2話 デウスの下町

街道を下るにつれて、銀灰色の壁と角ばった塔が近づいてきた。


門柱は古びた合金で補強され、表面の溶接跡が斑に残る。


銃のような武器を持った見張りは寡黙で、胸当ては擦れて鈍く光り、


制服の袖には細かな修繕の縫い目が走っている。


「教会関係者か、いいだろう。通れ!」


(教会関係者?このプリーストローブを着てるから勘違いされたのか...


それなら遠慮なく通らせてもらうわ)


門をくぐると、内部は“都市”というより、歯車の油が切れた機械の腹の中のようだった。


金属板と石材の継ぎ目からは錆が広がり、


配線を隠すための樹脂パネルはところどころ割れている。


通りを吹く風は乾いた粉塵を運び、遠くでは発電機の低い唸りが途切れ途切れに響いた。


「……これ全然ファンタジー世界じゃないわね…」


門番を見た時から抱いた違和感は、街並みを見て確信へと変わった。


路地の間には配給所の列が蛇のように延び、端末の前で人々が順番を待っていた。


縦長の筐体には《有機物生成》と刻まれ、画面には《標準出力制限》の文字が点滅する。


排出口のトレーに落ちるのは栄養ブロックと薄い水袋だけ。


「一人一回までの配給だからな!それ以上もらおうとする者は厳罰だと忘れるな!」


不思議な機械の横に門番と同じ装備をした警備兵が食料を取りに来る人を見張っていた。


子どもたちは空になった容器を玩具代わりに転がし、痩せた犬がその音に顔を上げる。


井戸の周りでは咳が連なり、布で口元を覆った老女が肩を震わせていた。


「……ここは一体?」実佐は息を整え、


目の前に広がる貧困の光景を心を痛めながら観察していた。


白い石の聖堂が中央にそびえ、尖塔の輪郭を縁取るように薄い光環が滲む。


正面の扉の上には《MINERVA》の名。


周りのずさんな建物に比べてあまりにもそこだけが異様に立派だった。


「ミネルバ教の人?」


背後から声がした。振り向くと、小さな少女が見上げていた。


十歳ほど、髪は短く刈られ、袖はほつれ、靴は片方だけ。


だが瞳はまっすぐで、迷いがない。


「お願い、薬持ってる? お母さんがずっと熱で……


配給所じゃ薬をくれないの」


「薬はないわ。でも、病気なら、私が治せるかもしれない」


「ほんとに? じゃあ、来て!」


少女に手を引かれ、路面の剥がれた通りを抜ける。


壁の陰には簡易ベッドが並び、布片を巻いた腕や脚がちらりと見える。


先に進むと、居住区の一角に入った。コンテナを積み上げて作られた二階建て。


ドアは単純な鉄板で、鍵はつっかえ棒。少女は迷いなく押し開けた。


薄暗い室内、簡易ヒーターの弱い熱。寝台には青年の衣服を繕った跡がある。


奥の寝具に、青白い顔の女性が横たわっていた。


呼吸は浅く、額に冷や汗、瞳は焦点を結ばない。


喉の腫れと皮膚の斑点、微熱の波。実佐は脈を取り、手を離す。


「お母さん良くなる?」少女が不安げに覗く。


「うん。多分大丈夫よ。これは悪いばい菌に感染してるの。治してみるわね」


実佐は杖を軽く掲げ、静かに心の中で言葉を唱えた。


「ディスペル」


微光が女性の周囲に網目模様を描き、空気の澱みがふっと剥がれる。


皮膚の斑が消え、喉の腫れが引き、荒い息が整っていく。


女性の目がゆっくりと開き、最初に娘の名を呼んだ。


少女は涙を流しながら笑い、母の手を強く握った。


「ありがとう……あなたは教会の治療師?」と母親が不安げに実佐に問いかける


「違うわ。私は旅の者よ。でも、治療はできるから安心して」


「ミネルバの祝福じゃないの?」


「そう思ってくれてもいいけれど、私は教会の人間じゃないわ」


周りの人がひそひそと呟く。


「教会の治療は光導管で光を集めて術式を展開するものよ。


そのため光があまりない夜や建物内だと効き目が弱くて、


装置がないと何もできないはずなのに...今のは……道具を使っていなかった」


実佐は短く頷く。


「私は道具が必要ないわ」


「そんなこと、奇跡の力としか言えないわ!」女の目が輝いた。


周りで様子を見ていた近所の人々が、いつの間にか入口を埋めていた。


「なんだあの治療は」


「装置なしで、光が出てた」


老人が帽子を胸に当て、深々と頭を下げる。


「ここから離れたところに、腕を失くした大けがをした元兵隊がいる。


誰も相手にしてくれないのだが見てやってはくれないか?」


「お願いだ、あっちの小屋で娘が寝てるんだ。ずっと咳が止まらなくて」


「俺の弟は怪我が膿んでる、もう腕を切るしか方法が……」


実佐は頷いた。


「順番に行きましょう」


午後いっぱい、彼女は路地から路地へと移動した。


ディスペルで熱と病を払い、ヒールで傷を癒し、


場合によってはエリアヒールで混雑した狭い室内をまとめて癒す。


術式の余韻は手の内に残り、MPの減少と共に頭の後ろが軽く痺れる。


だがインベントリの中のマナリーフがそれを支える。


小片を舌の上で溶かすと、額の霞が晴れ、ステータスで減ったMPが回復していった。


治療を続けていた途中で突然ウインドウが目の前に浮かび上がった。


――LEVEL UP:Lv2――


ステータスが魔力とMPを中心に上昇していた。


(治療をするとゲームで言う経験値が入るみたいだわ)


実佐自身にも治療をする事にメリットを感じた事もあり、更に治療を続けた。


通りの角では、痩せた少年の膝の裂傷をヒール二回で塞ぎ、


工房の裏手では金属片で裂いた掌を縫わずに閉じた。


道端で発熱の幼児が母の肩に顔を埋めていた。


ディスペル一回、ヒール一回。母は何度も礼を言い、袖で涙を拭いた。


最後に、老人が言っていた兵士の小屋に着く。


扉を開けると、乾いた血と油の匂いが混ざる。


ベッドに横たわる男は、右腕が肘から先ごと、左脚が膝から下ごと失われていた。


断端は古く、無数の失敗した包帯の跡が皮膚に刻まれている。


目だけが鋭く、こちらを測るように向けられた。


「噂の治療師か。悪いが、ほっといてくれ。


こんな状態じゃあ長く持たない事ぐらい分かっている」


「痛みは?」


「あるが慣れた。動けないままゆっくり死ぬのが一番きつい。いっそとどめをさしてくれ」


実佐はゆっくり口を開く。


「諦めないで、治せるかわからないけど精一杯やってみるわ」


「ヒール!」


光が断端に宿り、血色のない皮膚に生彩が戻る。


筋束が芽吹くように伸び、微かな痒みを伴って組織が満ちていく。


再びヒール。


指の形が輪郭を取り戻し、爪が薄く光を反射した。左脚も同様に、段階的に構築される。


男は息を呑み、握った拳が震えた。


「……指が……動く……脚も……」


室内にいた者たちが壁にもたれて座り込み、誰かが嗚咽を漏らした。


男はしばらく言葉を失い、やがて首を垂れて、深く礼をした。


「本当に腕と足が治ってる!夢じゃないのか?」


「現実だわ。無理はしないで。少しずつ、慣らして」


――LEVEL UP:Lv6――


(今回は多くの経験値を得たわ。けがが重かったか、


それとも元兵隊さんのレベルが高かったからは確認する必要があるわね)


治療の光景を見てた人たちが一斉に叫んだ。


「こんなの教会の治療師でも見た事ないぞ!」


「そもそも教会の連中は俺らみたいな貧困層には治療なんかしてくれないだろ」


「奇跡だ!この方が教会の人でなかったら我々を救うために神様が送って頂いた救世主、


聖女様だ!」


実佐は生い立ちを説明しかけたが、言葉を飲み込む。


出自を語れば混乱を招く。異世界から来たなんて信じられるはずがない。


「私は聖女なんかではないですわ。ただの旅の者です。


なのでしばらくは、ここで困っている人を助けますわ。


その代わりに寝床と情報を頂けないでしょうか?」


周りの人は実佐の言葉を聞いていたが、


目の前の奇跡を目の当たりにして聖女と呼ぶ事をやめなかった。


そんな中元兵隊の事を教えてくれた老人が前に出て実佐の要望に答えた。


「もちろんできる限りの協力はさせてもらいます、聖女様」


老人の自宅に到着した実佐は薄い板状の端末を差し出しれていた。


「この端末には地図が載っています。


ちょっと古い情報ですがこの町近辺の地理は変わっておりません」


端末を起動させると、現在地に《DEUS》の名が記載されており、


南西には実佐が目覚めた森が表示されていた。


数字列の最後に、見慣れない桁。


《7025》


実佐は地図を縮小して世界全体を見た時、驚きのあまり思わず呟いてしまう。


「……この地図、地球だわ!ここは確かバチカンという国があった場所。


宗教国家の首都」


胸の奥で鼓動が早まる。喉が乾き、手のひらに汗が滲む。ここ知っている世界。


するとふとあの数字が頭を巡る。


7025


(まさか年号、5000年後の未来?!)


実佐が端末を持ちながら険しい表情をしているのを見て老人は言葉をかけた。


「聖女様、あなたの害になる事は致しません。安心してくださいませ」


老人の言葉で実佐の表情が少し穏やかになる


「ありがとうございます。少し外の空気を吸ってきますね」


実佐は空を見上げた。薄く白い雲が西へ流れ、遠くの壁面に月明かりが浅く当たる。


杖を握る手に力が入った。家族を探す。ここで生き抜く。


助けを求める手を、可能な限り掬い上げる。通りに灯りが増え、路地の影が濃くなる。


老人から提供された小さな寝床で目を閉じる前に、彼女は端末の地図をもう一度開いた。


《7025》の数字が再び表示され、薄い電子音が消える。


耳の奥に白い空間の少年の声が蘇る。


──楽しんできて


実佐は静かに呼吸を整え、見てきた場所を思い出していた。


配給所、居住区、工房、そして市場裏の倉庫で様々な人を治療しながら訪れていた。


尖塔の影が伸び、夜の風が町を洗う。彼女は眠りに落ちる直前、


すべての考えを胸の奥で一つに束ねた。家族の捜索、貧困層の治療、


教会を中心とした街、そして未来の地球。


そんな考えを巡らせながらデウスの下町で、実佐の一日目が終わった。

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