第3話 石ころの宣戦布告
「……君が、ルナの新しい“オモチャ”か?」
空気が、凍った。
黒瀬レイから放たれた言葉は、温度のない刃物のように、その場の全員を切り裂く。
彼の隣に立つ姫宮アリスが、扇子で口元を隠し、くすくすと嘲笑した。
「まあ、レイ様。そのような“モノ”と、お口をきかれる価値もございませんわ」
「……姫宮さん」
ルナ先輩の声が、静かに響く。
「私のパートナーに、何か用?」
その声には、先ほどまでの弱々しさのかけらもない。
学園の頂点に立つ者だけが持つ、絶対的なプライド。
「パートナー、か。面白い冗談だ」
レイ先輩は心底おかしいというように肩をすくめると、一歩、俺の前に立った。
見下ろしてくる碧い瞳に、俺は蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「ルナ、君も落ちたものだな。道端に転がっている、ただの石ころを拾い上げるとは」
石ころ。
その言葉が、俺の存在価値を完璧に表現していた。
「おい、石ころ」
顎でしゃくられる。
「君は、ルナに何を与えられる? 地位か? 名誉か? それとも、この俺を上回る人気ポイントか?」
「……っ」
何も言えない。
返せる言葉なんて、一つも持っていない。
「何も持っていない、か。だろうな」
レイ先輩は鼻で笑うと、今度はルナ先輩の方に向き直った。
「なぜ彼を選んだ? 説明してもらおうか」
「あなたに説明する義理はないわ」
「義理はあるはずだ。俺と君の“約束”を、忘れたとは言わせない」
約束?
二人の間に流れる、俺の知らない緊迫した空気。
それは、単なるライバル関係以上の、もっと深く、ドロリとした何かを感じさせた。
「……彼には」
ルナ先輩が、俺の前に立つようにして、レイ先輩と対峙する。
その小さな背中が、震えているように見えたのは、気のせいだろうか。
「彼には、あなたには絶対にない“価値”があるわ」
「ほう? この石ころに、俺にない価値が?」
レイ先輩は、面白そうに眉を上げた。
まるで、極上のエンターテイメントを見つけたかのように。
「そこまでです」
張り詰めた空気を断ち切ったのは、ミコト先輩の冷静な声だった。
「その問答は、ステージの上ですべきですわ。そうでしょう? 黒瀬くん」
「……ミコト。お前はいつもそうだ。つまらないところで水を差す」
「光栄ですわ」
ミコト先輩は表情一つ変えずに言い返す。
「一週間後のお披露目会。観客が、そして学園のシステムが、どちらのCPが本物か、判断を下すでしょう。こんな場所で言い争っても、不毛なだけです」
「……フッ、それもそうか」
レイ先輩はミコト先輩の提案を受け入れたようだった。
彼は再び俺に視線を戻すと、吐き捨てるように言った。
「せいぜい足掻くんだな、ゴミムシ。君がルナの隣にいられる時間は、あと一週間だ」
そう言い残し、彼は優雅に踵を返す。
姫宮アリスも、勝ち誇ったような笑みを浮かべて彼に続いた。
去り際、彼女は俺の耳元にだけ聞こえる声で、囁いた。
「身の程を知りなさい、虫ケラ」
二人の姿が完全に廊下の角に消えるまで、俺たちは誰一人、動くことができなかった。
重い、重い沈黙が、その場に落ちる。
糸が、切れた。
膝から力が抜け、俺はその場に崩れ落ちそうになる。
屈辱と、恐怖と、圧倒的な無力感。
涙が出そうだった。
「……ごめん」
その時だった。
背後から、か細い声が聞こえたのは。
驚いて振り返る。
そこに立っていたのは、さっきまでの気高い女王(クイーン)じゃない。
ただ、申し訳なさそうに眉を下げて、俺を見つめる一人の女の子――“素顔”の星詠瑠奈がいた。
「私の……せいで……」
その震える声と、不安げに揺れる瞳が、俺の心の奥底に、何か小さな火を灯した。
屈辱じゃない。恐怖でもない。
もっと、別の感情の火を。
――守らなきゃ。
なぜか、そう思った。
この人を、このままにしておけない。
俺は、ふらつく足で立ち上がると、震える声で、でもはっきりと、彼女に告げた。
「……謝らないでください、ルナ先輩」
「え……?」
「俺は、あなたのパートナー、なんですよね?」
その言葉は、レイ先輩やアリス先輩に向けられたものではない。
俺自身に向けた、覚悟の言葉だった。
偽りでも、脅迫でも、なんでもいい。
この人の隣に立つと決めたのは、俺自身なのだから。
「見ててください。俺が、あんたらの言う“石ころ”が……」
俺は、レイたちが消えていった廊下の先を、強く睨みつけた。
「あんたら全員を、打ち負かしてやりますから」
それは、あまりにも無謀で、滑稽な、最底辺のゴースト会員による、学園全体への宣戦布告だった。
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