第8話

 緑が生い茂る人通りが少ない14時の駅前。


「ニァー」


 ガードレールの真下で気持ちよさそうに昼寝をしている猫を撫でてからまた歩き始める

 見慣れた風景が、脳を刺激する。記憶がフラッシュバックして、一瞬涙腺を刺激する。

 スーパーや飲食店が程よく並ぶこの道を少し歩けば見えてくる住宅街の中に目的地はある。


『ピンポーン』


 インターホンを鳴らしても反応がない。銀色の冷たいドアノブに手を伸ばした。


「はーい」


 ドアノブを掴む前に手前に押された。


「ただいま」


「あら、おかえり」


 会って早々ハグを交わし、懐かしいリビングに足を進めた。


「ハル、お昼は食べた?」


「まだ食べてないよ」


「テーブルで休んでな」


「はぁい」


 約二十年の記憶は簡単には忘れない。

 見慣れた部屋の中に、見覚えのない観葉植物が二つ置いてある。


「ハルが上京してから、ちょっと寂しくなって、紛らわすために新しい趣味を見つけたの。あと今度猫でも飼おうかしらなんて考えてるのよ」


 幸せそうに話しているのを見ているとこちらも自然と笑顔になる。


「あれ、明日あやめちゃんのとこ行くんでしょ」


「うん。お昼頃行こうかなって」


「たくさん話してきなよ」


「うん。わかってる」


 翌日。昼食を済ませた後、東家に向かった。


「ハルちゃんね、入ってどうぞ」


「お邪魔します」


 あやこさんと少しリビングで話した後、あやめの部屋がある2階へと向かった。


「あやめ?」


「あ、ハル!」


「久しぶり」


「久しぶり!」


 前にこの部屋で会った時と違うのはすぐにわかった。

 私が知っている東あやめだ。


「お仕事忙しくて大変じゃない? 体調とか崩してない?」


「大丈夫だよ。そりゃあちょっと大変ではあるけど楽しいよ」


「それなら良かったぁ。そういえば武道館公演おめでとう!」


「ありがとう。それでその武道館のことなんだけど」


 目を見開いてあやめが覗いてくる。


「・・・・・・ほんとに武道館やっても良いのかなって」


「なーに言ってんの! 良いに決まってるじゃん!もしかして私があの時やらない選択をしたから?」


「・・・・・・うん。それもあるし、あの場所は二人で立とうって・・・・・・」


「良いんだよ。これはハルが頑張ったから、決まったライブなんだよ。だから堂々としていいの。

・・・・・・そしていつか私と行こう武道館まで」


「えっ・・・・・・ 今、『私と』って・・・・・・」


「私ね、ハルの歌を聴いてまた頑張ってみようかなって、・・・・・・少しずつだけどね」


 思わぬ返答に言葉が詰まる。


「嬉しい。またあやめと目指せるんだね・・・・・・」


「なぁに泣いてるの」


 少し悪戯な笑みでそう言うあやめの目も少し潤んでるように見えた。


「それとね、これ」


「えっ? これって・・・・・・」


「武道館公演の招待状チケットだよ」


「私にくれるの?」


「もちろんだよ。あやめには絶対に来てほしいからさ」


「ありがとう! 行くに決まってるじゃん! 私も観客席から盛り上げるよぉ」


 そう言ってオタ芸のような動きをして見せているが、そんな雰囲気のライブではないだろう。


「最後に、これ覚えてる?」


「・・・・・・えっ」


「結構前に見つけてさ、かなりヨレてて見づらいかもだけど」


「もしかして、昔二人で書いてた歌詞・・・・・・だよね?」


「そうだよ、いつだったか遠い昔に書いたやつだね・・・・・・」


「でも、歌詞って全部書けてたっけ?」


「実は、続きを書いたんだよね」


「ハルが? 一人で?」


「うん。ほんとはあやめと一緒に作りたかったんだけど・・・・・・それでこれをちゃんと曲にして武道館で歌いたいんだ・・・・・・いいかな?」


「聴かせてよ」


 拳を前に突き出してくる。


「うん!」


 笑みをこぼしながら同じく拳を突き出した。


「曲のタイトルも決めてるの?」


「タイトルは今から一緒に決めていこう!」


「いつか一緒にこの曲を歌えたら良いねぇ」


「必ず歌おうね」


 そう言って始まった楽曲のタイトル制作は、夕方まで続いた。


「じゃあ日も暮れてきたからそろそろ帰るね」


「うん! またねー!」


 部屋のドアが閉まるまであやめは目を逸らさずに見つめていた。


「ハルちゃんありがとね」


「いえ、こちらこそありがとうございました」


「最近はすごく調子が良いみたいだから、このまま回復してほしいんだ。そしていつかまた・・・・・・」


「大丈夫ですよきっと。私はあやめのこと信じてますから」


 東京に帰ると本格的に武道館公演の準備が始まった。

 SNSやテレビ番組での宣伝やセットリスト、音響機材の打ち合わせなど、長い時間をかけ、緻密に行われていき、開催まで残り一週間を切った。


「今日も疲れたぁ」


 疲れた体を癒してくれるのは、SNSに書き込まれてる応援メッセージ。

 見つめた温かい画面は一瞬変わり、受話器マークが映し出された。


「・・・・・・もしもしお母さん?」


「・・・・・・」


「お、お母さん?」


「・・・・・・ハルちゃんあの、・・・・・・驚かないで聞いてね」


「う、うん」


「・・・・・・」


「どうしたの?」


「あやめちゃんが・・・・・・ あやめちゃんが今朝・・・・・・」


「あやめが? 何かあったの?」


「今朝 ・・・・・・亡くなったって・・・・・・」


「は?」


 今なんて言った? あまりに冗談が過ぎる。

 疲れていた全身が完全に冴えた。


「お母さんも急で信じられなくて・・・・・・」


「冗談はやめてよ・・・・・・」


「冗談じゃないのよ!」


 怒号のような泣き叫びが、より心を刺激した。


「・・・・・・」


「こんな時にごめんね・・・・・・」


「・・・・・・」


「ハル?」


「・・・・・・」


「一旦切るわね・・・・・・」


 何も言葉を返せないまま通話は終わった。

 急すぎる報告に言葉も涙も出てくれない。頭が真っ白なまま、ただ部屋の入隅を見つめていた。

 どうやら今日は眠れそうにないみたいだ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る