第5話
日曜日。あやめに会ってほしいと言われたのは、昨日のこと。
まさかの急展開に、心が少し落ち着かないまま支度をしてあやめの家に向かう。
何年ぶりに東家に行くだろう? そうこう考えてると、道端にいた一匹の小さな猫がこちらを見て、
「ニャー」
と、甘い声で鳴いている。
誘われるように近づいていくと、警戒するように優しかった目が鋭く変わっていく。
猫とも仲良くなれないのか私は。
そういえばこの辺りはあやめとよく一緒に歩いていた。
くだらない話で笑い合った時も喧嘩した時も、恥ずかしげもなく夢を語りあった時も。
回想に浸る時間も自然と終わる。一枚の扉を目の前にして、緊張感が走る。
ゆっくりとインターホンに手を伸ばした。
「はーい」
という声と共に中から姿を現したのは、ブラウン色のショートヘアで少しギャルを感じる女性。あやめの母親だ。
「こんにちは、あやこさん」
「ハルちゃん久しぶりねー。どうぞ上がって!」
言われるがままに中に入り、リビングに置かれた四人用のテーブルに着いた。
「それにしてもいつぶりかしら? 元気にしてた?」
二人分の飲み物をテーブルまで運び、椅子に腰掛けながら尋ねてくる。
「そうですね。ぼちぼち元気にやってます・・・・・・」
なかなかに気まずい・・・・・・。
「小さい頃よく遊んでたのを思い出すわねー。
学校でのグループ活動だったり、年中行事でもいつも一緒でさ、ホント姉妹みたいだったなー」
家族写真が並ぶ中にあるあやめと私の楽しそうな写真を見ながら懐かしそうに微笑んでいる。
たしかに、今考えると姉妹と言えるくらいには共に時間を過ごしていた。
あんなに楽しそうな写真を見ているとなんだか涙を浮かべそうになる。
「懐かしいですね。数えきれないほど色んなことを一緒にしてましたからね。
幼稚園の頃は、運動会のかけっこでいつもあやめが一位になって、私が二位で、それが悔しいとかはなく、ただ楽しかったり・・・・・・。
小学生の頃は、発表会で並んで歌をうたって、あんまり上手くうたえなかったけど、歌そのものの楽しさを知ったり、誰かと何かをする。なんてことの楽しさを感じたりして。
それで中学校の頃は・・・・・・」
「ふふっ」
話を遮るように笑う。
「ごめんごめん、すごく幸せそうな表情だったからつい」
「いや、その・・・・・・ えっと・・・・・・あのっ! あやめはどこに・・・・・・?」
恥ずかしさを隠すように話を逸らした。
「そうね。今日はあやめに会ってほしくてハルちゃんを呼んだの」
柔らかい表情が真剣な表情へと変わる。
グラスについていた水滴がテーブルをただ濡らし続ける。
「ちょっと、ついてきてもらえる?」
「は、はい」
リビングの扉を開けてすぐにある二階へと続く階段を登っていく。L字になっている二階の通路を左に進んでいく。
知っている。何があるのか。壁にかかっているネームプレートはあの頃のまま。
「あやめー。ハルちゃんに来たわよー」
木製ドアを何度ノックしても返事が聞こえてこない。
「開けるわよー」
部屋の中が見えるまでの数秒、強い緊張感が全身を走った。
目に映った光景は何の変哲もない綺麗な部屋。
ベッドの上に座りながら窓の外を眺めてるあやめの姿が、小さい頃遊びに来た日々と重なる。
気を遣うかのように目線で合図をおくってあやこさんは部屋を後にした。
「あやめ・・・・・・。 ひ、久しぶり」
「・・・・・・」
返事が返ってこない。
「あやめ?」
「・・・・・・あ、久しぶりハル」
少し違和感を感じていたが、ようやく振り向いた顔を見てわかった。
「いつ頃から帰ってきてたの?」
「いつだったっけ? んーあんま覚えてないや」
「か、活動休止してからのことわからないけど、いずれまた復帰するんだよね?」
「活動休止? あーなんか、そんなのもあったっけ? ・・・・・・って、そんなことよりもせっかく来てくれたんだからさ、遊ぼうよ!」
「・・・・・・あ、うん」
「あ! そうだ! 昨日のドラマ見た? って久しぶりに会ったのに、急に言われてもって感じだよね? あははは! ごめんごめん!」
そう言いながらあやめはテレビをつけた。
「チッ!」
一瞬映った音楽番組を睨みつけてまた、電源ボタンを押した。
「ごめんごめん! 今の見たかった?」
返事を返す前にあやめはまたテレビをつけた。
テレビに映るのは楽しそうに歌っているアイドルグループ。
「いいなぁいいなぁ! 私もテレビに出て歌ってみたいなぁ」
体を揺らしながら楽しそうにしている表情に比べ、私はずっと動揺していた。
返す暇もないほどに饒舌な彼女は今まで見てきたあやめとは別人に見える。
知らない人から見たらただの元気な女性なのだろうか。
そうこう考えてる間にも一人で話を続けている彼女の、異常な気分の高揚と一度見せた舌打ちに少しも心を掴めずにいた。
「あ、ごめん用事思い出したからそろそろいくね」
「えー、もういくの? わかったぁ、じゃあ、まったねぇ」
満面の笑みで手を振ってくる彼女から逃げるように部屋を後にした。
「あやめどうだった?」
不安そうな顔であやこさんが聞いてくる。
「えっと、なんて言えばいいか・・・・・・。あんまり話せなくて」
「ごめんね。先に説明しようと思ってたんだけど、ありのままで話してほしいなって思ってね。あやめが活動休止をしてからすぐに実家に帰ってきて・・・・・・まぁその前から少しずつ様子がおかしいなってことは気づいてたんだけど・・・・・・一回糸が切れたように無気力になって、何回も医師に診てもらったりして、家で安静にしてたんだけど、ある日急に人が変わったかのように元気になって、と思ったらまた話せなくなるほど気が落ちての繰り返しで・・・・・・ハルちゃんならって勝手に期待してごめんね」
「いえ、私こそ・・・・・・でも私に何かできることがあればいつでも呼んでください」
「うん。ありがとね」
暗い空気のまま東家を後にした。
私が思ったよりも事態は深刻だった。何かできることがあればと言ったが、何も浮かばない。どうすればいいかわからないまま家路を辿った。
________________
カメラが写しているのはピアノと私。約一分半、ピアノの静かな旋律と歌声を記録している。
無意識が今思ってること、感じていること、その全てを何かに残したかったのかもしれない。
家に帰るや否や、この行動をした意味は上手く言葉にできない。きっと淋しかったのかもしれない。
一人では抱え切れない『私』を世間という広大な海に流し込んだ。
時刻は21時。晩御飯とお風呂を済ませ、自室の机で音楽アプリを開いていた。
東あやめと検索して、一曲ずつ再生していく。イヤホンの奥にあやめはいる。どんな曲調も美しく歌い上げているあやめの歌声、そして人柄に救われていたのは私だけじゃない、ファンだってたくさんいたはずなのに、もうあの歌声は聞けないのだろうか。
そっとイヤホンを外し、いつもより早く眠りにつくことにした。明日もいつも通り仕事がある。
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