に照らす。僕が信じてきた世界は、誰かの都合の良いように書き換えられた、虚構の産物だった。僕の記憶は、僕自身のものではなかった。この「正しさ」は、誰かの手によって作られた、危ういバランスの上に成り立っていたのだ。


 僕は、カナの遺言がなぜ自分にだけ残されたのか、そして記憶編集者たちの目的を探る中で、世界の「正しさ」が、いかに危ういバランスの上に成り立っているかを痛感する。彼らが「正しい」と信じる修正は、僕にとっての「愛」を奪う行為だ。

 僕は、この「観測者の牢獄」から、カナを取り戻す方法を探さなければならない。たとえそれが、世界の「正しい」秩序を破壊する行為であったとしても。僕の心の中には、カナの笑顔が、鮮やかに焼き付いていた。それが、僕がこの世界で唯一信じられる、真実だった。

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