第4話、『Switchボックス!!』



空港の一角にある、無機質な会議室。テーブルを挟んで、わたしは空港警察の年配の刑事と、田中機長の前に座っていた。父と母は、心配そうな顔で少し離れた壁際に立っている。部屋の空気は、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返っていた。


「さて、お嬢さん」


刑事は穏やかな口調で切り出した。しかし、その目は鋭く、わたしの心の奥まで見透かそうとしているようだ。


「先ほど、ハイジャック犯がいた、と。……その根拠は?」


隣に座る田中機長も、じっとわたしの言葉を待っている。彼女の表情は冷静沈着そのものだったが、その瞳の奥には、わずかな緊張が宿っているように見えた。


「根拠……」


わたしは一度目を閉じ、あのパニックの瞬間を必死に思い出す。揺れる機内、悲鳴、恐怖に歪む人々の顔。その中で、異質だったあの男の姿。


「はい」


わたしは意を決して、口を開いた。


「座席の前方で……確か、前から3列目か4列目の通路側の席だったと思います。男の人が、何かを操作していました」


刑事は黙ってメモを取っている。


「それは、具体的にどんなものでしたか?」

「よく見えなかったんですけど……膝の上に置いたカバンの中から、何かを取り出して……。無線機? それか、発信装置かなにか……。黒くて、小さなSwitchボックスのような……」


必死に言葉を紡ぐ。脳裏の映像は断片的で、自信があるわけではない。でも、あの男の行動だけは、他の乗客とは明らかに違っていた。誰もがパニックに陥っている中、彼だけは冷静に、目的を持って指を動かしていた。


「男は、その機械のスイッチを何度か押していました。そしたら、その直後に、また機体が大きく揺れたんです。偶然かもしれないけど、わたしには、その男が飛行機を操っているように見えて……」


そこまで一気に話すと、わたしは息が切れた。刑事はペンを置き、腕を組んでわたしをじっと見つめている。疑っているのか、信じているのか、その表情からは読み取れない。


沈黙を破ったのは、田中機長だった。


「……前方3、4列目の通路側、ね」


彼女はそう呟くと、隣の刑事に視線を移した。


「実は、少し気になることがありました。緊急着陸を決断した後、コックピットの計器の一部に、不自然なノイズが断続的に入っていたんです。外部からの電波干渉の可能性も考えましたが、これほど強力なものは前例がありません」


刑事の目が、わずかに鋭くなった。


「計器のノイズと、彼女の証言……」


「ええ。もし、乗客が強力な発信装置を持ち込み、意図的に計器を狂わせていたとしたら。それは単なる機体トラブルではなく、明確な『攻撃』です」


田中機長の言葉に、わたしは息を呑んだ。わたしの見たものが、この事態の核心に繋がろうとしている。


壁際に立っていた父が、信じられないという顔で口を開いた。

「まさか……そんなことが、本当に……」


刑事は父の方を一瞥すると、再びわたしに向き直った。

「お嬢さん、その男の顔を覚えていますか?」


わたしは懸命に記憶をたどる。パニックと恐怖で霞む記憶の中から、男の輪郭を必死で掴み出そうとする。

「背は高くないけど、がっしりした体格で……。黒いフード付きのパーカーを着ていました。顔は……フードを深く被っていたから、はっきりとは……。でも、目が……」


「目?」


「はい。目が、すごく……冷たい目をしていました。何も感情がないような、ガラス玉みたいな……」


その言葉を聞いた瞬間、田中機長の表情が、初めて明らかに変わった。彼女は隣の刑事と顔を見合わせ、何かを確信したように、小さく頷いた。


「心当たりが?」と刑事が尋ねる。


「……ええ。搭乗時、クルーの一人が、些細なことで乗客とトラブルになりました。その相手が、確かそのあたりの席の……黒いパーカーを着た男でした」


部屋の空気が、再び張り詰める。


わたしの断片的な証言と、機長の記憶。二つの点と点が、今、一本の線で結ばれようとしていた。


刑事は立ち上がると、無線機を手に取った。

「直ちに乗客リストを照合。前から5列目までの通路側、特に黒いパーカーの男を至急特定。まだ空港内にいるはずだ。各ゲート、出口を封鎖しろ」


その力強い声が、静かな会議室に響き渡った。


わたしの予感は、確信へと変わっていた。

そして、それはもう、わたし一人の問題ではなくなっていた。

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