第2話
約束していた土曜日。互いに約束の時間ちょうどに集合し、少し早い昼食をとり、近くのカラオケボックスに向かった。
「ハルはやっぱ歌上手いねぇ。ボイトレ通ってるんだっけ?」
「うん。 ・・・・・・あの私ね」
口が勝手に動く。寧々がじっとこちらを見つめている。
「・・・・・・やっぱ ・・・・・・いいや」
言いかけてはやめて、この繰り返しが私らしくて嫌になる。
「ハルちゃん、実はわたしね将来、芸能のお仕事してみたかったんだ。でもその夢はもう諦めたの」
「えっ?」
「夢を叶えるためにいろんな事挑戦してさ、嬉しい事も悲しい事も全部全力でやったんだ。全力でやったからこそ気づいたんだ、ここまでだって。まぁ、新しい何かに挑戦してみたいって気持ちもあったんだけど、それでも未練はない」
天上を見つめながら寧々は言う。
「その時、なんだか心が満たされて達成感に包まれてね。 ・・・・・・まぁ何が言いたいかというと、迷いとか悩み、やりたいって気持ちが少しでもあるならやってみるべきなの。そして全力で走った先に答えが待ってるから」
寧々が言った言葉には説得力があった。返す言葉を探していると、
「無理に言わなくてもいいけど、伝えるべき人にはちゃんと伝えなよ」
「ほんと、寧々ちゃんには敵わないなぁ ・・・・・・ありがとね」
「こちらこそだよ! 私も自分の思いを言葉にして伝えることってあんまないからさ。 ・・・・・・お互い頑張ろうね
ハルのこと応援してるから」
「うん」
少し談笑をしたあと寧々とは別れた。
今日の出来事は私にとってものすごく大きなものになった。軽くなった足取りは心を表すように。このままどこまで行けるか分からない。またすぐに下を向いてしまうかもしれない。
でも今は、少し前を向いて話せるかもしれない。
翌日日曜日、時計は正午を示している。階段を下り、母親のいるリビングに顔を出す。
「お母さん、話したいことがあるんだけど」
「どうしたの?」
ひとこと言った母親はこちらをじっと見ている。
「私ね、歌をうたうお仕事に就きたい!」
母親がキョトンとしているのが分かる。それはそうだ。
私は一度この夢を諦めている。勿論母親は知っている。反対されるかもしれない、それでも声にして伝えたかった。
「上手くいかないかもしれないし、将来の事を考えれば、正しい選択じゃないかもしれないけど、やっぱ諦めきれない! あやめとした約束を果たしたい!」
「・・・・・・お母さん ・・・・・・嬉しいなぁ」
なぜか涙ぐんだ目で嬉しそうに母親は言った。
「お母さんね、あの日以来悲しい顔をしてるハルをずっと見てたから・・・・・・」
色々あった。
中学生の頃、あやめと一緒に受けたオーディションで私だけが合格できなかったり、その後もオーディションを何度も受けたが結局受からず、周りとの実力の差に途方に暮れていた。
災難というものは続く。その時改めて理解した。
不慮の事故で父親が死んだ。現実を受け止められない時間がどれだけ続いただろうか。それでもあの時、受け止められなければならなかった今という現実と未来という現実に冷たい涙はいつの間にか枯れていた。
それから自分でも気付かない程自然と暗い表情をしていたのかもしれない。
「ハルには辛い思いさせちゃったけど、やりたい事、好きな事やって欲しい」
「・・・・・・うん ・・・・・・ありがと」
互いの頬を伝う涙には温かさを感じた。
母親は私よりも遥かに辛かったはずなのに、笑顔で家庭を支えてくれて、私の為にボイストレーニングもピアノレッスンも続けさせてくれた。
いつか返せるだろうか。また一つ、進むべき理由ができた。
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平日の朝はどうしても足取りが重い。おまけにこの季節は寒さが足枷になるが、数分後の慌てている様子が容易に分かるので、無理矢理身体を起こし、学校へ行く支度をする。
学校に近づいていくと同じ制服を着た生徒がちらほら見えてくる。
いつも以上にカップルが多いのは気のせいだろうか。きっとクリスマスを見据えているのだろう。
思わず「チッ!」と舌打ちをしてしまいそうな所をグッと抑えて、歩くスピードを上げる。こんなんだから私は一人なのだろう。
教室に入り、席に着き、重たい鞄から取り出した、大きな文字で『作曲入門』と書かれた厚みのある一冊の本。部屋の机の引き出しにずっとしまっていたものを引っ張り出してきたもの。
どこかで自分自身が作った楽曲を届けることができる機会があるかもしれない。
まずは新しくSNSのアカウントを作ることにした。
お昼休み始まりのチャイムと共に教科書をしまい、お弁当と作曲入門書、スマホを取り出し机に向かう。スマホの検索画面に『歌手・ボーカルオーディション』と入力して、自身が条件を満たすものは手当たり次第に応募をしてスマホの電源を落とした。
それから二ヶ月、学校からレッスン、作曲の勉強、休日にはオーディションを繰り返し、時々進路室にも顔を出しながら充実した日々を過ごした。
ただ夢中に。
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雪がちらちら降る十二月中旬、イルミネーションやクリスマスツリーが煌めく町並み。少し大きめのダウンジャケットを着て学校から家に向かう。
「お母さんただいまー」
「ハルおかえりー」
自室がある二階への階段に足をかける。
「あ、ハル、そういえば年末にあやめちゃん東京から帰ってくるってー」
階段を登る途中で聞こえる母親の声にワンテンポ遅れて返事をして部屋に入る。
あやめと会うのは久しぶりだ。
無意識にあやめの名前をSNSの検索画面に入力して、たくさんの呟きを無造作にスクロールする。
音楽番組への出演情報、来年下半期のライブ開催情報など公式アカウントと本人のアカウントが告知をしている。現在まさに注目されていると言わんばかりの反応をいいね数から感じる。
だんだんとスクロールしていくと想定していた称賛の声とは裏腹に誹謗中傷の声があらゆる方向からあやめに向かっていた。
正直意外で驚いた。でもこれが有名になること、注目されていることなのだろう。
私だったらこれを見てどう思うのだろう。悲しいとか怒りとかいう感情になるのか、それとも仕方がないことだと割り切るのか、きっと後者の方だろう。
あまり深く考えずにベッドホンをつけ、電子ピアノに意識を向けた。
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