第4話 恐怖、そして勇気
「ユーラっ!?」
「ごめんな、さい……ちゃんと、相談できなくて……」
「っ……! ……ユーラに、何をしたの……?」
「おいおいおい怒んなよ。俺様は何もしちゃいねえって。こいつがサイン書いてくれるのをここでじっと見守ってただけだぜ?」
なあ、とウォーカーはユーラに同意を求めた。
「わたしが、いけないんです……ウォーカーさんをお待たせしてたから……」
「だろ? こいつもこう言ってるじゃねえか。俺様は悪かねえよ、ワン公」
「……!」
涙目で言葉を絞る出す彼女にも両手を広げておどける彼に、ムスビの頭は一瞬で煮えたぎった。拳を強く握り、巨躯に負けじと机に足を掛けて睨みつける。
「ユーラは、わわ、悪くないよっ! 契約書なんだから! こんなの、サインしたくなかったらしなくていいんだし!」
「フン、『こんなの』とはひどい言い様だな。これ一枚でも結構いい値段したっていうのに。で、お前の方は──」
そう言いながらムスビの方の契約書を見やって、
「チッ。流石に書かねえか、犬風情が小賢しい。だがこっちのは躾が行き届いてて助かったよ。おかげで俺様に都合がいい忠犬が手に入ったからな」
「え? え? え?」
ユーラは戸惑いながら二人の顔を比べた。
『うまくいった』と言わんばかりの下卑た笑みと『やられた』と聞こえて来そうな苦悶の表情が、自分がとんでもない失敗をしてしまった事を痛感させて青ざめる。
「じゃあ『種族間の壁をなくしたい』っていうのは」
「当然嘘だな。なんで俺様がそんな面倒な事をしなきゃならんのだ」
「なら……『差別をなくそうキャンペーン』は、どうなるのですか?」
「ハッ……! いいじゃねえか。差別結構、格差結構。そんなものがあろうがなかろうが結局、優秀な
「そんな、ひどい……!」
打ちのめされて顔を上げれないユーラに寄り添ってムスビは彼女の手を優しく包み込む。それからウォーカーに真意を問いかけた。
「じゃあ、何のためにこんな契約書を……」
「もういいだろう、教えてやる。言ってみれば『無期限の奴隷契約』だな」
「奴隷……?」
「そうだ。ここをもう一度よく読んでみな」
彼がトンと指を置いた文面は、少し前にムスビが気にしていた後半の条項だった。
『受験者は一切の権利を放棄し、ウォーカーの指示するボランティア活動に奉仕する事』
ウォーカーが気味悪く口角を釣り上げたまま、
「『ボランティア』は『俺様が指示する』としか書いてないだろう? 要は俺様が好きに決めていい訳だ。内容も、期限も。たったこれだけで奴隷契約の完成なんだよ」
「でもあくまでボランティア、でしょ? さすがに何でもなんて……」
「何でもさ。そのために『受験者は一切の権利を放棄』と付け加えたんだ」
ムスビには意味が分からず、どういう事、と言いたげに眉をひそめた。
「分からねえか?」
そう続きを語りだす彼の声からはムスビ達の想像を超えた傲慢さがにじみ出ていて、二人は聞くだけで身の毛がよだつのを感じる。
「お前はこの一文を『入団テストを受ける権利を失う』事だと思ったみてえだが……違うな。これはお前ら動物には無用の権利、『人権』を捨てさせるためなんだからよ」
「じ、人権を……!? なんで、そんな事を……」
「ハッ! おかしいか!? 二足歩行だろうが服を着ようが、お前らはどこまでいっても獣なんだよ。だが全種族が平等だとか人権を与えるとか抜かしたクソな法律のせいで
「でも、こんなのに何の意味が……? だって、ただの契約書が法律より優先されるはずが」
「されるんだよ。こいつは特別製だからな」
「特別製……?」
ムスビは改めて手元にあるそれを見直した。一見して何の変哲もない極普通の紙。学校のプリントより手触りがいい程度にしか変わった所は見つからない。
しかしその割にはウォーカーは得意げだ。まるで目に見えない価値や特殊な強制力があるような口ぶりだったのを思い返して、脳裏に一つの推測が浮かび上がる。
「まさか……魔術?」
「フッ。流石にここまで言えば犬風情でも気付くか。通称『シオンの約束』──霊脈に生い茂るとされる特殊な鉱石『シオン』から製造された魔法の紙束だ」
「シオン……聞いた事があります」
「知ってるの、ユーラ?」
「はい。もし名前を書いてしまえばどんな契りでも絶対に破れないものになってしまうという
「裏社会御用達の特別な紙なのさ。結構な値段したんだぜ」
そう聞いてムスビは即断した。
大切な友達を奴隷にする道具をこのままこいつに渡してはいけない。
殆ど本能で、考えるよりも速くその小さな体を伸ばした。ウォーカーが見せつけるようにぶら下げていたユーラの契約書を素早く掠め取る事に成功する。
「あ?」
「こんなもの、破ってしまえば……!」
両手で引き裂こうとして、
「っ……!? このっ……!」
「ム、ムスビちゃん…………?」
彼女の手は微動だにしない。
まるで揺れも軋みもしない分厚い壁に手をかけているかのようだ。
「…………ククク。できねえだろ?」
「なん、で……!」
ムスビが片足で踏みつけ歯を食いしばりながら引っ張っているにもかかわらず契約書は不変、破れるどころかしなりもしない。だが彼女が足を滑らせて床に倒れこむと契約書は、不思議なことに風を受けて宙を踊りながら自然とたわむのだ。
唖然。
ただ一人ウォーカーだけが平然と床に落ちたそれを拾いながら教える。
「この紙はどうやっても破れない。物理的にも精神的にも作った本人でさえも。仮に破ろうとしても紙が頭の中に働きかけて体を止めてくれるんだと」
「ありえない……」
「俺様もどこまで信用できるか気になってたが成程、こいつはいい。これなら俺様の忠実な奴隷も本当に作れそうだ。精々こき使ってやる、しっかり働くんだな」
「うぅ……ど、どうしよう、ムスビちゃん……どうしたら……」
「フ……ハハハハハハハッ!!! 諦めろ! もうお前は終わりなんだよ!」
ぽたぽたと滴る熱い雫を受けながら、ムスビはそっとユーラの拳に触れる。
「だ……大丈夫、だから」
「ムスビ、ちゃん……?」
ユーラは驚いた。
彼女の手は泣いている自分よりも冷たく、震えていたから。
あまりにも頼りない、けれど小さな手を差し伸べて優しく応えてくれた。
「だから……お願い」
負けたくなかった。
大切な友達を傷つける奴なんかに。
絶対に守りたかった。
この世界に来て初めてできた、たった一人のチームメイトだから。
でも怖かった。恐ろしかった。
汗は止まらないし、心臓の音が頭に響きっぱなしでどうにかなりそうで、指だってまともに動いてくれない。目の前の最悪なあいつをどうにかする自信なんて微塵もない。だから、
「手を、繋いで」
私に、ほんの少しだけ勇気を。
「合格したら、いいんだよね」
「……あ?」
「奴隷契約なんて関係ない……魔術がどうとか、そんなのどうだっていい。ただ合格さえすれば、ユーラは助かるんだ」
だから、と続けてムスビはペンを手放し、ウォーカーの顔面に紙を叩きつけた。
「なっ……! 貴様、何の──」
「──私が合格させる」
ウォーカーが見ればそこには走り書きでサインが書かれていた。
彼には見慣れない文字で『
「…………書きやがった」
「ムスビちゃん……!」
ユーラは名前を呼びながら繋いだ手を一度放して最愛の友を抱きしめた。今度は滝のような嬉しさ涙を流して彼女のシャツに染みを作り出す。
「わたし、ごめんなさいっ……でも、ありがとう、ございます……!」
「は、はは……絶対、何とかするから……」
受け取った勇気をすっかり使い切ったムスビは恐怖で顔が土気色になっており、風が吹けば飛びそうな程弱弱しくこう言った。
「だか、ら、そのまま、支えて、て……今座ったらもう立てない、かも……」
「はいっ……! 今日はこのままずっと一緒です!」
一方、
「奴隷が一匹増えただけだ。威勢はマシだが後悔するぜ、ワン公」
「勝負は、分からないよ……九回裏、ツーアウトになるまで」
「フン、素人が知ったような口を利きやがる。入団テストはデーゲームの後だ。それまで精々最後の野良犬生活を楽しむんだな」
そう言ってウォーカーは観戦チケットを二人に放り捨てて彼女らの前から去った。
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