さやの後悔

神社のある一帯の外れ。雑木林に囲まれた土地に、さやの家はあった。和風建築を想像していた俺は、面食らった。まず、トタン屋根のメッキが剥げ、赤茶色に変色している。コンクリートの壁も、うっすらと黒ずんで、不健康な老人の肌のような灰色だ。和風ホラーの舞台になってもおかしくない、という印象を持った。そんな俺の心情を知ってか知らずか、白Tシャツにデニムパンツ姿のさやは俺の反応を確認する。


「綺麗なアパートでしょ」


彼女は皮肉混じりにそう呟く。外観のみすぼらしさに反して、部屋の片付けは行き届いていた。中に入ると、四畳半の真ん中に小さな机があり、正面に木棚とテレビが据えてあるのがわかる。その横にはぬいぐるみと、女性の写真があった。


「これって」


「そう、私のお母さん」


さやは丁寧な手つきで写真を手に取って、少し眺めた後棚に戻した。床に置いてある座布団を指す。座れ、という意味だ。俺は促されるまま席に着いた。


「私ね、ずっと前から、夏祭りには行けてないの」


きまり悪そうに目を逸らしている。覚悟はしていたが、体がずしんと重くなった。


「夏祭りで、何があったの?」


「私ね、お母さんが亡くなった日ね、一人で夏祭りに行ったの。お母さんが、急な出張で来られなくなったから、一緒に行く約束を破られたと思って」


彼女は視線を落として、畳の木目を見つめている。


「それで怒って、神様に願いしたの?その」


そこで言い淀んだ。もう、さやをいたずらに傷つけたくはない。


「そう。夏祭りに行って、本殿で叫んだの。『お母さんなんて、いなくなっちゃえ!』って」


あまりに痛々しく、心臓が麻袋に包まれたような息苦しさを覚えた。


「でも、お母さんは、どうして」


「私が縁錦神社にいなかったから、迷子になった私を探しすために山を登って、そのまま……」


彼女の気持ちを知らず、夏祭りに誘った、無知で愚かな自分が恨めしかった。お母さんへの後悔は、夏祭りと深く結びついていたんだと、今になって痛感する。


「これで、私の話は終わり。悪いけど今年も、夏祭りには行けないと思う」


俺は家を後にして、足元が見えづらい階段を下りながらさやの顔を思い出していた。


「ごめんね。でも、参拝にはこれからも来て欲しい」


さやを想うなら仕方がないとわかっている。しかし何も出来ない自分が許せなくて、自分の右頬を強く張った。それでも、まだ足りなかった。無性に落ち着かない足で、石を蹴ろうとしたが、うまく当たらず、つま先が虚しく宙に浮くだけだった。


「俺って、こんなにちっちゃかったんだなあ」


すっかり暗くなった階段にへたり込んで、深いため息をつく。しばらく、立ち上がる気は起こらなかった。



不在着信に気づいたのは、風呂に入ろうとズボンを下ろしかけた時だった。通知画面には質山と表示されている。思い返せば、まだ大学には復帰できていない。心配をかけているだろうと思い、すぐに折り返した。数秒のコールののち、質山のスマホに繋がった。


脱衣カゴに放ったシャツを着ながら「もしもし、ごめん」と開口一番に謝った。


「なにがだ?」


「電話気づかなくて、あと大学も」


「全然気にしてねえよ」


そんなどうでもいいこと気にするなよ、と言われているようで少し気が軽くなった。質山は見た目は乱暴そうだが、気のいいやつだ。


「それよりさ、お前、最近元気かよ?」


声の調子がわずかに低くなった。「全然連絡よこさねえし」と続ける。俺は返事に窮して「まぁ、うん」と煮え切らない口調で応じた。


「なんかあったんだろ?」


「色々、あったかな」


「話してくれよ。水くせえじゃん」


質山に全てを話した。さやに出会ったこと、さやの母親のこと。夏祭りのこと。堰を切ったように言葉が溢れてくる。質山は黙って聞いていたが、俺が話し終えると「そうか」と呟いた。


「なら、お前のすべきことは簡単だな」


思わず「え?」と声を漏らした。


「彼女のために出来ることを全力でやれ。本気で考えて、本気でぶつかるだけじゃねえか」


質山の得意顔が画面越しでも浮かぶ。耐えきれずに吹き出してしまった。


「なんかいいな、単純明快で」


とても質山らしくて、気持ちのいい答えだ。うんと笑ったからか、体にエネルギーが満ちるのを感じる。


「ありがとう、なんか元気出てきたよ」


「ならよかったよ。じゃ、また連絡するわ」


質山はそれだけ言うと電話を切ってしまった。俺はスマホを耳に当てたまま、「ほんと、ありがとな」と呟いた。スマホを床に放り、玄関でスニーカーを履いた。夜風をきって境内に入るまでの一挙手一投足に迷いはなかった。境内に響くのは、夜の静寂だけだ。五円玉を投げ入れ、願いを口にする。


――どうか、どうか……

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