第23話・ルティアの過去2

 私が思い出したくない過去のとある一日は、私の家にディートが遊びに来ているときだった。

 ディートと過ごすのは基本的には私の部屋である。そのために前日はメーチェが気合いを入れて掃除をしている。私は自分の部屋にいる時間がそこまで長くないから汚れていないと思っているのだが、メーチェに言わせるとそんなことはないらしい。正直メーチェの掃除前と後ではシーツが綺麗になっているぐらいしか私には違いが分からない。でも、メーチェが満足そうなので私も嬉しかったりする。

 ディートが部屋にやってくると、メーチェが紅茶を運んできた後は二人きりのことが多い。最初の頃はヒユノーが一緒にいたり、メーチェや姉様が頻繁に訪れたりしていたけれど、回数を重ねるうちにそれも少なくなっていった。今思うと私が緊張しなくなっていくにつれて様子を見られることが減ったようにも思う。

「……ルティアは聖女コーデリアを知っているかい?」

 ディートからこの名前が出た瞬間、私は飲んでいた紅茶を吹き出してしまうかと思った。どうにかギリギリのところで我慢出来て飲み込むことが出来たのだが。

 私は努めて普通の声を出すようにした。この国に住んでいる以上、聖女コーデリアの存在を知っているのは普通のことであり常識だからだ。私がもしここで知らないなんて言えば常識のない人間として見られることは容易に想像出来る。

「し、知っているけど、急にどうしたの?」

「いやなに、この前会った子供が聖女コーデリアのことをまだ知らなくてね。ちゃんと教えてあげたんだけど、ルティアが知っているか少し不安になってね」

「さすがに昔この国を救った聖女様のことは知っているって。ヒユノーにも教えてもらったし」

 嘘は言っていない。私は聖女コーデリアのことを知っている。何ならヒユノー達から聞いた知識である意味他の誰よりも知っていると言ってもいい。ただ、それを言うわけにはいかない。

 ディートは会話の一つとしてコーデリアの名前を出しただけなのだ。いきなり「実は私って前世が聖女コーデリアらしいんだよね~」などと言えば変な目で見られるだろう。私の前世を知らないディートにそんなこと言えるわけがない。いつだって私を甘やかしてくれるディートにそんな目で見られたらショックすぎて落ち込む。

「……実はオレは聖女コーデリアのことを尊敬していてね。彼女がいなかったらこの国は滅びていただろうし、オレがこうして過ごせているのは彼女のおかげだと言ってもいい」

「まあ、国を救った英雄だからね」

 私はどうにもディートの言葉に違和感を覚えていた。

 普段のディートはほとんど自分の話をしない。話題を始めるために身近であった話をすることや、私が聞いたから話をしてくれることはあっても、こんな風に自分から話すことはあまりないのだ。

 しかし私はそれに違和感を覚えただけで不思議には思わなかった。今日のディートは自分の話をしたい気分なのだろう。何ならいつもは私が話を聞いてもらっていたから、今日はディートの話を聞いていいかもぐらいには考えていた。姉様みたいに落ち着きのある女性はこういう時にちゃんと話を聞くからだ。

「そんなに聖女コーデリアのことが好きなの?」

「うん、そうだね。家の書斎には彼女に関する歴史書から絵本まで手に入る限りの本は揃えているよ」

「へえ~。そこまで好きなんて初めて聞いた」

「確かに。初めて喋ったかもね」

 内心私は驚いていた。ディートがコーデリアに抱いている好きはもっと軽いものかと思っていたからである。重さの話をするならヒユノーよりも重いかもしれない。最初に前世についての話をしたときのヒユノーの忠誠に染まりきっている瞳のことはまだ忘れられない。

 ディートの行動力はヒユノーと並んだりするのかも。私はそう暢気に考えていた。

「それで、ね」

 ディートが言葉を区切って顔を伏せた。具合が悪いのだろうか。しかしそれにしては前触れがなさすぎる。私が声をかけることも、メーチェを呼ぶことも迷ってしまった。とりあえず顔を見てから判断しようと思って、覗き込もうとすればその前にディートに手を掴まれた。普段みたいに優しくじゃない。ガッと力強く掴まれたのだ。

「ディ、ディート?」

「オレはずっとコーデリアが好きだったんだ。ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと」

「ヒッ」

 今まで聞いたこともない低い声を出したディートに対して私が感じたのは恐怖だった。衝動的に手を振り払おうと思ったけど、しっかりと掴まれていてそれも出来ない。ディートは初めて会ったときからずっと壊れやすい物に触れるみたいに優しく触れてくれていたというのに。

 まるで壊れてもいいから離さないという意志すら感じるようだった。

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