EP.ごちゃまぜないまぜ狭い部屋

白夏緑自

01.道化

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「だれを好きになるかを自分で選べたら、この世の幸せと不幸の九割は消えてしまうよ。恋なんて、だれもしなくなる」

『さよならピアノソナタ4』杉井光

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 新卒から入社して2年。仕事にもようやく慣れてきたころ。僕は初めて同期の沢田とサシで酒を飲んだ。

 きっかけは会社の飲み会終わり、最寄り駅が一緒の僕たちはまだ飲み足りないと駅近くのバーで飲み直したのがきっかけだった。


「でさ、岩下さんがひどいんだよ! この前もさ、ずっと前から約束してたデートすっぽかされたの! しかも埋め合わせが寿司! 銀座の!」

「銀座の寿司も悪くないんじゃないかな」

「水族館だよ水族館! 水族館の埋め合わせがお寿司って! 私はサメが見たかったのに! 連れてくなら中華だよ中華! フカヒレ!」

「生死は問わないんだ……」

 本心だかなんだかわからないボケに突っ込みつつ、僕は内心気が気じゃなかった。音量を絞ったスピーカーからジョン・レノンがダンスパーティーで恋に落ちた歌を歌っているなか、僕のフラフラと揺れる足は奈落に落ちそうだった。

 デート? 僕らの3つ上でとても頼りになる岩下さんと? もしかして僕はとても勝ち目のない勝負に挑もうとしているのか?


 それから程なくして、僕は勝負の土俵に立ててすらいなかったことを知る。沢田と岩下さんはとっくに付き合っているし、知らないのは部署内で僕ぐらいだった。なんだよ教えてくれよ。僕がバカみたいじゃないか。彼女に恋人がいることを知れていたら、とっくに諦めていたのに……。


 2か月経ったあとでも、僕はバカでいた。彼女からの飲みの誘いを断れずにいたのだ。今では週に1、2回は一緒に会社を出て、そのまま店に直行している。

 今日もその日だった。


「終わった? 残業ナシ? じゃあ一緒に帰ろ! じゃ、岩下さんお疲れさまでしたー!」

 沢田がわざわざ岩下さんを名指しで挨拶するのはもちろん当てつけだった。


 早足で出ていく沢田を追いかけるように僕もひやひやしながらオフィスを出る。一応、岩下さんにも挨拶をして。一応、何も知られていないと思っている岩下さんはこれから自分の彼女とサシで飲みに行こうとしている僕にも優しく「おつかれー。気をつけて帰れよー」と返事してくれる。

 その度に騙しているようで胸が痛かった。もしかしたら、あの人だって気づいているのかもしれないと想像するともっとずっと胸が痛む。お世話になっている人を背に出来るほど、僕は振り切れることができなかった。


 そろそろ僕たちの最寄り駅周辺で行く店も尽きてきて、いつもの居酒屋と言えるところができあがっていた。


 沢田が枝豆を口に放り込みながら愚痴る。

「この前も岩下さんが」いつもの前口上「一緒にご飯食べてるのにパソコン取り出したの!」うんうん、と頷き応答する。「しまいには私への返事までラインでやりだすし!」ジョッキを降ろすタイミングと頷くタイミングが重なる「ねえ、聞いてる?」


「聞いてるよ。でも、岩下さんだって最近忙しそうだし……。ほら、なんかトラブルに巻き込まれてたじゃん」

 僕もよせばいいのに、つい岩下さんの味方をしてしまう。実際、あの人は大変なのだ。僕も何度あの人に助けてもらったのかわからない。今日だって誰かの発注ミスをカバーするために工場まで頭下げに行っていた。


「そういう優しいところも岩下さんの良いところなんじゃないの?」

 それに、そんなところを好きになったんだろ? 原点に立ち返れ。あんないい人は他にいない。大事にしろよ。

 わずかなプライドが喉を塞ぐ。口にはしなかった言葉とプライドを1杯目の生ビールの底で腹に押し込む。


「それは、そうなんだけど……」

 言わずとも、沢田はわかっていたようだ。さっきまでの威勢は消えて、急激にしおらしくなる。

 目に見えて落ち込んでいる。痛ましすぎて見てられず、僕は慌てて言葉を探す。


「2人でいるときぐらい集中してほしいんだろ。それもわかるよ。相手にされないって寂しいもんな」

 思いついた慰めを伝えれば、向日葵の開花を早回し再生したみたいな速度で沢田に笑顔が灯る。

「そう! そうなんだよ! 忙しいのはわかるから、だったらせめてご飯食べ終わった後とかにしてほしい!」

なんてわかりやすい奴なのか。扱いやすいと言えば扱いやすいけれど……。


 今度は内心で岩下さんに訊いてみる。

 どうして、こんな奴がいいんですか? こいつはあなたの気を引くためにわざと見せつけるように他の男と飯を食いに行く女ですよ。面倒くさいでしょ。こんなにコロコロとコロコロと悲しんだり喜んだり。今日だって、あなたはどんな気持ちで会社に残っているんですか。もういっそのこと、ここに乗り込んできてくれよ。


 ──僕も同じか。どうして僕もこんな女を好きになってしまったんだろう。

 いつか僕の番がやってきたとして、沢田は同じことをするかもしれないのに。わかっていても一緒にご飯を食べに行くことが断れない。一緒に向かい合って話すことが楽しくて仕方がない。


 コロコロとコロコロと表情を変える姿が愛おしくて仕方がない。

 僕は恋人たちの恋心を再燃させるための演者でしかない。演じることで彼女の近くにいられるならば、僕は甘んじて道化を演じる。バカだって笑われようと、僕は笑ってほしい人が笑っていてくれるのがたまらなく嬉しいから。

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