第38話 心に刺さった棘
資料室での議論が、俺のあずかり知らぬところで白熱していく。
姫奈が、レンが、シオリが、それぞれの正義と論理を戦わせている。
(……今だ)
俺は、天才たちが面倒な話し合いに夢中になっている、その一瞬の隙を見逃さなかった。
音もなく、気配を殺し、まるでその場に最初からいなかったかのように、そっと後ずさる。俺のGランクスキル(という名の存在感の希薄さ)が、今、最大限に輝く時。
誰にも気づかれることなく、俺は完全にその場から離脱することに成功した。
「―――っはぁ! 自由だ! これぞ平穏!」
自室のドアを開け、乱暴に閉め、鍵をかける。
外の世界からの雑音を、完全にシャットアウトする。
俺は、久しぶりに心の底から解放感を味わいながら、制服を脱ぎ捨てた。
汗と、埃と、そして何より、面倒な人間関係の匂いが染み付いたそれを、洗濯カゴに叩き込む。
シャワーを浴びて、今日一日の厄介ごとを全て洗い流すと、着古してヨレヨレになったTシャツとスウェットに着替えた。
これぞ、俺の戦闘服。
怠惰なる日常を戦い抜くための、最高の装備だ。
キッチンへ向かい、冷蔵庫からキンキンに冷えたコーラと、ポテトチップスの大袋を取り出す。戸棚の奥から、最後の一個だった激辛カップ焼きそばも取り出した。完璧な布陣だ。
これこそが、俺が三度の飯より愛する、怠惰のフルコース。
自室に戻り、カーテンを閉め切って、部屋を薄暗くする。
ベッドに倒れ込み、やりかけだった魔王を倒す系のRPGの電源を入れた。
コントローラーのボタンを押す、カチリという小気味いい音。テレビ画面に映し出される、ありきたりだが胸躍るファンファーレ。
これだ。これこそが、響レンが奏でるどんな名曲よりも、俺の心を癒やす至高の音楽。
俺は、誰にも邪魔されない世界で、ひたすらレベル上げに没頭した。
一時間、二時間……。迫り来る面倒な現実から目を背けるように、俺はただ、仮想の世界に逃げ込んだ。熱い焼きそばをすすり、コーラで流し込み、ポテトチップスをかじる。この背徳的な美味さが、自由の味だった。
洞窟の奥で伝説の剣を見つけ、巨大なドラゴンを討伐し、囚われの姫を助け出す。ゲームの中の俺は、紛れもない『最強』の勇者だった。現実とは大違いだ。
深夜になり、ラスボスである魔王をついに撃破した。
画面に流れる、感動的なエンディングロール。壮大なオーケストラの音楽。
「……ふぅ」
俺は、コントローラーを置くと、ベッドに大の字になった。
やりきった。完全な達成感。完璧だ。
ゲームのBGMが途切れ、ふと訪れた静寂の中。
不意に。
まるで心の染みのように。
脳裏をよぎる。
ひまりさん。
花壇の前で俯いていた、あの顔。
どうしようもない悲しみ。
助けを求めるような、迷子の子供。
「……」
さっきまでの達成感は、急速に色褪せていく。
代わりに、胸の奥に、鉛のような重い何かが、居座り始めた。
「……うっとうしいな、マジで」
俺は、ガシガシと頭をかきむしった。
なんで、俺が他人の悲しい顔なんて、気にしなくちゃいけないんだ。
俺には関係ない。
彼女の、家族の、プライベートな問題だ。俺が首を突っ込む義理も、理由もない。
分かっているのに。
あの表情が、頭にこびりついて、離れない。
俺が何より愛する、この完璧な休日の終わりを、不快な後味で汚していく。
それは、俺にとって、何よりも耐え難い『面倒ごと』だった。
俺は、バッとベッドから起き上がった。
「……ああ、もう! 分かったよ、分かった! これをどうにかしない限り、俺の平穏は戻ってこないってことだろ!」
まるで、部屋に巣食った害虫を駆除するかのように。
俺は、俺自身の心の平穏を取り戻すため、この面倒ごとの根源を、排除することを決意した。
姫奈たちと行動するのは、会議や議論が多くて面倒だ。
一番早くて、一番楽な方法は。
俺は、自室のデスクに向かい、ノートパソコンを開いた。
そして、目を閉じると、意識を、学園の巨大なデジタル・アーカイブへと接続する。
「――【絶対領域】、情報収集モード、起動」
物理的なハッキングなど、面倒なことはしない。俺は、ネットワークという情報の海を、支配する。
検索窓に、二つの単語を打ち込んだ。
『小鳥遊隼人』
『旧理科棟』
数秒後。何重にもプロテクトがかけられた、『事故報告書』が、俺の前にその内容を晒した。
黒く塗りつぶされた検閲の奥にある、本当の真実。
『――被験者であった幼馴染の少女が、暴走した実験植物に飲み込まれ、意識不明の重体』
『――責任の所在を、実験の主導者であった小鳥遊隼人に一本化し、自主退学処分とする』
『――全ての研究資料、及び、暴走した植物体は、旧理科棟下の埋設地に極秘裏に廃棄』
そして、事故当日の『現場聴取対象者リスト』。
そこには、三人の名前が記されていた。
『小鳥遊隼人』『当時の科学部顧問・折谷教諭』
そして――。
『――小鳥遊ひまり』
「……はっ」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
「隠蔽、トラウマ、幼馴染……。ラノベの悪役みたいなこと、してくれてんじゃねえか、この学園は」
俺は、ファイルに添付されていた、幼い頃の、兄と楽しそうに笑うひまりさんの写真を見つめた。
そして、今日見た、あの悲しい顔を思い出す。
「……はぁ」
俺は、普段のため息とは違う、腹の底からの、重いため息をついた。
「どうやら、俺の完璧な平穏は、正式に取り消しになったらしいな」
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