第2話 偽りのパートナーシップ

「…………は?」


俺の口から漏れたのは、そんな間抜けな音だけだった。

全校に響き渡った自分の名前。

地鳴りのように聞こえる生徒たちのどよめき。

そして、目の前で悪戯っぽく微笑む、すべての元凶――星詠瑠奈。


「ルナ! どういうこと!? 説明してちょうだい!」


屋上に飛び込んできた月読命(つくよみ みこと)先輩が、鋭い声でルナ先輩に詰め寄る。

その冷静な表情とは裏腹に、声には焦りの色が滲んでいた。


「どういうことも何も、聞いた通りよ、ミコト」

「聞いた通りって……本気なの!? よりにもよって、彼を……失礼、雪成くん、だったかしら。ゴースト会員の彼をパートナーにするなんて、正気の沙汰じゃないわ!」


ミコト先輩の言葉が、ぐさぐさと胸に突き刺さる。

そうだ。その通りだ。正気の沙汰じゃない。

これは悪い夢だ。きっとそうだ。


「に、逃げなきゃ……」


俺は踵を返し、屋上の出口に向かって走り出した。

こんな馬鹿げた話に付き合っていられるか!


ガシッ。


しかし、出口のドアノブに手が届く寸前、俺の腕は背後から力強く掴まれた。


「逃がさないって、言ったでしょ?」


振り返ると、冷たい瞳のルナ先輩がいた。

その力は、彼女の華奢な見た目からは想像もつかないほど強い。


「む、無理です! 俺なんかが、あなたのパートナーなんて……!」

「無理かどうかは、私が決めること。あなたは、ただ私の言う通りにしてればいいの」

「そんな無茶苦茶な……!」


ブブブッ、ブブブッ!


その時、俺のポケットでスマホが狂ったように震えだした。

画面を見るまでもない。

友人からのメッセージ、SNSの通知、そして……見知らぬアカウントからの、おびただしい数のダイレクトメッセージ。


『ふざけんな!』

『ルナ様に近づくな雑魚!』

『お前、誰だよ』

『死ね』


短い言葉に込められた純粋な悪意が、画面越しに俺の心を抉ってくる。


「ひっ……」


顔が青ざめていくのが、自分でもわかった。


「ほらね。もう、後戻りはできない」


ルナ先輩は俺のスマホを覗き込むと、満足そうに微笑んだ。


「大丈夫よ。私が、あなたを守ってあげる」


その言葉は、悪魔の囁きのように甘く、そして恐ろしかった。


「……はぁ」


大きなため息をついたのは、ミコト先輩だった。

彼女はこめかみを押さえながら、呆れたように俺たちを見ている。


「決まってしまった以上、仕方ないわね……ルナ、あなたがそこまで言うなら、私も腹を括るしかない」

「話が早くて助かるわ、ミコト」

「ただし」


ミコト先輩の目が、鋭く俺を捉える。


「雪成くん。あなたにも覚悟を決めてもらうわ。あなたは今、この学園のほぼ全てを敵に回したの。特に危険なのは、黒瀬レイとそのファンクラブ『Schwarz Rose(シュヴァルツ・ローゼ)』。彼らが黙っているはずがない」


黒瀬レイ。

ルナ先輩に次ぐ、アイドルランク2位の絶対的エリート。

誰もが、ルナ先輩のパートナーは彼だと信じて疑わなかったはずだ。


「それに、あなたの所属する『Luminas』の幹部たちも、この状況を許さないでしょうね。最底辺のゴーストが、トップアイドルのパートナー? 笑えない冗談だわ」


ミコト先輩の言葉の一つ一つが、現実の重みを俺に叩きつけてくる。

もう、夢じゃない。

これは、俺に降りかかった、最悪の現実だ。


「……なんで……」


俺は、腕を掴んだままのルナ先輩を見上げた。


「なんで、俺なんですか……?」


かすれた声で、やっとそれだけを絞り出す。

すると彼女は、掴んでいた腕の力をふっと抜き、代わりに俺の頬にそっと手を添えた。

そして、俺にしか聞こえないような小さな声で、囁いた。


「……あなたなら、“本当の私”を、見てくれると思ったから」


その潤んだ瞳。

弱々しい声。

それは、さっき屋上で見た、彼女の素顔。


「あなたも、私を守ってくれる? あの……“屋上”から」


……ああ、そうか。

これは、脅迫だ。

俺が彼女の弱みを握って、彼女が俺の弱みを握る。

歪な共犯関係。それが、この『偽りのパートナーシップ』の正体だった。


「……わかり、ました」


俺がそう答えるのが精一杯だった。


「よろしい」


ミコト先輩が、パン、と手を叩く。


「話は決まったわね。当面の目標は、一週間後に開かれる『新CPお披露目会』よ。そこで学園中に、あなたたちの関係が本物だと認めさせる。もし失敗すれば……」


ミコト先輩は、そこで言葉を切った。

言われなくてもわかる。俺の学園生活は、終わる。


「さあ、行くわよ。まずは対策会議。私のルームでね」


ミコト先輩に促され、俺たちは重い足取りで屋上を後にする。

階段を降りる、一段、また一段。

まるで、地獄への階段を下っているみたいだった。


そして。

階段を降りきった踊り場で、俺たちは数人の人影と出くわした。

その中心に立つ男を見て、俺は息を呑む。

プラチナブロンドの髪、モデルのような長身、そして、全てを見下すような冷たい碧眼。


「……レイ」


ルナ先輩が、小さく彼の名を呟いた。

学園ランク2位、黒瀬玲(くろせ れい)。

彼の隣には、まるで女王に仕える騎士のように、美しい少女が控えている。レイのファンクラブ会長、姫宮愛莉栖(ひめみや ありす)だ。


レイの碧い瞳が、ルナ先輩を通り越し、真っ直ぐに俺を射抜く。

凍りつくような、侮蔑の色を浮かべて。


「やあ、ルナ。少し、話があるんだけど」


彼は完璧な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと俺に視線を移した。


「……君が、ルナの新しい“オモチャ”か?」


その一言が、これから始まる嵐の、最初の風になった。

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