第31話・今の主人

「と、止まらないとヒユノーさんの万年筆使っちゃいますよ~?」

「作戦が失敗した以上、私に使う必要はないでしょ」

 更に足を進める。

「私はずっと前からジョンド様が好きだったんです!」

「間違いなく私より長い時間好きだったよね」

「私はライバルになりそうな人に先手を打って消したりしてたんですよ~?」

「こんな回りくどい方法を使わなくたってメーチェがその気になれば私なんてすぐ消せたよね」

 しっかりと地面を踏みしめながら進んでいく。もうメーチェは近い。

「ヒユノーさんが傷付いてるんですよ!?」

「私と一緒に謝って怒られよう。ヒユノーはあれで結構私には甘いから」

 もうすぐ手を伸ばせば届く距離だ。

「来ないでください!」

 メーチェに向かって静かに手を伸ばす。

「わ、私はルティア様を裏切ったのに……」

「私が裏切られたと感じてなかったらセーフじゃない?」

 万年筆がメーチェの手から滑り落ちた音がした。

 私はメーチェを抱き締めた。私がつらいときにメーチェがよくやってくれていたこと。側に誰かがこうして寄り添っていてくれると思うだけで気持ちが楽になったのを覚えている。

 そうしたくなるほど今のメーチェは見ていて苦しそうだった。ジョンド様のことは本当にずっと前から、それこそ前世から好きだったのだろう。きっと私に対するものより大きな忠誠を誓っていたに違いない。今の時代よりも命のやり取りが頻繁だったと聞くし、メーチェの私への態度は従者であり友達に近いと感じているから。

 そんなメーチェに私はジョンド様が好きだと言った。メーチェの好きな人のことを何も知らなかったから。メーチェを恋バナが好きだけど恋愛はしていないと思っていたから。もし知っていたら好きなことを教えなかっただろう。そもそも私がジョンド様のことを好きになっていたかも怪しい。メーチェの恋心に中々気付かない鈍い人だと思って接していた可能性の方が高いかも。

 でも、でも、私はもうジョンド様を好きになっている。誰に何を言われてもこの気持ちに嘘は吐けない。前世で深い因縁があったにも関わらず、私を私として見てくれた素敵な人。順序が違ってたら好きにならなかったもしもなんて現実には存在しないのだから。

 そしてメーチェと離れるのも嫌だ。メーチェが私と出会ったときにどんなことを考えていたのかは分からない。しかし今のメーチェは私のことをコーデリアとして見ていないと言ってくれた。嘘を吐く意味がないタイミングでだ。だったら私は今までのメーチェを信じる。

 私にコーデリアの記憶がないからこそ、出来る限り今出会った人達を信じたいと考えているのだ。

 私はメーチェから体を離すとメーチェの手をしっかりと握ってジョンド様の方へと引っ張っていく。メーチェは嫌がっているが関係ない。本気で嫌がれば私程度は余裕で突き飛ばせるメーチェがそれをしないのだ。だから私はそれに甘える。私はメーチェにずっと甘えてきたのだ。今日も甘えたってきっと許される。

 私はジョンド様を見上げる。彼の綺麗な瞳が私の覚悟を見届けるかのように見つめ返してくれていた。

「ジョンド様」

「うん」

「メーチェの今の主人は私です」

「そうだね」

「だから例え過去の主人であるジョンド様であってもメーチェは渡せません」

「えっ?」

 メーチェから何を言っているんだという視線を感じるが、それは無視した。

「ルティアにとってメーチェは大切な人なんだね」

「はい。だからメーチェがどれだけ嫌だと泣き叫ぶことがあっても私はメーチェを手放しません」

「えっ? えっ?」

 私とジョンド様をメーチェが交互に見る。今の流れがどうやらメーチェには理解できていないらしい。いつも私より早く物事を理解して、やれやれみたいな顔をして私に色々教えてくれるメーチェが今回ばかりは思考が追いついていないようだ。

 私が今まで数え切れないほどヒユノーから逆らったり逃げたりしているのにヒユノーは一度も私を見捨てていない。そんな教育係の元育った私が一度攻撃されたぐらいでメーチェを嫌いになったりクビにすると本当に思っているのだろうか。

 ……まあ、思ってはいるのだろう。メーチェは私とジョンド様を引き剥がしてジョンド様の方について行く覚悟だったみたいだし。でもそれはメーチェだけの考えで、主人である私の意志もジョンド様の意志も介在していないのだ。

 ジョンド様は軽く咳払いをするとメーチェに向かって話かけた。

「メーチェ」

「は、はいっ!」

「今世での俺は従者を必要としていない。国に侵攻しようという目的がなく、そうでなくとも野心のない今の俺は人に仕えてもらうような身ではないからだ」

「そんなことは……」

「最後まで聞くように」

 ジョンド様がメーチェの言葉を遮ったことでメーチェは静かに口を閉じた。私のときはここまで素直に聞いてくれないのに。そこは仕えていた時間の長さなのかもしれない。主人の力量差という言葉からは目を逸らしておくことにする。

「お前が仕えてくれていた頃の俺は主人に刃を向けようものなら一切の慈悲なく粛正していた。……でも、どうやら今の主人は違うらしい」

 ジョンド様が私の方を向いてフッと笑う。続きは私にバトンタッチということらしい。私は頷いてそのバトンを受け取るとメーチェの手を更に強く握った。

「メーチェが私を、ルティアのことを嫌いだったらさすがに引き止めきれないけど」

 私は大きく息を吸って吐いた。

「メーチェは私のこと嫌い?」

「っ、嫌いなわけないじゃないですかぁ!」

 メーチェの左目から涙が一筋流れていく。

「そもそも私は人の好き嫌いが激しい方なんです~。その上コーデリアのことだってどちらかといえば嫌いでしたし、そんな私がずっと仕えている時点でルティア様を好きに決まってるじゃないですかぁ~」

 自分の瞳から流れる涙を制御出来なくなっているのかメーチェの涙が止まらない。それはボタボタと下に落ちていって、メーチェと繋いでいる私の手も濡らしていく。その涙が綺麗で、でも見ていられなくて私は空いている方の手でメーチェの涙を拭う。ただ、この程度で拭えるような涙の量じゃなくて結局私の両手が濡れてしまったのだけれど。

「ルティア様が好きで、ルティア様とは違う意味でずっと前からジョンド様が好きで、私、訳が分からなくなっちゃったんです~! このままだと好きなはずのルティア様に抱いちゃいけない感情が生まれそうで、だから……だからっ!」

「無理矢理にでも離れる理由を作ろうとしたんだ?」

 メーチェが涙を流しながら必死に頷く。

「ご、ごめんなさい~~~~~~~。ルティア様もジョンド様も私が余計なことをしなければこんなことにならなかったのに~~~~~~」

 私に抱きつきながら謝ってきたメーチェの頭を優しく撫でた。ジョンド様の顔を見上げれば優しげな表情を浮かべて笑っていたからきっとこれで良かったのだろう。

 私も肩の辺りが冷たくて服どころか肌までビショビショに濡れているだろうけれど、メーチェが今後も私のメイドでいてくれるならこの程度どうってことないのだ。

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