第40話 ひまりの奇跡

事件の翌朝。

俺は、ここ数週間で初めて、明確な目的意識を持って校門をくぐっていた。

『小鳥遊ひまりの問題を、今日中に、完全に終わらせる』

そうでもしない限り、俺の脳内にこびりついた彼女の顔が消えず、俺の平穏な日常は永遠に戻ってこないと、昨夜、嫌というほど悟ったからだ。これは、俺の平穏を取り戻すための戦いだ。


しかし、俺の計画は、開始早々、お決まりの妨害によって足止めを食らった。

「――おはよう、影山くん。少し、時間をもらえるかしら」

校門の脇にある桜並木の下で、腕を組んだ白金姫奈が、俺を待ち伏せていた。



俺たちは、人のいない中庭のベンチに、少しだけ距離を置いて座っていた。

「昨夜、元教師の折谷先生から、正式な形で生徒会へ全ての事実をまとめた報告書が提出されたわ。これを受け、生徒会は十年前の『事故』に関する再調査委員会を設置することを決定した。小鳥遊隼人くんの名誉回復と、葵さんの治療に対する学園としての全面的な支援を、約束する」

「はあ、そりゃどうも。良いことじゃないですか」

他人事のように相槌を打つ。

「影山くん。あなたなのね?」

「……なんのことだか」

姫奈は初めて、生徒会長の仮面を外し、一人の少女として、俺をまっすぐに見た。

「……どうして、分かったの?」

その声は、静かだが、強い好奇心に満ちていた。

「事故の真相だけじゃない。小鳥遊さんの、あのスキルの本当の力のことまで。あなた、一体、何者なの?」


また、この質問か。

俺は、練習してきた模範解答を、いつものように口する。

「さあ……? なんとなく、ですよ。Gランクの俺に、難しいことは分かりません」


「……そう」

姫奈は、それ以上は、俺を問い詰めなかった。

ただ、深い、深いため息をつくと、どこか呆れたように、そして、ほんの少しだけ、楽しそうに笑った。

「あなたは……本当に、私の人生で出会った、最も非論理的で、最も腹の立つ人間だわ」

なぜか、その言葉には、以前のような敵意を感じることはなかった。





放課後。

俺は、計画通り、一人で中庭へと向かった。案の定、彼女はそこにいた。

ひまりさんは、あの黒ずんだ花壇の前で、一人、ぽつんと佇んでいた。その姿は、まるで迷子の子供のようで、昨日よりも、もっとずっと、儚く見えた。


「……影山、先輩?」

俺の存在に気づいた彼女は、驚いて、そして少しだけ怯えたように、肩を震わせた。


俺は、いつもの面倒くさそうな態度で、しかし、彼女の目をまっすぐに見つめて、切り出した。

「ひまりさん。十年前、ここで何があったか、俺は全部知った」


ひまりさんの瞳が、大きく見開かれる。

俺は、淡々と、感情を一切交えずに、俺が突き止めた事実だけを告げる。

「あんたの兄貴、小鳥遊隼人。彼の幼馴染の、葵さん。兄貴が、彼女を救うために進めていた研究。そして……あの日、ここで起きた、事故。学園の隠蔽。……あんたが、その場にいたことも、全部」


「あ……う……」

蓋をしていた記憶の奔流が、彼女の心を破壊する。

「ごめんなさい……ごめんなさい……! 私の、せいで……! 私があの場所にいなければ、お兄ちゃんは……葵ちゃんは……!」

彼女はその場に崩れ落ち、十年分の罪悪感を吐き出すかのように、嗚咽を漏らした。


俺は、優しい言葉をかけたり、その肩を抱いたりしない。そんなのは、俺の柄じゃない。

ただ、彼女が、子供のように泣きじゃくるのを、黙って、最後まで、待っていた。


やがて、その嗚咽が、小さくしゃくり上げる声に変わった頃。

俺は、しゃがみこんで、彼女に視線を合わせた。

「……別に、あんたのせいじゃないだろ」

それは、慰めとは程遠い、あまりに無機質な声。

「兄貴が決めたことだ。学園が隠したことだ。あんたは、ただそこにいただけの、ガキだった。十年も、そんなことでウジウジ悩んでる方が、よっぽど、非効率だ」


冷たい言葉。

同情ではない、偽りのないその言葉こそが、彼女の心を縛り付けていた罪悪感の鎖を、静かに解きほぐしていく。


「それに」と、俺は続けた。

「あんたの兄貴は、失敗なんかしてない。その証拠が、この下には眠ってる。そして、それを咲かせられるのは、世界であんた一人だけだ」


彼女のスキルは、ただの【動物親和】ではない。もっと根源的な【生命親和】の力。

「この土が『悲しい』って感じたのは、あんたが、ここに眠る歪んだ生命の叫びに、無意識に共鳴してたからだ。……さあ、どうする? このまま、悲しい記憶と一緒に、あんたの兄貴の想いも、ここで腐らせておくのか?」


ひまりさんは、涙に濡れた瞳で、ハッと顔を上げた。


「……ここにお兄ちゃんが」


彼女は、おそるおそる、その黒ずんだ土に、震える手を伸ばした。


誰にも見られていない。ここには、俺と彼女の、二人だけ。

俺は、彼女の勇気を後押しするため、誰にも気づかれぬよう、ほんの少しだけ【絶対領域】の力を使った。優しい光が、彼女を包む。


「お兄ちゃんお兄ちゃん……」


すると、奇跡が起きた。

ひまりさんの手から、暖かく、そして、太陽のような優しい光が溢れ出す。

死んでいたはずの土から、一本の緑の芽が、力強く芽吹いた。それは驚異的な速さで成長し、やがて、誰も見たことのない、淡い虹色の光を放つ、花を咲かせた。


「うぅぅおにいぢゃん」


咲き誇る奇跡の花を見て、ひまりさんは、心の底から解放された涙を流していた。

そして、彼女は俺を見た。

分かっていた。

彼の動機が、彼自身の「平穏のため」という、あまりにも利己的なものだと。

でも、それでも、自分のために、ここまで面倒なことをしてくれた。


「ふぅ……。終わったな」

奇跡の花を前に、俺は一つ大きなあびをした。

「これで、あんたも、もうあんな悲しい顔しなくて済むだろ。俺も、やっと静かに眠れる」


目的を達成した俺には、もうここに用はない。

「じゃ、俺、帰るわ」

俺は、さっさとその場を立ち去ろうと、背を向けた。


「ま、待ってください、先輩っ!」


今まで聞いたことがないくらい、はっきりとした、そして、少し潤んだ声が、俺の背中を呼び止めた。

その瞳には、涙と、そして、生まれたばかりの、強い光が宿っていた。


「あ? まだ何かあんのかよ」


俺が、心底面倒くさそうに振り返ると、彼女は、どこか決意を固めた顔で、顔を上げる。

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