第2話
森の中を、一本の坂道が貫いている。左右に立ち並ぶアージュ(桐)の木は、淡い紫色の花を満開に咲かせていた。
その道を、一人の少年が駆竜を連れて歩いている。カラルだ。首には黒い鱗の飾りを提げている。
「綺麗だなぁ、リーハ」
カラルは立ち止まって、後ろにいる駆竜を見た。リーハというのは駆竜の名前だ。
リーハは花など見向きもせず、じっとカラルの目を覗いていた。それから、早く歩けと言うように、鼻先でカラルの額を小突いた。
「こいつぅ」
カラルは苦笑し、再び歩きだした。一歩歩くたびにリーハの両脇にぶら下げてある荷物が跳ね遊ぶ。
しばらく歩くと、ぷつりと森が途切れた。小高い丘が、はるか彼方の灰色の山脈にぶつかるまで、波のように幾重にも連なっている。
丘の間を縫って続く道の先に、小さな集落が見えた。カラルの暮らす〝竜の里〟だ。
不意に、リーハが立ち止まり、鼻を広げて辺りの匂いを嗅ぎ始めた。
「どうした、リーハ?」
近くに野犬かなにかがいるのだろうか。しかし、周囲にはそのような気配は無い。
すると、坂を駆け上がるように、湿った風が吹いてきた。風の吹いてきた方を振り仰ぐと、もくもくと黒い雲が膨れ上がっていくのが見えた。
「入道雲だ……!」
カラルは慣れた動作でリーハをしゃがませると、その背中に軽々と飛び乗った。
「重たいかもしれないけど、我慢してくれ」
走り始めてから間もなく、里の入口が近づいてきた。雨雲はまだ森の向こうにある。
里に着くと、カラルはリーハの背から降りて額を撫でてやった。
「ありがとうな、リーハ」
リーハはグッグッと喉を鳴らしてカラルに甘えた。
ひとしきり戯れてから、カラルは荷物を下ろすために足早に自分の家へ向かった。
里の大通りは、石造りの家々や小さな屋台が立ち並び、多くの人々が行き交っている。
にぎやかな通りをまっすぐ進んでいると、後ろから声をかけられた。
「よぉカラル。お前の竜飼いとしての姿も板についてきたな」
振り返ると、武骨な大男が立っていた。短く刈りこんだ黒髪と、太く逞しい腕が、いかにも武人らしい雰囲気を漂わせている。
「カシールさん、こんにちは。俺はまだまだ見習いですよ。父にも及びません」
カシールと呼ばれた男は、挨拶を返してからカラルに訊ねた。
「急いでるようだけど、何かあるのか?」
「雨が降りそうだったんで、急いで荷物を置きに帰らないとって思って。あ、あと雨具も取りに」
カラルは森の向こうの入道雲を指さす。カシールもその指の先に視線を向けた。
「おお、随分でかいな。こりゃあ土砂降りになりそうだ。お前の親父にも伝えといてやらないとな」
「父さんはどこか出かけているんですか?」
早く歩きたくてそわそわしているリーハをなだめながら訊いた。
「長老の家にいるぜ。長くなるだろうなぁ」
父が新年の挨拶以外で長老の家を訪れるなんて珍しい。
「何を話してるんでしょうか」
「そりゃあ……お前が知ったらびっくりするような話だろ」
カシールは眉をくいっと上げてみせた。
「いやいや、こんな引き留めちまって悪かったな。〝竜舎〟にも行かなきゃいけないだろ?」
そう言って、カラルに手を振りながら長老の家の方へすたすた歩いて行ってしまった。話をはぐらかされたようで、何だかもやもやした。
カシールには聞きたいことがあったが、空も薄っすら曇り始めたのでカラルは家に向けて歩き始めた。
大通りを途中で左に曲がり、しばらく歩くと家もまばらになってきた。それから間もなくカラルの家が見えてきた。
リーハを家の柱につなぎ、荷物を下ろした。
玄関に荷物を放り、壁に掛けてある編み笠と麻の外套を引っ手繰ると、そのまま外に飛び出した。
綱をほどき、リーハに跨る。荷物を背負っていた時よりもさらに速く駆け出した。
小高い丘の上に、一際大きな建物が二つ並んでいる。
一つは竜舎。駆竜を飼育するための建物だ。
そしてもう一つは
竜舎はなだらかな三角屋根が被さっており、正面に二枚組の大きな引き戸が設けられている。
竜舎の前まで来たとき、空は完全に灰色に染まっていた。
カラルが戸を引き開けると、中には左右六つずつ、計十二の房があった。房の中で駆竜たちががもぞもぞと動いている。
そのまま奥の空房までリーハを引いていった。
「よしよし、いい子だ」
素直に房の中へ入ったリーハの喉やら額やらを執拗に撫でまわす。リーハも満更ではないらしく、気持ちよさそうに目を細めている。
それから、カラルは竜舎に備え付けられている保管庫から羊肉を一塊持ってきて、リーハに食べさせた。刃物のような牙で肉を引き裂き、美味そうに咀嚼する姿は、見ている方もお腹が空いてくる。
ゴロゴロっと腹に響く音が辺りに轟いた。それを合図に、雨が屋根を打ち付ける音がしきりに聞こえ始めた。
「笠じゃ無理だな……」
カラルは竜舎で雨宿りをすることにした。
窓から房に目を戻すと、リーハは既に肉を食べ終えていた。雨も雷も気にせず、体を丸めて大きなあくびを一つ。
カラルはリーハの身体に頭を預け、そのまま目を瞑った。ひんやりとした鱗の感触が気持ちよかった。
リーハが呼吸をするたびに、頭が持ち上がったり沈んだりを繰り返す。まるで揺りかごのようだ。
(ずっとこんな日々が続けばいいのに……)
リーハの寝息を聞きながら、カラルは深い眠りに落ちた。
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