第3話 チャンスと契約書

「チャンスをやると言ったな」


 このドーム球場にはオフィスがある。

 スタジアムの外周部分。観客が通る事もできない通路にある球団事務所がそれだ。

 イベント、グッズ、飲食、広告、エトセトラ――球団をどう運営していくかについて多岐にわたって考えていく野球チームの核である。


 ここはその中の一室、同行者の顔パスで通された会議室だ。

 普通なら入ることができない場所に来た興奮とマネージャーになれるかもしれない期待で盛り上がる二人へ、ウォーカーは話を切り出した。


「会社の書類……?」

「こちらは一体……」


 来客の二人へ飲み物も出さずに早速自分の荷物からを取り出した。

 机の上に同じ文書が二枚、タイトルは『契約書』。


 仰々しいタイトルとビジネス文書特有の堅苦しい内容が相まって、二人は表情が少し硬く、背筋が自然と正されるのを感じた。

 内容は要約すると以下の通りだ。


『ウォーカーは受験者に無償で入団テストを受ける権利を与える事』

『受験者はウォーカーの用意したテスト内容に対して一切の異議を認めない事』

『テストに合格した場合、ウォーカーは受験者の入団を認める事』

『不合格でも将来性があると判断した場合は、後日再受験を認める事』


「これは勧誘した選手に渡している契約書だ。入団テストを受けるためのな」

「じゃ、じゃあ……ここに名前を書けば……!」

「入団テストを受けさせてやる。合格すればビースニャーだろうが何だろうが、正式にうちのマネージャーになれる。これが俺様のくれてやれる唯一のチャンスだ」


 真面目な表情でペンを渡すウォーカーにユーラは首を傾げて尋ねる。


「素朴な疑問なんですけれど、契約書は必要なのでしょうか? 入団テストだけであれば、わざわざここまでする必要はないように思いますが」

「そこはチームの慣例しきたりってやつだな。これでずっとやってきてる球団としては中々やり方を変えられねえんだ。悪いが従ってもらうしかねえな」

「はあ、なるほど」


 納得した様子のユーラに対して、ムスビは難しそうに書面を眺めながら指をさした。それは文章後半のとある部分についてで、


「あのぉ……こ、この不合格の時の条項なんですけど──」


 体の大きなウォーカーにびくつきながら尋ねたのは『テストに不合格』し、なおかつ『受験者に将来性がないと判断された時』の内容だった。


『受験者は一切の権利を放棄し、ウォーカーの指示するボランティア活動に奉仕する事』


「この『権利』が『入団テストを受ける権利』なのは分かるんですけど、『ボランティア活動』っていうのは……?」

「まあ入団テストの手間賃代わりだと思ってくれ。例年ならドーム周りの清掃活動だが、今回は俺様の仕事を手伝ってもらう」

「ウォーカーさんの仕事?」

「ああ……。実は今、種族間の壁を少しでもなくすための活動を考えてるんだが、困った事に俺様の個人的な活動だから人手が足りなくてな……」

「種族間の、壁……?」

「要は『差別をなくそうキャンペーン』だな」

「まあ……! 素晴らしい博愛の精神ですわ」

「球団内でも『エリーフ至上主義』が蔓延して、エリーフ以外の入団を良く思わない奴らも多い。だから警備員にお前らを止めてもらっていたんだが……」


 何だかいい人みたいですね、と温かい眼差しをウォーカーに向けながら囁くユーラなのだが、一方ムスビは何とも言えず小さく唸るしかなかった。


「うーん……」


 確かに彼の話は素敵だとムスビも思う。

 もしうまくいけばきっと世の中のためになる素晴らしい事だろう、とも。

 だがどこか、彼女にはどうしようもなくに感じてしまうのだ。


 ムスビがさり気なくウォーカーの方を窺うと、頭上を軽快に飛び回る羽虫を鬱陶しそうに睨んでいた。手で数回払うもしつこく付きまとわれ、やがて苛立ちを覚えた彼の俊敏な動きが羽虫を上回る。邪魔者が居なくなり再びウォーカーの興味は自身の携帯端末へと戻っていった。


「フン。虫けらが」

「……」


 何か具体的な理由がある訳じゃない。

 ただ獣人ふたりにとって共感しやすい話題が、それまでの彼の横柄な態度が、臆病な彼女に不吉な予感を匂わせたのだ。言われるがままに進めば自分達も床の上でバラバラになった羽虫と同じ道を辿るのではないかと。


 だがムスビが一人考えている間に、手元から視線を外したウォーカーが再び口を開く。未だ名前が書かれてない契約書を見て、


「おいおい。いつまで待たせるつもりだ?」

「あ……いや、その……」


 言葉に詰まるムスビの代わりにユーラが答える。


「すみませんっ……契約書はよく読んでサインするようにと両親からよく聞かされていたものですから」

「ほう。それはいい心がけだ」

「ありがとうございます。申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちいただけますか?」

「少しばかりは構わねえがな、こっちも今日は試合しに来てんだ。開始時間までまだ時間はあるが監督としてやるべき事は山ほどある。名前を書くだけなんだ、早くしろよ」

「はいっ。お手数おかけします」

「全く。マネージャーになりたいんじゃなかったのか? 俺様は立場上、お前らを強引にねじ込むような事はできん。そんな事したらトップニュースに載っちまうからな。だから契約書を渡したんだぞ」


 ウォーカーは腹から大きく溜息を吐き出して最後に一言付け足す。


「これが俺様にできる精一杯なんだ、頼むぞオイ」

「……」


 ムスビも無論、貴重なチャンスなのは自覚していた。

 作戦を練り、チームを調べ上げ、ユニフォームのレプリカを裁縫し、田舎から三日三晩歩いて。ユーラと力を合わせ、運も味方してここまでこじつけたのだ。

 頭を空っぽにしてサインできればどれだけ楽だったか。

 だがどうしても最後に、一抹の疑念が残ってしまうのだ。


(本当に、この人を信じていいの……?)


 もしウォーカーが信じるに値しないエリーフなら名前を書けば十中八九企みに嵌まる事になる。彼の狙いが何なのかも分からない今は、どう言葉を並べられようとも一旦諦めてサインをしないのが無難だろう。


 そうムスビが心に決めていると、


「む、ムスビひゃん……」


 震えた声でユーラが名前を呼んだ。


「あ、あの……わた……」

「……ユーラ?」

「わたし……書いちゃいました……」


 驚きのあまりムスビは立ち上がった拍子に椅子を倒した。彼女の契約書を見下ろそうとしたが既にそこにはなく、代わりにあくどい笑みを浮かべたウォーカーが摘まんでぶら下げていた。

 確かにそこには丁寧な筆跡で、ユーラファミリア・トリウィアと書かれていた。

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