第3話『愛が殺意に変わるとき』

「あなたになろうとした、わたし」は、私の目の前で、あの日の真実を紡ぎ始めた。それは、倫理都市の完璧な壁を打ち砕く、あまりにも残酷で、しかし、深く愛に満ちた物語だった。

「あの夜、律はあなたを『殺した』んじゃない。倫理値という名の檻から、あなたを解放したのよ」

 彼女の言葉に、私の頭の中で散らばっていた記憶の断片が、ゆっくりと繋がり始める。薄暗い部屋、律の腕、そしてあの鋭い痛みと、同時に訪れた得体の知れない安堵。それは死の恐怖ではなく、むしろ、長らく私を縛っていた何かが解き放たれるような感覚だった。


 律は、倫理値システムが感情を抑制する「制御装置」であることを知っていた。彼は、倫理値9.98という完璧な数値を持つ私が、その鎖に囚われ、真の感情を失っていくことに耐えられなかったのだ。倫理値の低い“死刑区”で、彼は私とは正反対の「感情の塊」として生きていた。だからこそ、彼は私の「完璧さ」が、どれほど不自由で、どれほど空虚なものであるかを知っていたのだ。

 彼の「殺意」は、私を倫理値の呪縛から解放し、真の「生」を与えるための、究極の「愛」の表現だった。


 「あなたになろうとした、わたし」は、私の「死」が、倫理都市の暗部で行われていたある種の実験の結果であることを示唆した。律は、私を倫理値のシステムから切り離すために、禁断の技術を用いた。その結果、私の肉体は「死んだ」と認識され、私自身は、倫理値に縛られない「もう一人の私」として再構築されたのだと。

「あなたは一度、死んだの。そして、私として、この世界に生まれた」

 彼女の言葉は、私の存在そのものを揺るがした。私は、模範市民のミナトとして生きてきたはずなのに、そのすべてが偽りだったというのか。


 倫理都市の完璧な秩序の裏には、感情を管理し、人間を「正しい」型に嵌め込むための、おぞましい実験が隠されていた。律は、その真実を知り、私を救うために、自らの命を犠牲にしたのだ。

 彼の死刑は、倫理委員会が隠蔽したかった真実を覆い隠すための、見せかけの裁きだった。


 私は、律の「殺意」が、どれほどの愛に満ちていたのかを理解し始めた。それは、倫理値社会では決して許されない、狂おしいほどの、しかし純粋な愛だった。

 しかし、その愛が、私を「もう一人の私」として生み出し、倫理都市の暗部を暴き出すことになるとは、彼も予想していなかっただろう。

 私の心の中で、倫理値という名の鎖が、音を立てて砕け散る。

 私は、律が愛した「私」として、この世界の真実と向き合う覚悟を決めた。

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