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山の中腹に広がる野原を抜けると、麓に通じる山道へと辿り着く。ここから先の道筋は、歩き易いように整備されており、道に迷う心配さえもない。先行くほどに坂道の勾配が増してゆき、野山を彩る雰囲気さえもが、徐々に変化を遂げてゆく。自生する草木の印象のみならず、流れる風や降り注ぐ光の質感も、山奥とは異なった様子を見せていた。
登山口から野営地までの道のりは、申し訳程度の整備が行き届いている。遥か昔の時代から、この山はある種の聖域として崇められていた。冬が終わりを迎えるころには、毎年のように参道たる登山道を整備して、山の護神に対する祭祀が行なわれる。その手続きを終えることで、正式な入山が認められることになっていた。
それらの儀式は、つい先日に終わったばかり。山道は丁寧に整えられており、昨秋に見受けられた疲弊の面影さえもが消えていた。急勾配の坂道が続くものの、歩きやすいように安全が確保されている。その左右には、背の高い樹木によって垣根が築かれていた。導きのままに従って進むなら、脇道に迷い込む心配さえもない。
坂道を降りてゆく最中のこと、草木に隠れる獣道が現れた。本道から逸れた道筋は、明らかに目的地とは別の方向へと続いている。どう考えても、立ち入る必要はないだろう。しかし、銀髪の半妖は当然のように進路を変えた。生い茂る草木に身を投じると、獣道へと姿を消していった。
この先には待ち受けているのは、特別な植物の自生地。背の高い草木をかき分けて、足元に注意を払いながらも慎重に進む。やがて、目的地への接近を意味する兆候––––強い清涼感のある香りが伝わってきた。その出所を辿るようにして、更なる奥へと足を踏み入れる。すると、空気を歪ませるような違和感が、じわりじわりと押し寄てくる。
気が付くと、強烈に尖った芳香によって、周囲一帯が塗り潰されていた。毒々しい侵食に飲み込まれると、軽い眩暈や頭痛を始めとした不調和が訪れる。この感覚が意味することは、目的地への到達を示す合図。酷い刺激に蝕まれた視界には、香りの源たる象徴が映し出されていた。それは、刺々しい葉を宿した青緑色の植物。毒気を彩る象徴は、周囲一帯を埋め尽くすように群生していた。
これもまた、ある種の貴重な薬草。鮮度劣化が著しい傾向があるために、帰り際に採取することが習慣となっている。あまりも強烈な香りは、特別な薬効と強い毒性の交錯によって生み出されていた。必要とするものは、もちろん豊かな薬効のみ。抽出された成分は、非常に重宝する材料となる。ある種の薬を仕立てる際には、欠かすことのできない薬草だと言えるだろう。
しかし、強過ぎる毒性が災いして、身近にいるだけで心身に負担が及ぶことになる。銀髪の半妖は毒々しい香気に目を顰めつつも、手早く採集の準備を整える。首に巻いたショールを緩めると、流れる髪をまとめて口元までを覆い尽くす。そして、耐毒性を持つ手袋を身に着けて、両手をしっかりと防護する。気休め程度の簡素な防衛に過ぎないのだが、丸腰で挑むわけにいかないのだ。仮に運が悪ければ、採取の過程で昏睡状態に陥ることもある。土に還って植物の肥料になることは、またの機会にしたいものだ。
この毒々しい薬草は、あまりにも生命力が強いことで有名だった。芽吹く季節は雪の残る晩冬であり、春を迎えた今ではもう膝丈近くまで成長を遂げていた。このまま絶え間なく伸びてゆき、やがて背丈を超えるほどに高さになる。晩秋までは毒々しい葉々が生い茂るものの、雪が降りる時期になると、その役目を終えて朽ち果てる。そして、季節が巡り雪が薄れてゆくころに、次なる世代の新たな新芽が溢れ出す。
まだまだ続く成長を阻害しないように、摘み取る葉々を吟味する。若葉を避けて、成長した葉のみを選び取り、そっとナイフを添え当てる。葉柄を丁寧に切り落とすと、とろりと重たい乳液が滴り落ちてゆく。溢れ滴る液体にこそ、最たる毒性が宿されていた。じわりじわりと気化した毒が、大気に溶けて溢れ出してゆく。
銀髪の半妖は黙々と採集を続けていた。平静を崩すことなき様子だが、ショールに秘匿された瞳には、隠すことのできない歪みが生じていた。徐々に眩暈は酷くなり、蟀谷を貫くような重たい頭痛が押し寄せる。確実な侵食に蝕まれながらも、作業の手が止まることはなかった。
嫌な耳鳴りが押し寄せると、額から一筋の脂汗が流れ落ちてゆく。それは、毒が身体を蝕み始めたことを示す前兆だった。軽い吐き気を覚えると、視界が揺らぎ乱れて崩れてゆく。そして、全身が溶けてしまいそうなほどの、重たい気怠さが増してゆく。仮に純血の人間だとしたら、この程度では済まないだろう。こうして採集に当たるだけで、たちまち昏睡状態に陥ってしまい、命の危機に瀕することになる。しかし、混血であるが故の特徴として、銀髪の半妖は植物毒に対する耐性を有していた。
妖精の血筋によって享受した特性が、こうした形で益をもたらしている。それでも、完全に毒を無効化できるほどの力は、残念なことに持ち合わせていない。ようやく全ての収穫が終わるころには、全身が強い毒に蝕まれていた。収穫物から毒が広がらないように、特殊な袋に丁寧に収めて封をする。そして、成果を分け与えてくれた薬草に感謝を示すように、細やかな祈りを結び瞑目した。ショールに隠された表情は、あまりにも力なくも虚ろげで、今にも朽ち果てそうになっていた。
銀髪の半妖は崩れ落ちそうになりつつも、毒々しい薬草の自生地を後にした。ふらふらと元の道を辿りながら、麓に通じる山道へと向かってゆく。あまりにも虚ろげな佇まいは、墓地を彷徨う亡霊そのものだった。
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