第一章

第1話・ルティアは何も覚えていない

 何故全て私が断言出来ないかというと、私には聖女コーデリアだった頃の記憶が全くないからだ!

 物心が付いた頃からヒユノーは私と二人きりになると頻繁に「コーデリア様、私のことを覚えていませんか?」「コーデリア様、こちらは生まれ変わる前に好きだった料理ですがお口に合いませんか?」などと言ってきていた。その頃の記憶はもうだいぶ曖昧だが、全てに首を傾げたか横に振っていたような気がする。

 それを何回も繰り返すうちにヒユノーも私の記憶が本当にないことを察したのだろう。私の教育係になったばかりの頃はかなり甘やかしてくれていたのに、今では過保護と教育熱心が合わさって大変な存在になっている。私がどこに行くにも何をするにもヒユノーの許可を求められる。

 こんな生活が続けば毎日に嫌気が差すというものだ。だから私はヒユノーの目を盗んで家を抜け出したりしている。ヒユノーは頭こそいいが体力はない。使える魔法だって回復魔法が主なのだ。最初の瞬間さえ逃げ切ればヒユノーに追いつかれることはまずない。……街中で偶然見つかってしまうことはあるけれど。


 そうして私は街までやってきた。

 私の家は名家ではあるけれど、市民の皆様に顔が知れ渡っているほど位の高い名家ではない。とはいえ私は日々を暮らしていくうえで不便を感じたことは全くなく、ヒユノーの過保護がいきすぎていること以外にこれといった文句もなかった。まあ、だからこそ服装が余程華美でなければ街に出てしまえば誰に騒がれることもなく満喫出来るのだけれど。

 さて、今日は何をしようか。

 ルッツやミシェのところに遊びに行ってもいいけど、今日はちょっと街を探検してみたい気分だ。前に探検しようとしたときは途中でヒユノーに見つかったからその時のリベンジといこう。

 そうと決めた私は早速目の前にあった角を曲がった。万が一迷っても出会った人に道は聞けばいいのだ。ルッツやミシェと初めて出会った時もウロウロしていた私に二人が声をかけてくれたことがきっかけだったのだから。

 行き先も決めずひたすら視界に入った角を曲がって進んで行けば表通りとは違って、あまり太陽の光が通らず薄暗い。家や店の裏側ばかりが見えてどうやら裏路地と言われるところにたどり着いてしまったらしい。

 裏路地はヒユノーだけでなく姉様からも危ないから行っちゃダメだと言われていた場所だ。言っていたのがヒユノーだけなら私は間違いなく積極的に裏路地を探してでも行っていたと思う。でも姉様まで言っていたから今の瞬間まで踏み入ったこともなかった。だから私はここで引き返すべきなのだ。

 引き返した方がいい。そう分かっていても私は見たことのない世界が気になってしょうがなかった。普段ヒユノーの目が光っている範囲にいるから行ったことのない場所という時点で胸が騒いでしまう。何よりヒユノーにバレて何か言われても私はもう痛くも痒くもない。……でも、姉様に悲しまれたら私も悲しい。

 悲しむ姉様とこの先の世界が気になるという気持ちを天秤にかける。姉様に、姉様にバレないうちに、姉様が悲しむようなことが起こる前に戻るから少しだけこの先に進むことを許してほしい。私が裏路地に入ってしまったのは本当に偶然で、だから正面の角を曲がってみたら帰るから。そこまでは行ってみたい。何もなくても引き返すし、何かがあったら走って逃げるから。

 私はそうやって自分の行動に理由付けをすると正面の角に向かって足を進めた。

 晴れの日の昼間に薄暗い外を歩くことなんてしないからどこか緊張する。奥の暗がりから今にも何かが出てきそうな。それこそ聖女コーデリアの物語に登場する昔は存在したと言われている魔物とか。

 私以外の家の子供は幼い頃に悪いことをすると「魔物に襲われるよ」などと言ってしつけをされるらしい。私はコーデリアだったらしいので、ヒユノーからそんなことを言われた記憶は全く無いのだけれど。

 でも、こうして暗い場所にいると本当に魔物が出てきそうな気持ちにもなる。本の挿絵でしか見たことない、怖くて人を見かけたらすぐに襲いかかってくる魔物が。

 真面目に考えてこんなところに実際に魔物がいたら騒ぎになっているはずなのだが、このときの私はそこまで頭が回っていなかった。ただ、初めての場所を歩くワクワクで気持ちが高ぶっていたのだろう。魔物に襲われたいと本気で考えたわけじゃないのに、曲がり角の奥に何かがいることを期待してしまっていた。

 正面の曲がり角が近付く度に私の歩く速度がゆっくりになる。いつの間にか手をしっかりと握りしめていて、うっすらと汗をかいている気もする。そして曲がり角の奥が見えないギリギリの場所で足を止めた。息を大きく吸ってから吐き出す。

 何もなくてもここで引き返す。私がそう決めて大きく一歩を踏み出すと奥の暗がりの世界を見た。

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