第37話 逃げ出した小鳥

「ご、ごめんなさい……! わ、私……!」


ひまりさんは、それだけを言うと、俺たちの制止を振り切って、逃げるようにその場を走り去ってしまった。


後に残されたのは、気まずい沈黙と、黒ずんだ土が広がる、悲しい花壇の一角だけだった。

「……ふむ。怯えた小鳥、か」

響レンが、面白そうに、しかしどこか冷めた目で、ひまりさんが走り去った方を見つめる。

「あの花壇は、やはり、ただの土ではないらしいな」

「……彼女、本当に怖がっていた。悲しんでいるだけじゃなかった」

シオリも、静かだが、心配そうに呟いた。


「この件は、もはや単なる美化委員会の管理不行き届きではないわ」

姫奈が、生徒会長としての厳しい顔で断言した。

「一人の生徒が、あれほどまでに心を乱している。その原因が生徒会が管理する敷地内にある以上、看過することはできない」


その、あまりにも真面目で、面倒くさそうな結論。

俺は、この空気を読んで、そっと、その場からフェードアウトしようと試みた。


「――というわけで、あとは会長たちプロにお任せします! 俺は弁当箱も返したし、これにて」

「どこへ行く気かしら、影山くん?」

ピタッ。

……。

俺の背中に突き刺さった、絶対零度の声。

「……家? もう放課後ですし……」

「馬鹿なことを言わないで。あなたの、その妙な『』が、この問題のありかを嗅ぎ当てたのよ。あなたも、この原因究明の当事者の一人だわ」

「そうとも」レンが、楽しそうに同意する。

「Gランクの預言者が、新たな神託を下したのだ。我々、聡明なる神官たちが、その意味を解き明かさねばなるまい。お前は、ここから一歩も動くことは許さんぞ、道化師」


(神託だの道化師だの、好き勝手言いやがって……!)



結局、俺たちは、この「悲しい花壇」の謎を解明するため、学園の古びた資料室へと向かうことになった。

姫奈が、生徒会長権限で、過去十年分の学園の敷地造成に関する資料を閲覧する。レンとシオリも、それぞれ別の角度から、過去の学園新聞やアルバムを漁っている。

俺は、といえば、部屋の隅の椅子で、いかに気配を消して居眠りできるかという、高度なミッションに挑戦していた。


「……見つけたわ」


数十分後。姫奈の、静かだが、確信に満ちた声が響いた。

彼女が広げたのは、今の中庭が造成される、約十年前の、古い学園の設計図だった。

そして、例の枯れた花壇があった場所。そこには、今とは違う、無機質な文字が記されていた。


『旧理科棟・標本埋設処分地』


「標本埋設処分地……」

レンが、その言葉を繰り返す。

「薬品の匂いがしたのは、そのせいか。古くなった標本を、薬品処理して埋めていたのだろうな。実に、夢のない話だ」

「ええ。土壌が汚染されているのなら、植物が育たないのも当然よ。でも……」

姫奈は、険しい顔で首を傾げた。

「それが、なぜ、あの子のあんな反応に繋がるの? ただの、古い標本の処分地が、彼女のトラウマになる理由が、分からないわ」


謎は、解けたようで、さらに深まった。

事件の核心は、この土地が『何であったか』ではなく、『なぜ、それがひまりさんを苦しめるのか』という点にある。


その時、それまで黙ってアルバムをめくっていたシオリが、ぽつりと呟いた。

「……小鳥遊さんのお兄さん。たしか、ここの卒業生だったはず」


その一言に、部屋の空気が変わった。

姫奈は、ハッとした顔で、手元のタブレットで、過去の在校生リストを検索し始めた。


「……いたわ。小鳥遊隼人はやと。在籍期間は、十一年前から九年前。旧理科棟が使われていた時期と、完全に一致する」

姫奈が、息を呑む。

「所属は、科学部……。そして……在学二年次に、『一身上の都合』で、自主退学している」


旧理科棟。標本の処分地。

そして、その時代に在籍し、忽然と姿を消した、ひまりさんの兄。


(……家族の問題かよ)


俺は、眠気も吹き飛ぶ、その最悪の展開に、心の底から悪態をついた。


(学園の謎とか、世界の危機とかより、よっぽど面倒くさいやつじゃないか……!)

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