第5話「小さな飛躍と、夜のささやき」

 “契り”の夜から数日が経った。


「それで、今日は何をすればいいですか?」


 朝の光が工房に差し込むなか、ナオはガルドに声をかけた。ルゥアは、いつの間にか作業台の上で丸くなっている。昨夜の“契り”以来、ナオの後をついてくるだけでなく、工房の中でも落ち着いた様子を見せていた。


 「今日は……木材の表面を整えてもらうか。お前のルクの練習にも丁度いい」


 そう言ってガルドが取り出したのは、ふしのある小さな木片。すでに粗く削られていたが、表面にはまだ細かい凹凸が残っていた。


 「……この面を、滑らかに整える?」


 「そうだ。ただ削るんじゃない。形を意識して、細かい力で整えるんだ。無理せず、感覚を探っていけ」


 ナオは深く息を吸い、手のひらを木片にかざした。


 あの夜の、小さな光の感覚――あれを、もう一度。


 集中すると、胸の奥から、熱いものが静かに立ち上がる。


 (……これが、“ルク”……)


 指先に微かな光がともる。その光を、木の表面に向けて、そっと流し込むように意識を向ける。


 そのとき――


 「きゅ」


 足元で声がした。


 見ると、ルゥアがナオの足元に顔を擦りつけている。すると、光がふっと強まり、ナオの掌から伝わる感覚が、よりはっきりとしたものに変わった。


 木の表面が、音もなく、ゆっくりと滑らかになっていく。


 「……できた、のか?」


 おそるおそる手を離すと、木片の表面はまるで磨き上げたかのようにすべすべになっていた。


 「やった……!」


 ナオが小さく叫ぶと、ルゥアも嬉しそうに跳ね上がり、ナオの胸に飛び込んできた。


 「おお……これは……」


 いつの間にか後ろで見ていたガルドが、感心したように腕を組む。


 「思ったよりも早いな。しかも、木目を残しながら整えるとは……悪くない感覚だ」


 ナオは少し照れくさく笑った。


 「……ルゥアが、助けてくれたんだと思います。足元に来た時、ふわっと力が繋がったような……」


 「なるほどな。確かに“伴種”の支援は力の通りを滑らかにするらしい。お前たちは、相性がいいんだろう」


 ナオはルゥアの頭を撫でた。


 「ありがとう、ルゥア」


 ルゥアは「きゅ」と高い声で鳴き、しっぽをくるくる回して喜んでいる。


──


 昼過ぎ、作業がひと段落すると、ガルドは机の上に何冊か本を並べた。


 「読み書きの練習も始めるぞ。まずは簡単な記号と単語からだ」


──


 練習の最後にナオは、あの夜渡された“導力作業の記録”を手に取り、そっと開いた。


 ガルドの丁寧な指導と繰り返しの練習の甲斐かいあって、いくつかの文字が意味を持って浮かび上がってくる。


 (……読める……ほんの少しだけど、昨日はまったく分からなかったのに)


 「その調子だ。読めるようになれば、自分で学ぶ幅が格段に広がる。焦らずやれ」


 ガルドの声にナオは頷いた。


──


 その夜。窓の外で、風が強く吹いていた。


 ナオはベッドの上で本を抱えたまま、ルゥアを撫でながら目を細める。


 (クラフト、ルク、読み書き……少しずつだけど、できることが増えてる)


 どこか不思議な安心感があった。


 ルゥアがいて、支えてくれる誰かがいる。それだけで、こんなにも心強いなんて。


 ふと、窓の外を見る。


 森の向こうで、何かが“瞬いた”気がした。


 (……あれは……?)


 けれど、次の瞬間にはもう、何もなかった。


 ただ風が、森を揺らしているだけ。


 ナオは小さく首を傾げた。


 (……気のせい、かな)


 けれどその夜、眠りにつきどれほど経ったか。


 夢の奥で、誰かがまたささやいた気がした。


 ──「異常領域、拡大中……観測、断片回収中……」


 ナオは眉をひそめるように、寝返りを打った。


 その声が何を意味するのか――まだ知る由もなかった。

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