シキを歩む。

ねこねこ

第1話

「二人でいつかあの場所に立とう!」


「うん!」


 そう言って目を輝かせていたのはどのくらい前だろう。武道館のステージ上に光る大きな存在に見惚れていた。

 膨大な量の求人票を眺める私の脳裏をよぎるあの日の記憶。

 ここ、進路室には、将来への選択肢が無数にある。


「歌川さん、此処とかどう?」


 こちらにそう問いかけてくるのは、長い黒髪を一つ結びにして、ビシッとスーツを着こなしている進路指導の先生だ。


「・・・・・・そうですね」


 言葉に詰まる。正直どこの求人も似たり寄ったり大差がない。時々心惹かれるものもあるが、条件が良いほど疑ってしまう。


「・・・・・・分かっていると思うけど、少し急がないとね」


 絵に描いたように眉を八の字にさせ、困り顔をしている。


「大丈夫ですよ、後悔しないように見極めるには時間をかけるしかないですから!」


 口ではなんとでも言える。


「歌川さん、今日もボイストレーニングとピアノレッスン?」


「・・・・・・はい」


「大変ねぇ、程々にしなよー」


外を覗くようにカーテンの隙間に顔を近づけて言う。


「先生わた・・・・・・」


 言いかけてやめる。


「ん?」


「いえ、そろそろ時間なので失礼します」


 礼を交わし、進路室を後にする。

 ポケットから取り出したスマホのホーム画面に表示された時刻は18時を回っていた。

 昇降口から見える見慣れた光景は鉛色に染まっていた。

__________________


 ボイストレーニングが終わり、いつも通り帰路につく、スーパーや飲食店が程よい感覚で並ぶ、都会とは微塵も言い切れないこの見慣れた町に抱く思いは何も無い。

 そうこう考えていると住宅街の中に(歌川)と書かれた表札が視界に入る。自然と足早になる。


「ただいまお母さん」


「おかえり、ハル」


 毎日繰り返しているこのフレーズ達が心を安心へと導いてくれる。

 お風呂を済ませ、リビングに置かれたテーブルを母親と囲み、今日あった出来事など他愛もない話をしていると、たまたまつけていた音楽番組から綺麗な歌声が聴こえてくる。

 画面の右上に大きく、話題の歌姫と書かれている彼女はロングヘアの私とは違うボブヘアに、全身薄い水色の可愛らしいフリルが、襟やスカートに付いている衣装を着ている。


「あやめちゃん、すごいわね」


「そうだね」


 彼女の事はよく知っている。有名人だからではない。

 私とあやめは幼馴染だからだ。


 夕飯を食べ終え、自室のある二階へと向かう。

 飾り気のない部屋の中に机と電子ピアノが横並びになっている。

 その対面にあるベッドで体を大の字にしながらふと思い出す。

 さっき見ていた音楽番組だ。

 そこで歌っていた幼馴染のあやめは、同じ十八歳の高校三年生とは思えない、天真爛漫で無邪気な女の子。圧倒的な歌声、そして美しい容姿で、まさに彼女を歌姫と呼ぶにふさわしいと言える。

 いつも手を引っ張ってくれたあやめ、ただ影を追いかけることしかできない私は彼女のことを心から尊敬している。

 でも、それと同じくらいの悔しさと自分に対しての怒りに心が呑みこまれていく。

 あの日約束した事。二人の約束。

 歌声に感動したのか、曲に感動したのか、立ち振る舞いに感動したのか、説明ができない。

 ただ涙を流していた。心が動いた音がした。子供ながらの感受性だったのかもしれない、でも私達はステージ上の『あの光』に心を打たれた。

 でも、私だけが夢からあまりにかけ離れている。

 頑張っていればいつか叶うだろうという浅はかな思考と、無理かもしれないというあまりにも現実的な思考が頭の中を行ったり来たりしている。

 悶々とした気持ちを、息抜きという名の現実逃避を、耳に付けたLRと画面に表示されたSNSが教えてくれる。

 こんな代わり映えのない日々がまた今日も終わろうとしている。

_____________________


「歌川さん、これ教室まで運んでおいて」


「はーい」


 今日は日直当番なので分かってはいたが、面倒くさい。おそらく帰りまでこの調子だろう。

 帰りのホームルームが終わり、案の定先生の手伝いをしてからようやく昇降口へと向かう。一応進路室を覗いてみたが鍵が掛かっていたため入れなかった。

 履きなれた靴のかかとを潰しながら外に出ようと歩き始めると、


「ハル!」


 背後から元気な声が聞こえてくる。隣のクラスの鈴村寧々だ。

 寧々とは中学生からの友達だったが高校生になってからは同じクラスになれず、少し距離が遠くなっていた。


「一緒にかえろ!」


「うん」


 そんな距離感など全く感じさせない寧々の性格の良さにすごく憧れる。


「最近少し寒くなってきたねぇ」


「でも、このくらいがちょうど良いかも」


 秋風が心地よく髪を揺らすこの季節、クリスマスやお正月といった賑やかなあの一週間に心が微かに踊っているのを感じる。


「ハルは進路どう?」


「・・・・・・まぁ、なんとかって感じかな。あ、ごめん今日は用事があって・・・・・・、寧々ちゃん今度の土曜日空いてる?」


 思わず話をすり替える。


「う、うん。空いてるよ」


「じゃあ、十時に学校近くの公園で」


 そう言ってすぐに寧々とは自宅付近で別れた。

 行き先も特に決めてないのに約束をしてしまった。次、進路のことを聞かれたら誤魔化すことはできないかもしれない。

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