<11・死者。>
そして、物語は冒頭へ戻る。
「あ、あああ、あ……」
掠れたような声を漏らすのは誰か。自分か、他の誰かか、それとも生きている全員か。
「ま、真梨衣、ちゃ……」
彼女はさながら、意図が切れた操り人形のようにその場に倒れていた。
その瞳はまるで、ガラス玉のようにぽっかりと宙を見ている。
生前はくるくると表情を変えていた顔。様々な言葉を話した唇。全てが冷たく、凍り付いたように固まってしまっていた。
青紫色の染まった唇の端から僅かに垂れるのは、一筋の赤。僅かに泡立ったそれが廊下まで流れているのを、ゆいなは黙って見つめることしかできなかった。
死んでいる。
彼女がそこで、死んでいる。
「なんで」
喉から漏れるのは、掠れた声のみ。
「なんで、こんなことに、なってんの……?」
階段の下で倒れている彼女は、自分達の大切なクラスメートに間違いなかった。位置が位置であるだけに、これだけ見れば彼女が階段から落ちてしまったようにも見えるかもしれない。仰向けで、首が少し曲がっていて、いかにもそれらしく見えるだろう。
それでも多分。この場にいる全員が思っていたはずだ。これは、ただの事故などではない。だって階段から落ちたにしては、その体はあまりにもおかしい。
だってそうだろう。
「ない」
後ろから声が聞こえた。
「ない、ない、ない……ないわ。ないないない、ない、ない、ない……」
ゆいなが振り返ると、そこにはおさげ髪に眼鏡のクラスメートが立っている。美冬は引きつった声を挙げながら肩を震わせていた。その表情は引きつり笑いだったが、その笑いが恐怖から来るものか、あるいは喜悦によるものかは判別がつかなかった。それでもだ。
ただ笑っている。
死体を見て、けらけらと掠れた声で笑っている、異常。
「ないわ。なくなってる」
ただ、彼女が何を“無い”と指摘しているのかは明らかだった。
「内臓が、なくなってる」
その言葉で、改めてゆいなは真梨衣の遺体を見た。
倒れている少女は、お腹が異様なほどべっこりとへこんでいる。さながら、腸をごっそり何かに食われたかのように。
おかしなことだ。口元以外から血が流れている様子はないのに。ひょっとしたらそのお尻の下も血で汚れているのかもしれない。この角度からではよくわからなかった。
なんにせよ、人間の内臓を、お腹を切らずに吸い上げることなんか人の手でできるはずもないのに。
否。
それができる存在を、自分達はただ一つだけ知っているのだ。
「ない、ない、ない、ふひひひひひひひ、あはははははははははは、ははははははははははははははははははははははははは、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
おさげの少女は、狂ったように笑う、嗤う、哂う。
「ニコさんの呪いよ!!」
遠くで、天罰のように雷が――鳴った。
刹那、絶叫とともに湯子が頭を抱えて蹲る。
「いやあああああああああああああああああああああああああ!もういや、いや、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「ちょ、湯子、落ち着いて!」
慌ててエリカがしゃがみこんで背中を支えるものの、湯子は頭をブンブンと横に振りながら喚き続けるばかりだった。
「いやいやいや!助けて、お願い助けて!なんもしてない、悪いことなんかなんもしてない!お願い、に、ニコ様助けて、死にたくない、死にたくないの、お願い、お願い、お願い!わ、悪いこと、知らないうちに悪いことしてたっていうなら謝ります、だから、だから、だからああああああああああああああああああああああ!」
「ゆ、湯子っ」
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」
さながら、壊れた機会のようにごめんなさいを繰り返す少女。異様な光景だった。まるでそれに重なるように、美冬が笑い続けているから尚更。
「うふふふふ、謝っても意味なんかないってば。もう始まっちゃったんだもの」
湯子が怯えているのがそんなに面白いのか、彼女は配慮も遠慮もまったくするつもりがないらしい。
「そもそも、ニコ様はもはやシステムのようなもの。わたし達そのものを恨んでどうこうしているわけでもないのに、謝りようなんかないわ。説得でもできれば話は別でしょうけど、そのための情報だって貴女たちにはどうせ集められないでしょ?だったらもう大人しくお祈りして、一秒でも長く生きられるように頼み込んだ方が建設的よね」
「おい、いい加減にしろよお前!」
さすがにこれはまずいと思ったのか、瞬が声を荒げる。
「人が死んだんだぞ。それを見て怖がっている子もいるのに、死んだ人を悲しむこともせず、怯えている子を傷つけるような言い方するってのはどうなんだよ!お前がニコさんとやらを信じるのは勝手だけどな、人に迷惑かけんじゃねえよ!」
彼もなんだかんだいって正義感が強いタイプだ。自分より先に沙穂がキレていたから静観していただけで、本当は腹に据えかねていたのだろう。
その隣で、沙穂も美冬を睨みつけている。それなのに、美冬はまったく動じる気配もない。
「わたしにクレームつけられても困るわ。だってすべてはニコさんがやっていることなんだもの。わたしはただ、ニコさんの意思を知ってて、止められないと理解してるから静観しているだけ。まるでわたしが殺したみたいな言いがかりはやめてくれる?」
「……本当かよ」
低く、呻くような声で言ったのは――泣きながらぶつぶつと呟き続ける湯子の背中をさすっていたエリカだ。
「本当は、お前がやってるんじゃないのか、美冬。だってあたし達には、ニコ様なんて存在は見えないんだぜ」
「何が言いたいの?」
「お前には、ニコ様とやらを実演するだけの理由があるってことさ」
じろり、と憎悪にも近い目を美冬に向けるエリカ。
「今まで、お前が霊能力を自慢してきたことはみんな知ってる。お前が言うことが本当か嘘かなんて見えない人間にはわかりっこないから、とりあえず適当に話を合わせておけばいいや、な奴は多かっただろうさ。あたしだってそうだった。誰だって信じたいものを好きに信じる権利があるだろうからな。……でもまあ、お前的には不満だったんだろうさ。気づいてたんだろ?誰一人、お前の言うことを本気にしてないってこと。それじゃ嫌だったんだろ?自分が特別な霊能者に、選ばれた存在になれないから」
だから行動を起こしたんじゃないのか、とエリカは告げる。
「ニコさんを騙って事件を起こせば、それを予言していたお前は一気に特別な存在になれるもんな。承認欲求満たされて満足かよ、え?そのために人を殺して、湯子やあたしらを怖がらせて本当に満足なのかよ、なあオイ、なんか言ったらどうなんだ!」
確かに、筋は通っている。
今まで美冬の言葉を本気で信じる人間はいなかったことだろう。オカルト被れの、ちょっと痛い女の子程度に思っていた人が大半であるはずだ。
ならば、そんな彼女が霊能力者として認められるにはどうすればいいか。――本当に幽霊や神様の仕業に見えるような事件が起きればいい。ありえる結論だった。それが、正しいことなのか、的を射ているのかどうかは別として。
「……これだから凡人は嫌なのよ」
はあ、と美冬は大袈裟にため息をついた。
「見えないから分からないっていうのは仕方ないし、可哀想だとは思うわよ?だからって、自分の無能ぶりを責任転嫁して、わたしにやつあたりするのはやめてくれる?貴女だって見たでしょう、黒板に勝手に文字が書かれていくのを」
「なんかの手品だろ。あたしの席は黒板から離れてたし、トリックを見落としてもおかしくねえ」
「話にならないわね。そのトリックとやらの正体が見破れたわけでもないくせに、信じたくないからって全部手品ってことにするなんて。そんなんだから貴女たちは凡人なのよ。ニコさんに選ばれないのも頷けるわ」
「んだとてめえええええ!」
「ちょ、お、落ち着いてってば虹村さん!」
慌てて止めに入るゆいな。本来自分はむしろ真っ先に突っ込んでいくタイプであるはずなのに、さっきから自分より先にキレてしまう仲間がいるせいで止める側に走る羽目になっている。
何にせよ、エリカは激怒しているし、美冬は煽るのをやめるつもりもないらしい。本気で暴力沙汰になりかねない。
「!」
どさり、と音がした。見れば、さっきまでの泣き声が聞こえなくなっている。湯子がその場に崩れ落ちてしまっていた。どうやら、あまりのショックに泣きながら気絶してしまったらしい。
「いい加減にしなさい!」
ついに、山吹先生が一喝した。
「混乱する気持ちもわかります。でも今は……今はそんな場合じゃないでしょう?木肌さんをこのままにしておくつもりですか?警察が来れるような状況ではない以上、少なくともきちんと手を合わせてあげるくらいするべきでしょう。自分のことばかり考えて、恥ずかしいとは思わないの!?」
「あ……」
まさに、その通りだった。
真っ先に亞音が階段を駆け降りて、真梨衣の傍にしゃがみ込む。そして、もう一度彼女の脈や息を確認すると、静かに首を横に振った。やはり、息がないのは確定らしい。そのまま彼女瞼を閉じさせると、手を合わせる少年。慌てたように同じく怪談を降りて、英、貞、京の三兄弟が同じく手を合わせた。
「……すみませんでした」
エリカが顔を伏せ、謝罪を口にする。美冬は自分の非を認める気がないのか、ふん、と鼻を鳴らして明後日の方を見ていた。それでももう、誰も彼女に突っかかる気はなくなっていた。混乱して、疲弊して、それどころではなかったとも言えるが。
「あの、とりあえず……」
あまりにも重たい空気。まだ、真梨衣が死んでしまったと認められていない自分がいる。ショックより何より、混乱の色が強い。それでもだ。
「その、茶川さんを保健室に連れて行ってあげたいんですけど、駄目、でしょうか?」
ゆいなはおずおずと手を挙げたのだった。保健室の先生はいないだろうが、それでもこのまま廊下や教室の床で寝かせておくよりマシだと思ったがゆえに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます