第4話 アルバイトが始まる

翌日、佐々木が「田尾さん、今日からは本番です。いよいよ総理に代って応援演説に向かっていただきます。今日からは総理とおよびします。また、この件は私と官房長官と内調しか知りません。補佐官や秘書そしてSPも知らないので、大変だと思いますがよろしくお願いします」

「佐々木さん、私では無理だと思います。付け焼刃の練習では絶対にばれると思います」

そして矢部が入院している病院へ職員専用口から入った。紺色の仕立ての良いスーツ、白いシャツの胸がキリキリと痛い。田尾にとってスーツは会社経営時代から着慣れているので立ち居振舞いは問題ない。

そして、病院から今退院したかのように玄関から車に乗り込む。本来であれば、裏口からこっそりと出ていくのだが、選挙戦を民自党優位にするため敢えて正面から出て行った。田尾の動揺を隠すため、撃たれて倒れた時に頭と顎を打った事にし、包帯を巻いている。それが、余計に痛々しく見え同情をさそう。

「総理、お体は大丈夫ですか」「ゆっくり休めましたか」など、駆けつけたマスコミから声が飛ぶ。

田尾は笑顔で手を振りながらゆっくりと去っていく。そして、東京駅前で選挙カーに乗り込み、第一声を上げる候補者の山本が言う「矢部総理がケガをおして応援に駆けつけてくれました」

「矢部一郎です。私は暴力には屈しません。皆様と共にすばらしい日本を築いて行きましょう。山本先生は私矢部と同じ志の男であります。どうぞ彼を宜しくお願いたします」

大観衆が拍手喝采で応答した。秘書と秘書官が必ず手を携え、周りを多くのSPが警護する中応援演説は終わった。田尾はバレないかと冷や冷やしながらの対応だったが、いつの間にか佐々木が寄ってきて「総理、素晴らしい一声でした」と笑顔でほめてくれた。(鷹のような眼は変わらずだが)

その後、マスコミ向けの会見が民自党本部で行われた。ここでも狙撃の質問や病状に関する質問が大半で狙撃の後遺症もあると言い訳をして約1時間で切り上げることに成功した。

その夜、矢部一郎総理が病院で亡くなった。

妻の紀子は矢部に代わって地元広島で選挙活動が続いていて、病院の矢部の元には公示以降全く行けずじまいで、悲しいかな矢部は誰にも見送られず、一人での旅立ちだった。


秘書の一人、山際沙耶は退院した矢部と慌ただしい一日を過ごす中、少しの違和感。なにがどうかと言われると判らないが・・・・感じた。


その日の夜、緊急の話し合いが行われた。官房長官の菅喜朗と矢部の妻紀子、二人には子供がいないので実弟で参議院議員の湊秀二(養子に入っている)が官邸に集まった。

紀子と湊は矢部が元気になり、頑張って全国を飛び回っていると思っていた。まさか影武者が行っているとは露ほども思っていなかった。

しかし、さすがに政治家の妻や弟である。長年連れ添った夫や兄が亡くなった事で本当は悲しいとは思うが、今後の事の方が大切な事だと分かっている。

現実

1. 衆議院選挙の投票日は2日後である。

2. 応援演説先はまだまだ沢山ある。

3. 今の情勢は民自党の圧勝らしい。

4. 矢部が亡くなり、田尾との交代ができない。

5. いまさら、偽物とはいえない。

6. 田尾が思ったよりも良くやっている。

上記を鑑み、このままで選挙日までこの状況を維持することにした。


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