第16話・ヒユノーは知ってしまった
その日、ヒユノーがメーチェに話を聞いたのは偶然だった。
メーチェが外に出ていたことは知っていたが、そこに深い興味があったわけではない。仕事の買い物かルティアに頼まれた物を買いに出ているだろうと思っていた。ただ、メーチェが外に出ているタイミングだとルティアは確実に家にいるから普段より気を緩められるなとは考えたことは事実である。
そしてヒユノーが自分の仕事をしていると近くをメーチェが通ったのだ。そこで挨拶がてらどこに行ってきたかを聞くのは不自然でも何でもない。ヒユノーにとっては普通のことである。
メーチェが少しばかり挙動不審な素振りをしたことを除けば。
「メーチェどうかした? もしかしてルティア様に無茶振りされた?」
「いえいえ~。このぐらい何でもないですよ~。ちょーっとルティア様に頼まれて人と会ってきただけです~」
「人と?」
ルティアの友達だろうか。ヒユノーには一向に紹介してもらえないルティアの友達。ヒユノーだってルティアに対して少々過保護の自覚はあるが、さすがに友達だと言っている相手に根掘り葉掘り何かを聞いたりはしない。……ちょっと家柄を調べたりはするかもしれないが。
「ジョンド様っておっしゃる方なん……」
「は?」
その名前を認識した瞬間にヒユノーはメーチェの言葉を遮ってしまった。もしかしたら過去で一番の低い声が出てしまったかもしれない。
ジョンド。この名前をヒユノーはよく知っていた。忘れるはずもない。前世で王国を侵攻してたくさんの街や人を滅ぼしていった魔王の名前だ。
……ヒユノーが忠誠を誓っている聖女コーデリアが命を賭けて封じた相手の名前でもある。
魔王なんて殺せば良かったのに、何故かコーデリアは口付けを媒介として手っ取り早く契約を結んだ上で見逃したのだ。直接魔力を送り込めば契約にかかる時間を短縮出来る。その上ヒユノー達に勘付かれて邪魔されるリスクも減らせる。実際まんまとコーデリアとジョンドの間に契約が結ばれていると気付けたのは少し後であった。
契約が双方の合意がなければ成立せず、破棄も双方の合意かつ結んだ側から破棄しないと……つまり魔力を使わないといけない。コーデリア側の契約条件が魔力を使うことである以上、絶対に破棄出来ない契約となってしまったのだ。
そして国を救った聖女も最初はもてはやされていた。何しろ恩人なのだから。たくさんの人に感謝されていた。ヒユノーもコーデリアがやってきたことが報われた気持ちになって誇らしかったのを今でも覚えている。
でもそれだって長くは続かない。王国の復興が進んでいけば、もう魔力を使えない――仲間達以外には魔王との決戦で魔力を使い切って空っぽになったと伝えている――コーデリアは国を救った聖女から普通の人へと扱いが変わっていった。コーデリアを主人公として取り扱う美談のような物語は増えているのに、コーデリアへの対応だけが変わることに怒りを覚えた。
なのに、当事者であるコーデリアはずっと笑っていた。その気持ちをヒユノーが推し量ることは結局死ぬまで、いや死んでも出来なかった。ただ、聖女と呼び続けながら対応を変えていく人々と、そのきっかけを与えた魔王への怒りの気持ちは生まれ変わっても抱き続けている。
そもそも魔王がいなければ王国は侵攻されることもなかった。魔王が戦う姿を一目見たコーデリアが「魔王を止めましょう!」と言うこともなかった。コーデリアが死ぬその時まで理由は教えてくれなかったが、魔王がいなければあんな命の契約を結ぶこともなかったのに。
ヒユノーが魔王を恨むのは当然のことなのだ。名前を聞いた瞬間に過去を思い出して怒りの炎を燃やしてしまうくらいには。もう二度とコーデリアと会わせたくはない。何に変えても。
だから衝動的にメーチェに掴みかかった。指が食い込むほど両肩を掴む。
「い、いたっ……」
「メーチェ! そのジョンドという人はどこにいるの!!!」
「え、えっとぉ……」
「お願い! コ、ルティア様の安全がかかっているの!!!」
メーチェが痛みから顔をしかめたのが視界に入ってもヒユノーは止まれなかった。また手の届く範囲にいたはずの大切な人がジョンドのせいでどこかに行ってしまうかもしれない。幸せになれなくなってしまうかもしれない。そう思うと止まっている時間なんてなかった。
言っていいのか悩むみたいにメーチェは視線を泳がせていたが、痛みに観念したのか渋々といった雰囲気で口を開く。
「う、裏路地ですよ~? そこに座り込んでいた方がジョンド様という……」
「ありがとう!」
メーチェから場所を聞き出すとヒユノーはすぐに掴んでいた肩を離すと言葉の途中にも関わらず、その場から駆け出した。人の話はちゃんと最後まで聞く、と幼い頃のルティアに注意していたヒユノーの面影はない。今ヒユノーの脳内にあるのはジョンドが本当に魔王か確認し、魔王だった場合の対処方法だけである。
いざという時にルティアの教育係を辞める覚悟もこの短い時間で決めていた。
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