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 金色に染まる泉の印象は、無情にも薄れ消えてようとしていた。元いた世界へと揺り戻すように、朧げに崩れた意識が次々と結い直されてゆく。夢の領域から離れゆく人魚は、目覚めの彼方の極地へと押し流されていた。後戻りできない清流に攫われながらも、やるせない思いを抱き締める。すると、次なる領域への到来を示す合図が告げられた。


 終着点への到達を伝えたのは、瞼を撫でる光の感覚。醒めゆく意識が寄り添うように、ゆっくりと瞳が露にされてゆく。視界に映し出された光景は、夢の最奥とは大きく異なっていた。それでも、決して劣ることなき幻想的な風景が、この場に待ち受けていた。


 淡い光に染まりゆく薄靄の中心で、人魚は虚ろに揺れていた。夢の延長線上とも言えそうな風景を前にすると、思わず新たな続きを期待してしまう。しかし、ここはもう、夢の領域から遠く離れた現実。


 過ぎ去った夢の残滓を懐かしむように、光源を辿る視線が持ち上がる。朧げに擦れた焦点を擽るのは、柔らかな光に照らされた女神の彫刻。後光溢れる姿を前にすると、虚ろな瞳に温かな潤いが滲み出す。人魚は心震わせる波紋の息吹に揺られつつ、夢の奥底で交した思いを手繰り寄せようと試みた。虚しきことに、その願いが叶うことはなく、全ては儚き花のように散り去ってゆく。


 それでも、内に残された確かなる一粒の欠片が、何か大切なことを伝えるかのように、柔らかな光を帯びていた。人魚は大切な宝物たる光源を、そっと抱き締めるようにして、心奥底へと仕舞い込んだ。内に脈打つ欠片から、温かな感覚が溢れている。女神と交したやり取りは、既に実体を失ってはいるものの、その本質だけは決して薄れることはない。どこからともなく不可視の波紋が押し寄せると、女神に対する思いは敬虔な祈りへと姿かたちを変えてゆく。内なる確かな振動が、自然と外側に伝播されてゆき、祈念は音なき歌へと変容を遂げていった。


 念を通じた真情が、余すことなく鍾乳洞を震わせる。その振動に重なり合うようにして、不可視の波紋が虚空に滲み溶けてゆく。内なる欠片が脈打つたびに、新たな波が生み出され、現実と幻想の境界が暈される。音なき祈りの源は、全てを惜しみなく塗り染める光源へと、姿かたちを変えようとしてた。


 燦然と輝く女神の彫刻は、光溢れる湖底洞窟を見守っていた。慈愛溢れる眼差しが向けられた一点には、神々しい光が溢れていた。その中心に位置するのは、音なき歌を奏で続ける人魚だった。


 山間から姿を表した光球によって、うっすらと色付き始める朝の風景には、奥深き朝霧が溢れている。薄金に暈された静謐な湖畔には、音なき慈愛の歌が響き渡っていた。念を通じた不可視の波紋が広がると、この領域に目覚めの息吹が灯されてゆく。歌に宿された夢の残滓の物語は、現実と幻想を繋ぎ合わせるようにして、全てを眩い光に染めてゆく。


 水鏡に映し出された花々は、鏡像の上で寄り添い合っていた。東雲に染まる朝霧の幻影に、現実を彩る香りが滲み出してゆく。それは、花々の思いを宿した芳香。奥深き樹海に濾過された微風によって、溢れる香りは湖畔一帯に余すことなく溶けてゆく。その芳しき囁きは、細やかではあるものの、湖底洞窟にも届けられていた。人魚は何も気付くことなく、ひとり静かに歌い続けていた。


 穏やかな波紋が漂う水面には、朝を迎えたばかりの湖畔風景が映し出されていた。微かな揺らぎを及ぼす細波が、夜の残り香たる幻想を滲ませる。溢れる光を包み込んだ朝霧は、爆発的な光を帯びて解体されてゆく。現実と幻想の両軸を、一つに重ね合わせてゆくように、溢れる光が湖畔を埋め尽くしていた。


 薄霧に染まる湖底洞窟を飾り立てるのは、微風に運ばれた美しき花々の囁き。戯れるように流れ込んだ芳香は、主たる存在に縋り付くように、壁面の輝きを包み込んでいった。ぼんやりと輝く女神の彫刻に、更なる彩りが宿されると、鍾乳石の数々に確かな光が灯される。流れ漂う微風や、立ち込める芳香のみならず、柔らかに溢れる光さえもが、人魚を優しく包み込んでゆく。まるで、異なる領域から届けられた女神の寵愛を、惜しみなく捧げ与えるかのように、全てが優美な輝きに満ち溢れていた。

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