君が死んだ世界で、僕だけが生きている

@ruka-yoiyami

第1話『存在しない遺言』

——彼女が死んだ世界で、僕は目を覚ました。


 都市は静まり返っていた。鳥の鳴き声も、車のエンジン音も、人の気配もない。代わりに聞こえるのは、風がビルの隙間を抜ける音だけだった。それはまるで、僕の名前を、あるいは僕自身の存在を、忘れていった誰かの声のように、空虚に響く。ここは“世界の終わり”だと、誰が決めたのだろう。誰も決めていないのに、すべては“終わって”いた。


 神代ユウ。十七歳。記録によれば、三日前に死んだことになっている——爆発事故によって。だが今、僕はこうして“生きている”。一人だけ。この世界で、僕だけが。


 そして——。


 『君だけは、この世界を忘れないで』


 古びたデータ端末から、音声記録が再生される。ノイズ混じりのその声は、僕の記憶に深く刻まれた、あの少女の声だった。御堂カナ。だがその名前は、国家記録にも、SNSログにも、DNAデータバンクにも、一切存在しなかった。まるで、最初から「いなかった」ように。


 僕は端末を握りしめた。手のひらに、冷たい金属の感触が残る。この端末だけが、カナが確かに存在したという唯一の証拠だった。だが、なぜ彼女は「死んだ」と言ったのか? そして、なぜ僕だけが、この世界に取り残されたのか?


 空は鉛色に淀み、崩れかけたビル群が、まるで巨大な墓標のようにそびえ立っていた。アスファルトにはひびが入り、雑草がそこかしこから顔を出す。文明の残滓が、静かに朽ちていく。僕は、この異常な静寂の中で、自分の心臓の鼓動だけが、やけに大きく響くのを感じた。それは、生きていることの証であり、同時に、この世界でたった一人であることの、絶望的な孤独を突きつけていた。


 僕は歩き出した。どこへ行くべきか、何をすべきか、皆目見当もつかない。ただ、カナの声が、僕を突き動かす。彼女の遺言が、僕の唯一の道標だった。

 『君だけは、この世界を忘れないで』。この言葉の真の意味は何だろう。僕は、何を忘れてはいけないのか。


 その時、突然、頭の中に鋭い痛みが走った。視界が歪み、世界がねじれるような感覚。まるで、僕の脳内で何かが書き換えられているかのようだった。

 「御堂カナなど、最初から存在しなかった」。

 声が聞こえる。僕自身の内側から響く、しかし、僕のものではない声。それは、僕の記憶を否定し、カナの存在を消し去ろうとする、冷徹な響きだった。


 僕は膝から崩れ落ちた。頭を抱え、痛みに耐える。記憶が、現実を裏切る。カナがいたという確かな記憶と、彼女が存在しないという、今この瞬間に上書きされようとしている「真実」。どちらが本当なのだ?

 混乱と恐怖が、僕の心を支配する。この世界は、僕の記憶すらも操ろうとしているのか。


 だが、たった一つの“愛”だけは、嘘をつかなかった。

 カナと過ごした日々。彼女の笑顔。触れた手の温もり。そのすべてが、僕の脳裏に鮮明に蘇る。それは、どんな力をもってしても消し去ることのできない、確固たる真実だった。

 「カナ、君は本当に、いたんだよな?」

 ——誰にともなく、僕はそう問いかけた。

 返事はない。しかし、僕の心の中には、彼女の存在が、確かに息づいていた。この世界がどれほど僕を欺こうとも、この記憶だけは、誰にも奪わせない。

 僕は立ち上がった。痛む頭を押さえながら、僕は決意する。カナがいたという真実を、この世界に証明する。それが、僕に課せられた、唯一の使命なのだと。

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