02.祈り

 出ていくばかりの島だ。入ってくるのは珍しい。

 彼が初めて私の隣に座ったとき日に焼けていない横顔を見て、太陽を反射する海の粒よりも眩しいものがあることを知った。


 最近やってきた転校生の来栖は私の隣の席になった。 

 おかげでちょくちょく話すようになり、改めて私の住んできた島が狭くて小さいと思い知らされた。

 来栖曰く、私たちの高校の全校生徒合わせても、彼の通っていた東京の高校の一学年の人数にも足りないらしい。全員の顔と名前を覚えられなさそうと言ったら、「それが当たり前なんだよ」と彼に笑われてしまった。


 島民全員が顔見知りみたいな世界しか知らない私からすれば、毎朝同じ校門をくぐるのに知らない人がいるのは想像もできないことだった。すれ違ったら、なんと言葉を交わせばいいのだろう。無視してもいいのかな。だとしたら、すごく気楽な世界だ。最近、そう思うようになった。


 なんとなく、私は来栖と話をするのが好きだ。彼のいた東京の話を聞くのも。私がこの島について話をするのも凄く好きだ。まだ彼の知らない冬に見える海の話をしたときの食い付きは「絶対に見てほしい」と念を押すほど愛おしかった。荒れた波が岩にぶつかる音に耳を澄ませる彼の横顔を想像するほど、できればその場に私も一緒にいたいと思った。


 恋をしている。自覚した。これが恋だ。オムツを履いていたころから一緒に過ごしていた男子たちには抱いたことのない独占欲を彼に抱いている。

 だけど、ここは小さな島だ。もし、誰かに私が来栖に恋をしているなんてバレたら、あっという間に島中に広まってしまう。比喩ではなく、本当に。これまで何度も私はその手の話題を人伝に聞いてきた。今度は私の番かもしれない。


 まだ、私にその覚悟は無かった。冷やかされるのも認められるのも、そんなことされたら私はすぐに彼が好きであることを皆に否定してしまうかもしれない。その皆には来栖も含まれている。一度でも否定すれば、彼は私の方を向いてくれない気がして怖かった。


 だから、私は彼としっかりと話をする時間を放課後の教室から学校の駐輪場の間までだと決めた。それもお互いに部活のない火曜と木曜だけ。週2回、合わせて15分にも満たない時間。


 私は自転車通学で、来栖はバス通学。私の家は彼の家まで通り道にあるのに、駐輪場か長くてもバス停で別れなくちゃいけないのがもどかしかった。


 来栖も自転車にしてくれないかな。そうすれば、もっと長く一緒にいられるのに。さすがに無理か。来栖の家は私の家からさらに坂を二つ昇り降りしたところにある。毎日自転車を漕ぐには現実味が無さすぎる。晴れた空の下を2人で自転車を漕いで帰る素敵な夢は実現しなさそうだ。


 梅雨が明けて、夏が姿を見せ始めたころ。数学の授業で欠伸をしていたら、開いた窓に夕立の匂いが差し込んできた。岬の方に大きな雲が見える。

 雨が降る。この教室にいる誰もが悟っただろう。珍しくもなにもない。家にいるお母さんたちは急いで洗濯物を取り込んでいるころだ。


 授業が終わるまでに晴れたらいいな。雨のなか自転車で帰るのは億劫だ。傘も持ってきていない。いっそのことバスで帰ろうかな……。


 ──バスで帰る?

 

 バスで帰れる! 眠気が吹っ飛んだ! 雨が降ればバスで帰れる! なんて言ったって自転車に乗るなんて馬鹿げているから!


 なんて自然な言い訳! いや、なんて当たり前のこと!

  

 私はコソコソと机の下でスマホを触って雨雲レーダーを検索する。授業が終わるまでに雲は島を覆っているけれど、降水確率は60%。ちょうど授業で確率をやっているけれど、赤い玉と青い玉が箱から出てくる話だ。それよりもこの60%がどれだけ信ぴょう性があるのかを教えてほしい。


 もちろん、そんなことはお願いできないし大事なのはこのまま雨が降り続けてくれることだ。

 静かだった昼下がりに雨音の連打が響き渡る。窓際の人たちが急いで窓を閉じて、教室が少し騒がしくなる。来栖も窓を眺めて「うわぁ……」と顔をしていた。


 そう言えば、来栖は傘持ってきているのかな? バス停から彼の家まで少し離れていたはずだ。だとしたら、ちょっと濡れてしまうな。折りたたみとか持ってきているのかな。もし、バスで帰れたら途中で私の家から傘を貸せるな……とか考えていたら、急に来栖がこっちを向いた。目が合った。


 うわ、なんだ。バレたか、私の魂胆。背中に薄い汗が滲む。

 

 気まずくなりながらも目を逸らせずにいると、彼の方から教科書に目を落とした。

 何だったんだいったい……。とても心臓に悪い一瞬だった。


 授業とHRが終わるまで、あと40分ほど。

 来栖がこちらを見た理由。読み取れなかった表情の意味を確かめる方法。

 

 考えても考えても答は出ない。直接確かめるほかない。でも、そんな勇気は出ない。

 

 どうしてこっちを見たの? あの時、どうして目を細めたの? そう聞くことは、もっと一緒にいてほしい、と同じ言葉だから。


 だから、私は祈り続ける。

 このまま、雨よ止まないでよと。

 

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