<12・守護。>

 エリカはそれなりに体力も体格もある方だが、それでも湯子を一回の保健室まで一人で運ぶのは大変だろう。ならばここは、力持ちな自分の出番だとゆいなは思ったのである。

 同時に、この状況でエリカを、気絶して動けない湯子と二人だけにするのが心配だったのもある。相手が怪異ならどこまで対応できるかわからないが、少なくとも普通の暴漢くらいなら倒せる自信があるゆいなだ。いないよりはましだろう。

 先生も悩んだ様子だったが、エリカも強く希望したということもあって最終的にはOKを出してくれた。そんなわけで、ゆいなは湯子をおんぶすると、保健室へと足を運んだのである。


「……ごめんな、白樺さん」


 エリカは心底申し訳なさそうに言った。


「あたしらのために、こんな……。あんただって、教室でみんなと一緒にいた方が安心だったろうに」

「気にしなくていいよ。それに、私もその……灰田さんの言動はどうかと思ってたし。一緒にいたくないって気持ちもあったでしょ?」

「まあな……」


 保健室には案の定、養護教諭の先生はいなかった。とりあえず奥のベッドのカーテンを開けると、上履きを脱がせて湯子を横にさせることにする。椅子を引っ張り出してきてエリカにも座って貰った。――湯子ほど露骨ではないが、明らかにエリカも疲れた顔をしていたからだ。

 ついでにゆいなも、パイプ椅子に座らせて貰うことにする。なんとなく、エリカは話を聴いてもらいたいんじゃないかと思ったからだ。


「……湯子ってさ」


 姉御肌でボーイッシュな少女は、ぽつりと呟くように言った。


「昔から大人しくて、いじめられっ子で。あたし、小学校の時から湯子とずっと一緒にいたんだけど……なんていうか、ほっとけなくてさ。この子、従妹の子に似てるっていうか」

「従妹さん?」

「うん。ちっちゃい頃よく遊んだんだ、年があたしより二個下でさ。なかなか可愛い奴で、あたしのこと“エリカ姉ちゃん”“エリカ姉ちゃん”って慕ってくれて。結構面倒見てた。ちっちゃなころは、住んでたのが近所で……あたし、小学校の途中でこの町に引っ越してきたんだ。親父が、この町のはずれの工場に勤務することになったからなんだけど」

「あ、なるほど」


 この町は過疎化が進んでいると言われているが、稀に外から引っ越してくる人もいる。

 特に、数年前に町外れに大きな工場ができてから、その関係者と家族が引っ越してくるケースがぽつぽつと発生するようになったのだった。あまりエリカと話したことはなかったが、彼女もそのパターンだったということだろう。


「この町も田舎だけど、前に住んでたとこは……町どころか村ーってかんじでもっとド田舎で。あの子……名前、ミサキっていうんだけど。ミサキはあたしと家族が引っ越すと聞いた時、めっちゃくちゃ泣いて引き留めてきたんだよな。行かないで、一緒にいてって。でも、親の転勤での引っ越しじゃ、子供のあたしにはどうしようもないじゃん?」


 それでさ、とエリカ。


「ごめんって謝って、引っ越して。……それからすぐの事だったんだよ。ミサキ、川に落ちて……意識不明の重体になった」

「え」

「事故か自殺かはっきりしないんだって。ただ、あたしがいなくなってから、いじめが酷くなったみたいだ。あたし、そこまでいじめっ子たちが過激だと思ってなかったんだよ。……ミサキが自分で死のうと思って飛び込んだのか。それとも、命令されて川に橋の欄干に登って落ちちゃったのか。いずれにせよ確かなのは……あたしがいじめを止させてから引っ越してたら、そんなことにならなかったってこと。あたし、ミサキを守れなかったんだ。あたしのせいだ」

「ちょ、待ってよ虹村さん!それは違うって。だって、虹村さん確か……小学校四年生くらいでここに来たでしょ?三年生とかそこらの子供に、出来ることなんて限られてるってば……!」


 いじめから従妹を守っていた、それで充分凄いことではないか。

 引っ越しだってエリカの意思ではない。子供にはどうしようもなかったことだろうに。


「わかってる。あたしも、過剰に自分を責めるのはかえって傲慢なだけだってことくらい。実際、そうなるってわかっていたところで、他に何ができたかなんてわからないし。……それでも事実として、ミサキは今でも意識不明で昏睡状態。何年も、病院で眠り続けてるのは確かなんだ」


 だからさ、と続ける少女。


「湯子、なんだかミサキに似ててほっとけないんだ。臆病なところ、大人しいところ……でもすごく、すごく優しいところ。だから今度は守ってやりたいんだ。同い年なのに、なんかお姉ちゃんみたいな気分になっててさ」

「虹村さん……」

「まあそんなわけだから。やっぱりあたし、灰田さんのことは許せねえんだよ。別にオカルト信じてたっていい。実際、言ってることは間違ってないのかもしれない。本当にニコさんっていう悪霊とか邪神とかがいて、あたしらを殺そうとしているのかもしれない。でも……だからって、それをわざわざ口にするかどうかは選べるじゃん?怖がってる女の子がいるところで、自重するかしないかは選べる。言いたいことはわかるだろ」

「……うん」


 SNSと一緒だ。

 例えば、とある芸能人に大麻疑惑がかかったとしよう。まだ疑惑の段階、真実かどうかははっきりしていない。で、自分が普段からその芸能人に良い感情を持っていなかったとする。

 ほれ見たことか、あいつはやっぱり犯罪者だった、クソ野郎だったんだ――と。そう思うまでは自由だ。心は誰にも支配されるべきではない。思想は、どれほど悪の感情だったとしても命令されたり、左右されるべきではないだろう。他人に影響を受けたとて、最終的に心を変えられるのは自分だけであるべきなのだから。

 しかしだからといって、人は選ぶことができるはずなのだ。

 その悪感情を自分の心の中で留めるのか。

 それとも鍵アカウントだけで呟くのか。

 あるいは――本人のSNSに直接「大麻やってたに決まってる!やっぱりお前はクソだった!ムショにぶちこまれて二度と出てくるな!」と罵倒するかどうかは。

 何を信じても、何を願っても、何を考えても、何を喜び何に怒っても。

 それを口にするか、誰かにぶつけるか。人はそれを選べるだけの理性を持っているはずだし、そうあるべきなのである。なのに灰田美冬はそうしなかった。エリカが一番怒っているのはそこだろう。


「あたしも人のこと言えない、そういうことを言っちまったのは自覚してる。でも……先に殴りかかってきたのはあっちだって、その感情がどうしても拭えない」


 エリカは呻くように言う。


「実際、ニコさんとやらが本当にいるとして。そのニコさんに選ばれた人間とやらがマジでいるとして。……それがあいつでない保証がどこにある?ニコさんの降臨を誰より喜んでんのはあいつじゃん。そして、ニコさんとやらの力を見せつけて人を殺せば、あいつの自己顕示欲は満たされる。自分が正しいってことを大々的に証明できるわけだから、さぞかし気持ちいいだろうよ」

「うん……わかる、けど」

「みんなで一緒にいたところで、ニコさんとやらの力を止められないなら意味がない。灰田美冬がニコさんの力の源であれ、狂信者であれ、あの女と一緒にいるのが一番危険だとあたしは思う。実際、ニコさんとやらはもうすでに……真梨衣を殺してる。それは、紛れもない事実なんだから」


 何も、言えなくなった。

 実際、ゆいなもまだ混乱しているのだ。真梨衣とは、ものすごく親しかったわけではない。それでも何度かは一緒に遊んだし、もちろんお喋りをしたことだってある。

 食いしん坊で、こっそり早弁したりお菓子を持ち込んで食べたりなんてこともしてしまうが、実際はユーモアがあってみんなに好かれるタイプの少女だった。マイペースだけれど、だからこそいつも落ち着いていて、彼女のおかげで回避できたトラブルもいくつもある。

 目立つ存在ではなかったが、クラスの中でも緩衝材のような存在だったのは間違いない。

 今回の事件だってそう。彼女はニコさんのメッセージを見ても、さほど怖がっている様子はなかった。むしろおばけが出た、と喜んでいたくらいである。

 生きていてくれたら、その明るさでみんなの緊張を和らげてくれたかもしれない。


――ほんとに。


 じわ、と今更になって涙が滲みそうになる。


――ほんとに死んじゃったんだ、真梨衣ちゃん。


 信じられない。あのお腹がへこんだ、あり得ない死体を確かに見たはずだったというのに。

 まだ現実感がない。というより、受け入れられずにいると言うべきだろうか。


「……話、聴いてくれてありがとう」


 ふう、と一つ息を吐いて笑うエリカ。


「白樺さんに聞いてもらって、ちょっとだけ元気出たわ。やっぱ、仲間に相談するって大事なんだね。ありがと」

「私、何もしてないよ?でも……話くらいならいつでも聞けるし、相談したいことがあったらいつでもいいよ。それで、ちょっとでも助けになるんならさ」

「はは、そういうのがあるから、湯子もあんたに憧れてたんだろうなあ。あんまり、白樺さんは湯子と喋ったことないだろうけど、でも……湯子は、あんたのこと結構好きだったみたいだよ」

「そ、そうなの?」

「うん、そうそう。正義感強くて、喧嘩も強くて、ヒーローみたいだって。いいよね、女の子のヒーローがいても。かっこいいじゃん」


 そう言われて、悪い気はしない。そうかな、とゆいなは頬をかりかりと掻いた。


「あたし、もうしばらく湯子の傍にいるよ。鍵かけて、この部屋に閉じこもってる。悪いけどやっぱ。灰田さんのところにいたくないし……湯子を一人にしておけないし。白樺さんは先戻ってて」

「え、でも……」

「大丈夫。あたしだって……湯子一人くらい、守れるさ。そうしたいんだ。できるって……信じたいんだ」


 言いたいことは、わかるような気がした。少し不安だったが、ゆいなはわかったよ、と頷く。

 そろそろ教室のメンバーが心配だった、というのも事実だ。また沙穂と美冬で喧嘩でもしていなければいいのだが。


「その、LINEのアカウントさ、教えて貰ってもいい?もしくはメアドとか電話番号でもいいけど」


 ポケットに入れっぱなしのスマホを取り出し、ゆいなは言った。


「何かあったら連絡してよ。助けに来るから」

「……マジでいいやつじゃん、あんた」


 エリカは笑って、同じくスマホを取り出した。


「じゃあ、あんたに何かあったら、あたしもあんたを助けに行くよ。それでオアイコってことにしようぜ。いいだろ?」

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