第9話〈完〉

 立ち止まっていてもその日は来る。

 武道館公演当日の朝。


「おはようございます」


「おはようございます。・・・・・・頑張りましょうね」


 気を遣ってくれたのか、それだけ言ってライブの流れ確認が始まった。

 誰かと話していても、どこかうわの空。

 翌日聞いた話によると、あやこさんが買い物のため外出していた間に起こってしまったようだ。

 こうなることを全く予想できなかったのかと言われればそういうわけでもない。

 ただ安心してしまっていた。ここ最近は調子が良いと聞いていて、尚実際に会った時ももう、あの頃のあやめのように無邪気な笑顔で会話をしていた。

 何もできなかった。考えれば考えるほどわからなくなっていく。

 余計な気持ちを紛らわすためを含んだ今日の声出しは、いつも以上に調子が良く感じた。

 開演。イヤモニを付け、約一万人が囲む舞台の上へと顔を上げて私は階段を登った。

 歓声と拍手が渦巻く360度に溢れそうな涙を笑顔で誤魔化した。

 ライブはオープニングのインストゥルメンタル楽曲から一曲目、二曲目と始まっていった。

 シンガロングやコールアンドレスポンスを始めとした、会場が一体感を増していくセットリストで進めていく。

 ライブは、普段抱えてる悩みや悲しみなど、それらの負の感情を少しでも多く忘れられる特別な場所。

 突き上げられた拳やライトが、まるで星空のように一人一人を照らしているこの景色は、二度と忘れることはないだろう。

 軽い雑談のようなMCを交えつつライブは終盤へと向かっていった。


「アンコール!」


 その一言を皮切りに、会場全体はコールに包まれた。

 少しラフな服装に着替え、元気なコールに応えるかのようにアップテンポの曲を二曲、ストリングス隊と演奏する。

 アンコールは全部で二曲。

 直前までそう決めていた。それでも、やらずにはいられなかった。


「皆さん今日は、ライブにお越しくださり、本当にありがとうございました」


 深く深くお辞儀をする。


「私がここまで来れたのは、応援してくれた皆さんがいたからです。あなた達一人一人がいるから、私がここに居ます。これは綺麗事なんかじゃありません。・・・・・・だから誇ってください!」


 伝えたい言葉が感情に乗り、強く前に出た。


「・・・・・・そして ・・・・・・そしてつい最近、私の友人が一人亡くなりました。きっと皆さんも知ってると思います」


 堪えようと我慢していた涙が一つ二つと重力に引っ張られていく。


「彼女との夢がありました。それは・・・・・・この場所に二人で立つことでした。でもその夢はもう叶うことはありません」


 一万人の沈黙が私の言葉を待っている。


「それでも、それでも明日は来ます。希望に魅せた絶望的な、そんな明日が」


 思うようにいかないことが殆どかもしれない。

 でも今、ここに立っているこのキセキを私は信じれる。


「・・・・・・だけど私は信じてる!明日は笑えるって!

必ず春は来るって・・・・・・!だから・・・・・・」


『ハルー!』


 観客からの声に背中を押され溢れる涙を振り切って続ける。


「みんなも怖がらず信じて・・・・・・!明日を・・・・・・未来を・・・・・・!」


 消えそうな声が拍手と重なる。


「次が最後の曲です。この曲の歌詞は昔、私と彼女で作っていた歌詞です。いつか一緒に歌おうってそんな夢が詰まった曲です。『あなた』一人一人へ歌います。聞いてください」


『夢の舞台へ』


 ピアノと声だけの弾き語り。

 大きく息を吸い込んだ声に、鍵盤を叩きつける指に、感情が乗っていく。

 見渡す景色に、淋しそうな一つの空席が不意に目に付いた。

 満席の360度にただ一つ。

 どうしてこのタイミングで見つけてしまうのだろう。これでは上手に声が出せないじゃないか・・・・・・

 本当はここにいるはずだったのに・・・・・・

 涙混じりの声をもう、抑えたりはしない。最後の一音まで震えた声と指で私は音楽を奏でた。

 長い長い夢の舞台は幕を閉じた。

________________

 

「ハルちゃーんこれ持って帰ってほしいの」


「これは・・・・・・?」


「これね、あやめが書いてた日記なんだ」


「あやめが?」


「そうなの。仕事が始まった頃から休止した後もずっと日記を書いてたみたいで・・・・・・ この間あやめの机の引き出しに入ってて涙が止まらなくてね・・・・・・」


「私がこれを持って帰ってもいいんですか?」


「うん。その日記の中にはハルちゃんのこともたくさん書いてあるから。読んであげてほしいの」


「・・・・・・わかりました。でも家に帰ってから見ようと思いますね。・・・・・・絶対我慢できませんから」


「うん。ありがとう」


 やわらかな春の風が心地よく髪をなびかせる4月の正午。

 ここは学生時代によく歩いていた通学路。

 こんな日にはおもいっきり体を動かしてみたくもなる。

 

「ねぇあやめ、人はいつか綺麗な星になるの?もしいつか、星になるのだとしたら、今私がいるこの場所は正しい選択だったのかな?・・・・・・まぁそんなこと考えてもわからないんだけどね。でもさ、だからこそ、私たちは歩いていくんだと思うんだ。この正解のない問いの中を。あやめもそう思う?」


 桜の花びらが一枚ひらりと肩に舞い落ちた。


「・・・・・・もう春だね」


 空高く綺麗に咲いている桜の木の下で、小さな一歩を踏み出した。


「・・・・・・あ、あの、もしかして、歌手のハルさんですよね?あ、あの私ハルさんに憧れて歌手を目指しているんですけど・・・・・・ 将来ハルさんみたいに武道館に立てるようになりたくて・・・・・・ って、すいません。急に話しかけて、それに武道館だなんて私にはきっと・・・・・・」


「なれるよ」


「えっ?」


「なれる。必ず。だから大丈夫」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シキを歩む。 ねこねこ @Nekot123123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ