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 広大な青空の彼方から、朱き色彩が滲み出そうとしていた。山から始まる長き旅路は残り僅かであり、終着点は目前に迫っていた。道なりに進む街道の終端に待ち受けているのは、高く堅牢な外壁に覆われた街。行く手を遮る城塞のような門は、北方から街に通じる唯一の出入口。この先を超えることで、ようやく街に戻ることができる。しかし、本当の意味での終着点に辿り着くことは、決して容易ではない。まさに旅路の最難関ともいえる行程が、この先に待ち構えている。


 街を隔てる境界を前にして、銀髪の半妖は茫然と立ち尽くしていた。仄暗い憂悶に染まる表情は、言葉にならない拒絶感に染まっている。頑なに行動を拒む意志が覗き見えるものの、いつまでも立ち止まっている余裕はなかった。固く奥歯を噛みしめながらも、意を決して視線を持ち上げる。行く手に待ち構えているのは、縁もゆかりもなき苛烈極まりない異邦––––街の体裁を象徴する区画だった。


 街道の終着点を踏み越えると、新市街に到達する。この場所は、街の上層を牛耳る者たちの根城。中層以下の民衆は、立ち入ることさえ忌避する傾向がある。もちろん銀髪の半妖にとっても、何一つとして用のない土地だといえる。しかし、自身が居住する区画に辿り着くためには、この先を横切る必要があった。


 豪華絢爛な新市街を超えた先には、均衡地帯が続いている。そして、その奥に待ち受けているのは、情緒と荒廃が共存する旧市街。街の原点かつ礎、長きに渡り文化や施政を支えた一帯が広がっていた。


 かつての街には、階級制度は存在しなかったはずだ。しかし、今では確固たる階層構造が、当然のように存在している。その事実を容赦なく突き付けるのは、この先に広がる新市街だった。


 豪奢で洗練された新市街に居住できるのは、選ばれた一部の上層階級のみとされている。基本的に新市街を跋扈する者たちは、旧市街に対して良い印象を持っていない。古き時代から続く文化のみならず、その居住者さえもを侮蔑的に扱う傾向さえ見受けられる。新市街に籍を置くことで得られる優越感に自惚れて、愚かしい自画自賛に明け暮れること。それは、ある種の嗜みともいえるだろう。


 更に酷いことではあるが、際限なく肥大した万能感によって、根拠なき差別意識という怪物が生み出されていた。醜悪な極まりない怪物は、街の全てを飲み込むほどの勢いで、絶えず成長と拡大を続けている。特に混血に対する差別的感情は、あまりにも酷いものがある。無傷で新市街を通り抜けることさえも、難しいといえるだろう。


 かつての古き時代には、新市街さえもが存在しなかった。街を隔てる新旧の枠組みさえもなく、脈々と受け継がれた文化を尊重した生活が営まれていた。継承された文化の一つとして、何よりも大切な財産があった。それは、街の根幹を支え続けた広大な農耕地。


 山から流れる清流と、充分な日照に恵まれた豊穰の大地では、多種多様な農産物が栽培されていた。街で消費される食糧の全ては、この地で賄われていたのだ。それだけではなく、実に多様な雇用機会が創出されていた。虚しことに、今ではその全てが跡形もなく失われ、飾り立てられた新市街へと姿を変えていた。


 失われたことは、農業だけではない。ありとあらゆる産業が、容赦なき解体を余儀なくされるのみならず、環境さえも破壊され尽くしてしまった。最たる影響を受けたのは、街を横切るように流れる河川。北方の山々から届けられた清らかな清流は、農耕地への給水のみならず、川魚の生息にも大きく貢献していた。その恵みを受けて、細やかな漁業が営まれていた。


 古くから続いた河川との共生は、もうほとんど見ることができない。秋の終わりの風物詩––––母川回帰性の魚たちの帰郷風景さえもが、失われようとしていた。産卵後に息を引き取った亡骸は、大切に加工されることで、冬の保存食として重宝される。そして、命と引き換えに残された卵は、次の世代の繁栄のために、大切に保護される。それらの活動さえもが、もう長くは続かないといわれている。


 農耕地では豊富な食糧の調達みならず、多種多様な薬草栽培も行われていた。薬仕立てに必要な薬草の類いさえも、全てを容易く取り揃えることできたほどだ。薬草を手に入れるために、わざわざ山に行く必要さえもなかったのだ。潤沢な栽培環境の恩恵もあり、かつては非常に盛んな薬事産業が営まれていた。それらが下火になった現代では、古き時代の隆盛を想像することさえ難しい。


 他にも多種多様な産業が、農耕地の恩恵によって成り立っていた。その影響によって、街は緩やかで安定的な発展に恵まれていた。遠く彼方に過ぎ去った牧歌的時代では、全ての民衆は忙しくとも穏やかに、豊かなる生活を享受していた。


 街の財産とも言われた農耕地は、二十数年ほど前に完全に廃止された。その代わりに造られたのは、上層階級のための洗練された新市街。大規模な都市計画によって、街の産業体形は様変わりした。それ以来のこと、大きな変化の高波が、容赦なく街を攫い尽くした。民衆の生活のみならず、街の運営体制に関しても、かつてとは全く異なった形へと変化していた。


 新市街の中心たる街並みは、街道の終端を隔てる門の奥に広がっている。まず最初に現れるのは、隙間ない石畳が敷き詰められた、真っ直ぐに続く大通り。街の頂点に君臨する盟主––––宰相の名が冠された新市街中央通りは、街一番に栄えた街路ともいえるだろう。


 整然とした幅広い路地の両端には、緻密かつ堅牢な石造りの建物が連なっている。中央通りの終端は、外部からの立入りを拒むように、堅牢な外壁で覆い尽くされていた。その先に続く均衡地帯を抜ると、古き街並みに辿り着く。


 取って付けたような新市街とは、大きく異なる本来の街の姿。古き良き文化と、豊かなる情緒に彩られた古来から続く領域。そして、洗練された新市街に覆い隠された、暗澹とした退廃的区画。その全てを内包する旧市街が、行く手の彼方に待ち受けている。


 新市街と旧市街の中間は、どちらにも属さない均衡地帯たる広場となっている。その中心に聳え立つ建造物は、街で一番背の高い時計台。遠い遥か昔から、時を止めることもなければ、巻き戻すこともなく、正確無比な律動を刻み続けている。街の起点たる旧市街––––かつて存在した農耕地––––そして新たに作り出された新市街––––。その全て歴史の変遷を、天高く聳える時計台は、絶えず見守り続けていた。


 約三十年ほど前に起きた出来事によって、街の姿は大きく変わった。その中心で旗振りに明け暮れたのは、街の頂点に君臨する宰相一派だった。実に不可解なやり口で、地位と権力を奪い取ると、強権的な政策が次々と推し進められていった。社会構造の抜本的改革や、産業体系の刷新、そして際限なく拡大を続ける税制。その際たる一手として知られる事案こそが、新市街の開発だった。長きに渡り街を支えてきた農耕地が、みるみる内に削られて、豪奢な街並みへと姿を変えてゆく。その範囲は年々拡大されてゆき、最終的には農耕地そのものが完全に失われてしまった。


 新市街への居住が許可されているのは、次のいずれかに限られている。施政に携わる特権を持つ公職、伝統的な家柄を有する上層階級、そして執政に深い繋がりを持つ有力者。昨今では街の外の諸地域から、裕福な移住者を呼び寄せている傾向も見受けられる。その侵略的移民は、いつの間にか要職に重用されて、多大なる優遇処置に恵まれる。我が物顔で街を荒しては、身勝手の限りを尽くす様子を見ることは、決して珍しくはない。確固たる権力の集中した新市街は、支配階級のための聖域といっても過言でないだろう。この場所では、古き時代の情緒や道徳が完全に廃れていて、権力こそが全てなのだ。


 極めて洗練された豪奢な街並みは、一切の汚れなど存在しないかのように整っていた。煌びやかな大理石作りの建造物が整然と立ち並び、地面には隙間なく石畳が敷かれている。その印象は、整備追いつかずに荒廃が進む旧市街とは、不釣り合いなほどに大きく異なっていた。絶対的な権力を誇示するように、所々に宰相や高官の一族の紋様が掲げられている。狂気に歪んだ街並みを飾り立てる象徴には、あまりにも醜悪な腐臭が滲み溢れていた。


 旧市街に住まう民衆にとっては、新市街は足を踏み入れるべき場所ではなかった。特に差別対象とされた混血には、難儀どころでは済まない苛烈な責め苦が待ち受けている。それは、もちろん銀髪の半妖も例外ではない。


 揺るぎない事実を噛み締めるように、重い溜息が大気を塗り染める。銀髪の半妖は首元を覆うショールを緩めると、ふわりと頭部を覆い隠した。申し訳程度の変装は、混血たる特徴を秘匿するための悪あがき。黒染のショールで身を隠した状態で、深く俯き身を縮めながらも、街の境界を隔てる門を踏み越える。朱き彩りの前触れに染まる街並みに、虚ろな影が消えてゆく。あまりにも弱々しい姿は、地獄に続く旅路へと向かう霊魂のそのものだった。

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