推しとファンの公式CP制度がある学園で、俺は最強の推しの『仮の恋人』に選ばれてしまったらしい

境界セン

第1話 ゴーストは星の夢を見ない

「……はぁ」


深い、深いため息が、静かな放課後の屋上からこぼれ落ちた。


「やっぱり、すごいな……ルナ先輩は」


俺、雪成(ユキナリ)は、スマホの画面に釘付けになっていた。

画面の中で輝いているのは、俺たちの学園――セント・エトワール学園の頂点に君臨する『アイドル』、星詠瑠奈(ほしよみ るな)先輩。

学園の公式サイトでリアルタイム更新される『CP人気ランキング』。そのトップに、彼女の名前は不動の光を放っている。


「今週もぶっちぎりの一位か……」


この学園では、生徒は『アイドル』と、そのアイドルを応援する『ファン』に分かれる。

そして、アイドルとファン、あるいはアイドル同士で公式に『カップリング(CP)』を組み、その人気ポイントで学内における全て――進路、待遇、生活レベルまでが決まるのだ。


「……それに比べて、俺は」


スマホの画面をスワイプする。

所属するファンクラブ、『Luminas(ルミナス)』の会員ページ。

そこに表示された俺の会員ランクは、最底辺の『ゴースト』。会費だけを払い、活動実績ゼロの幽霊部員。それが俺の立ち位置だった。


「わかってるよ。俺なんかが、どうこうできる世界じゃないって」


『Luminas』の会員数は三千人を超える。

その中で、ルナ先輩と直接言葉を交わせるのは、幹部中の幹部だけ。

俺みたいなゴースト会員は、遠くからその輝きを眺めることしか許されない。それでいい、そう思っていた。


「……ん?」


不意に、屋上のドアが開く音がした。

慌てて物陰に隠れる。こんな場所にいるのがバレたら、面倒なことになる。


コツ、コツ、と軽い足音。

俺の隠れている給水タンクの向こう側で、その足音は止まった。


「……もう、いや……」


か細い、震えるような声。

聞き間違えるはずがない。

いつも気高く、自信に満ち溢れた声で、ファンに夢を与えてくれる、あの人の声だ。


「どうして……なんで、私だけが……っ」


嗚咽が漏れている。

完璧なアイドルの、想像もつかないほど弱々しい姿。

見てはいけない。聞いてもいけない。

頭ではわかっているのに、体が動かない。


「“完璧な星詠瑠奈”でいなきゃいけない……?」

「そんなの……もう、疲れた……」


フェンスに寄りかかり、小さくうずくまる人影。

夕日に照らされたその横顔は、いつも俺たちが見ている『星詠瑠奈』じゃなかった。

プレッシャーに押しつぶされそうになっている、ただ一人の女の子の顔だった。


「誰か……助けて……」


その小さな呟きが、俺の心臓に突き刺さる。

どうしよう。

声をかけるべきか?

いや、ダメだ。俺みたいなゴーストが、彼女の世界に触れることなんて許されない。


でも。

でも、もし。

もし、このまま彼女が壊れてしまったら?


俺が逡巡していると、彼女がふらりと立ち上がり、フェンスに手をかけた。


まさか。


「だめだ!!!!」


気づいた時には、叫んでいた。

物陰から飛び出し、無我夢中で彼女の腕を掴む。


「……え?」


振り返ったルナ先輩の瞳が、驚きに見開かれる。

サファイアのように美しい、でも今は涙で濡れた瞳。

その瞳に、間抜けな顔をした俺が映っていた。


「……だれ?」


彼女の唇が、小さく動く。


「……あ、いや、その……」


しまった。

どう説明すればいい。

ただのファンです、あなたの嗚咽を聞いて心配になって、なんて言えるわけがない。


「……今の、見てたの?」


声のトーンが、一瞬で変わる。

さっきまでの弱々しさが嘘のように、冷たく、鋭い声。

『アイドル・星詠瑠奈』の顔だ。


「……見て、ません。何も」

「嘘。じゃあ、なんでここにいるの?」

「……た、たまたま……昼寝を……」


我ながら苦しい言い訳だ。

ルナ先輩の視線が、俺を射抜く。値踏みするように、上から下まで。


「……ふーん。あなた、確か……」


彼女は何かを思い出すように、少しだけ目を細めた。


「ファンクラブの、一番下の……『ゴースト』の人、でしょ?」


心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

なぜ、知っている?

数千人いるファンの中の、底辺中の底辺。その他大勢。顔も名前も認識されているはずがないのに。


「……どうして、それを……」

「さあ。どうしてかしらね?」


彼女は掴まれた俺の腕を振り払うと、ふ、と妖艶に微笑んだ。

さっきまでの涙の跡は、もうどこにもない。

完璧な笑顔。

でも、その瞳の奥は、全く笑っていなかった。


「ねえ、あなた」


ルナ先輩が一歩、俺に近づく。

甘い香りが、鼻腔をくすぐった。


「面白いこと、しない?」

「……え?」


彼女の指が、俺の制服の胸元を、なぞるように滑る。


「私の“恋人”になってよ」

「…………は?」


理解が、追いつかない。

恋人?

誰が? 俺が? 誰の?


「もちろん、本当の恋人じゃないわ。『公式CPパートナー』の、話」


俺が固まっていると、校内に軽快なチャイムが鳴り響いた。

全校生徒への一斉放送の時間だ。


『――生徒の皆さんにお知らせします。次期公式CPの申請期間が、本日をもって締め切られました』

『そして、ただいま、ビッグニュースが飛び込んできました!』


スピーカーから流れる興奮した声に、屋上の空気が張り詰める。


『我が校が誇る至高の星、星詠瑠奈さんですが、なんと! 先ほど、公式CPパートナーの申請が行われました!』


学内が、この放送でどよめいているのが想像できた。

俺も、その一人だ。

ルナ先輩が、ついに誰かと……?

相手は、やはりあのエリートアイドルの黒瀬レイ先輩か?


『注目のそのお相手は――』


ルナ先輩が、俺の耳元で囁いた。

悪魔のような、天使のような声で。


「いい? あなたが、私のパートナー。異論は認めない」


『――なんと! 一年生! 普通科所属! 雪成くんです!』


放送された自分の名前に、俺の思考は完全に停止した。

屋上のドアが勢いよく開く。

そこに立っていたのは、放送を聞きつけて飛んできたであろう、ルナの親友、月読命(つくよみ みこと)先輩だった。

そして、彼女の向こう側からは、全校生徒の絶叫にも似たどよめきが、地鳴りのように聞こえてきていた。

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