第3話
12月28日、今年ももうすぐ終わる。
防寒具をしっかり身に付けないと凍えてしまいそうになるほど冬を感じる。天気予報は晴れのち雨。
自宅からの最寄り駅であやめと待ち合わせをした。
「おーい! ハルー!」
先に着いていたあやめの陽気な姿がこちらに向かって手を振っている。
「久しぶり、あやめ」
「久しぶりだねぇ」
「最近どう?」
互いが互いを一番知っていたといっても過言ではなかったのはもうずっと前の話。
いまはきっともう知らないことばかり、特にあやめはもうテレビに出演するほどの有名人。どんな事を経験したのだろう。
「・・・・・・んーまぁ、ぼちぼちって感じかな」
想定していた反応とは裏腹になんだか歯切れが悪い様子。
「・・・・・・そうなんだ」
詮索してはいけない雰囲気が漂っているあやめの瞳はどこか悲しげに遠くを見据えているように感じる。
「この辺変わらないねー。 ・・・・・・あっ!なっつかしいー! あそこよく昔通ってたなぁ」
町でも人気な飲食店を懐かしそうに見ている。あやめにとってはもう当たり前じゃないこの光景が、この一瞬一瞬がきっと何物にも代え難い幸せと安心になっている。
お昼時ということもあり店内は満席、見渡す限りどこの飲食店も満席だっため、近くのひとけのない隠れ家のような喫茶店に入ることにした。
レトロな雰囲気の店内にあるアンティークな時計が12時30分を指している。窓についているわずかな雨粒がこのムードをより高めてくれる。
「二人で」
「奥のテーブル席どうぞ」
言われるがまま店内の奥にある少し大きめのテーブル席に座る。注文したホットコーヒーが二つ、スティックシュガーを入れる私とは反対にそのままの苦味をあやめは口に運んでいる。
「歌ってなんなんだろうね」
コーヒカップの取っ手をなぞりながら独り言のように呟く。
「えっ?」
意図が見えない発言に思わず声が出る。
「誰に聞かせたくて、何を伝えたくて、何のために歌うんだろう。 ・・・・・・ハルはどう思う?」
心に問いかけてくる真っ黒な瞳はやはり悲しみを含んでいるように感じる。
「・・・・・・私は、誰かの心に響く、 ・・・・・・救うもの! ・・・・・・だと思う・・・・・・」
言葉がすらすらと出なかったのは目の前の圧に少し萎縮してしまっているのかもしれない。
「そうだよね。そう思ってたんだけどなぁ。
・・・・・・最近はそれがわからなくてさ。自分自身がやりたい曲、伝えたい言葉と世間が求めているものの違いだったり、たくさんの人から向けられる非難の声だったり、それが辛くて、自分を守るために歌ってるていうかさ・・・・・・。 誰かのため、誰かのためなんて言って、本当に伝えたいこととは違う、世間が受け止めてくれる曲を届けて認められようとしてるだけなんじゃないかって。このままでいいのかなって。 ・・・・・・でもこうしないとやっていけないんだよ。商業的にも。自分自身としても」
「でもそれはさ、あやめが有名になったから、成功してるからなんじゃないかな」
「ハルにはわからないよ、私の気持ちなんて」
「わ、わからないけどさ、そうやって悩めるのは、あやめをみてくれる人も、知ってくれてる人も沢山いるからじゃない?」
「そうだけどさ、それが辛いんだよ」
柔らかい表情がだんだんと眉間にしわを寄せてシリアスなムードを加速させる。お互い自然と声量が上がる。
「・・・・・・辛くてもさ、それでも歌をみんなに届けるのが私たちが目指してた、憧れてた夢じゃん。あの日、一緒に約束した武道館に立つってことがさぁ! それに私だってあやめの歌に沢山勇気もらってる。だからこれからも互いにがんば・・・・・・」
「もう頑張ってるよ!! 夢を叶えようと思った日からずっと! オーディションに受かった日からわからないことだらけでさ・・・・・・ 私に比べてハルはほんとに頑張ってるの? オーディションに落ちた日から色々あったかもしれないけどさ、夢のことなんて忘れたような顔してさ。頑張るべきなのはハルの方でしょ」
「・・・・・・」
言葉を遮るように言ったあやめの言葉たちに何も言い返せなくなる。
気まずい沈黙が広がる。
「・・・・・・ごめん、こんなこと言うつもりじゃなかったんだけど。 ・・・・・・私帰るね」
残ったコーヒーを飲み干し、歩き出したところで、
「実はさ、武道館でのライブ決まってたんだ・・・・・・」
「えっ?」
「でも、キャンセルしたんだ」
「・・・・・・ど、どうして? せっかくの舞台なんだから、私のことなんて構わないでいいのに!」
「ハルがどうとかじゃないよ、 ・・・・・・もう歌う楽しさも悦びもよくわかんないんだよ。 ・・・・・・じゃあまたね」
あやめの姿はすぐに見えなくなった。ただ俯いたまま静かな時間が店内に流れていく。
沈黙を破るようにポケットからスマホの通知音が鳴った。『不合格』と、画面に表示された文字。これで受けたオーディションの結果は全て発表された。
重すぎる身体が自然と自宅へと向かう。鉛色の空から降りしきる雨に流した涙は溶けていく。
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自室から見える外の景色は雨。昨日と変わらない天気が嫌でも思い出させる。
「はぁ・・・・・・」
無意識から漏れたため息で現実感が増していく。
この先どうなってしまうのか。考え込んでしまう前にもう一度ベットの上で目を瞑る。
秒針の音がやけに響くせいかすぐに眠りから覚めての繰り返し、スマホに手を伸ばし、開いたSNSの画面はあやめのアカウントを開いていた。
『12月30日19時台に出演します』明日の音楽番組の告知が再度されている。
どんな気持ちで見ればいいのかわからない。でも、見ないという選択肢は無かった。
翌日、12月30日19時20分、告知通り19時台、食事を済ませ、一人自室で凝視していた。
雪が降る演出に冬を感じさせる白いワンピースを纏っているあやめはいつもと変わらないにこやかな笑顔を振りまいている。
まるで別人のような姿に少し恐怖さえ覚えてしまう。最後の一秒まで表情を崩さないそれは、まさにプロという言葉が似合う。
テレビを消すと現実に戻る。自分のことを考えなくてはならない。これからどうするか、どうしなくてはならないのか、本当はもうわかってる。
年末の恒例行事、大掃除をしてから眠りにつこうと部屋の隅々までほこりやごみを片付け、机の引き出しを取り外すと、後ろの方にA4サイズの紙が一枚、四つ折りになって眠っていた。
「なんだっけこれ?」
殴り書きで書きかけの文がいくつも並んでいる紙の上部だけ、ほとんど消えかけていて読むことができない。
ぼんやりとこの文字たちを見ていると記憶は鮮明に蘇る。
そうだ、思い出した。これは『歌詞』だ。
そして私一人で書いたものではない。あやめと一緒に、作り上げようとした大切な歌詞。上部の大きな文字は曲のタイトル。
懐かしさを感じると共に、もう戻れない寂しさが、雑な文字とヨレた紙から滲んで伝わってくる。使い道のないこの一枚の紙は捨てれずに机の上に置いたまま眠りについた。
1月7日、年が明けて一発目の学校。必要なものを鞄に詰め込んで、制服に着替える。部屋を出る際に、机の上に置いておいたヨレた紙も何となく鞄に入れて学校へ向かう事にした。
高校三年生のこの時期は、卒業が現実的に見えてくる。進学か就職か不安が募るばかりではなく、それぞれが選ぶ将来、進む未来への自由と希望を意味している。
私だってそう思いたかった。夢なんて見なければ良かったのかもしれない。教室の隅から見る『青い光景』がいつもに増して淋しく感じる。
帰りのホームルームを終えると、進路室に向かった。
「失礼します」
「あ、歌川さん、早速やっていきましょう」
休み時間の内に声をかけておいたため、話が早く進んだ。
1時間以上真剣に相談や質問を繰り返し、部屋を後にした。
何度も通ったこの帰り道。ボイトレとピアノレッスンのために通った道も、後何回通うのだろう。
卒業と共に習い事も辞める事になるのはわかっていた。わかってはいたけれど叶わないと知って感じるこの悲しさはあまりにも残酷だ。
そして、ついさっきまでいた進路室。就職をすると選択をした、するしかなかった現実が、自分自身が辛くて哀しくて・・・・・・惨めで・・・・・・憎い。
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