第15話

 俺たちは一時間に一本しか走っていない田舎過ぎるバスへ無事に乗り込み、窓の外にうつる田んぼや畑の風景に視線をやっていた。天野先生はこの風景に慣れている様子だった。「宿の飯が美味い」と言っていたくらいだから、ここには何回か来ているのだろう。


 バスの一番後ろの広い席に四人で座っていた。窓際に俺がいる。どこまでも田んぼと畑。先ほどは川も見えた。田舎であるが、スマートフォンの回線は使える。さすがに回線が通ってなかったら苛立っていたところである。


「私、お菓子たくさん持ってきちゃった」


愛宮がはしゃいでいる。それにつられるように早瀬が、


「私にも分けてください、お菓子」


 二人は楽しそうだった。談笑をして、合宿の高揚に備えていた。俺はどんな顔をしているだろう。楽しそうにはしていないのだろう。俺がこの合宿に参加する意味はあるのか。そんなことまで考えていた。


 俺から数えて一番遠くの席に天野先生が座っている。先ほどの言葉が気になっていた。俺は愛宮を意識しているのか。



「夏川も宿で食べなよ。お菓子」


「ん? ああ、もらう」


 俺は、愛宮をライバル視しているのか。ライバルというのは拮抗きっこうした実力のある人間に芽生えるものではないのか。俺は愛宮と拮抗していない。愛宮のほうが圧倒的に上である。実力に差がある。ありすぎる。才能の差を一番分かっているのは俺だ。その差が意識ということなのか。


 愛宮への意識。それがあるとすれば、問題は俺だ。一方的なものだ。愛宮から俺への意識はまるでない。俺の小説に向かう意識は一つもない。春の部誌がそうだった。あいつは掲載されている俺の小説を読んでいない。それが答えだ。俺は読んだ。読んで、才能を感じた。愛宮の書くものには力がある。


 愛宮には到底敵わない。勝てるなどと思っていない。俺が書く小説は、薄い。愛宮のものに比べられるほど、充実したものではない。そうやって思ってしまう時点で、意識をしているということなのかもしれない。この問題の核は、正直分からない。


 早瀬と談笑をする愛宮を横目で見た。こいつの小説を、俺は知っている。が、こいつは俺の小説を知らない。愛宮は俺のことをなんと言うだろう。どんな印象を持つだろう。答えのない疑問だった。仮に愛宮が俺の作品を読んだとして、特別な言葉を言うことはない。それははっきりと分かっていた。


「なんか夏川、調子悪い?」


 愛宮が首を傾げて尋ねた。


「元気だぞ。調子が悪かったら今日は来てない」


「それもそっか」


 自然と語調が強くなった気がした。愛宮のことを考えていたからだ。こうして意識すればするほど、表面の態度に苛立ちがあらわれてしまう。


「すまん」


 俺はとっさに謝った。愛宮への意識が強すぎた。それが言葉にあらわれてしまう。今日の俺はどこかおかしい。文学賞の存在から派生して、愛宮への意識が内面にこびりついている。


「なにが?」


 愛宮はきょとんとした顔で俺を見ている。滲み出た俺の苛立ちは、愛宮に感じ取られていないようだった。


「いや、なにもない」


「なんだなんだ?」


 それ以上、俺はなにも言わなかった。窓の外を見た。畑の奥にカラスが飛んでいるのが見えた。その様子を眺めていると、愛宮は早瀬との談笑に戻った。


 しばらくバスが走って、天野先生が降車の準備を進めた。


「そろそろ降りるぞ。全員、準備な」


 バスが停車する。少し先に、古い外観の宿が見えてきている。天野先生はその民宿を指さしていた。


「あれが、今回宿泊する宿だ」


 外観は古く見える。意図的なデザインなのだろうか。そして民宿にしては少し広くて大きい。


「いい雰囲気だね」


「私、こういうところに泊まるの初めてです」


 愛宮と早瀬が言った。二人とも宿を目の前にして、興奮している様子だった。


「見た目が古く見えるのは意図的なものらしい。なかなか雰囲気あるだろ? 飯も美味いぞ」


 それは聞いた。飯の話しかしないじゃんこの人。俺たちは宿の入口を開けて、中へ入った。


 天野先生が「すみません」と声をかけたが、誰も出てこない。いや、声が小さすぎるだろ。呟いてる感じじゃん。そんなんじゃ誰も出てこないだろ。


「愛宮、俺は大きな声を出したくない。お前が呼んでくれ」


「あ、はい」


 この教師、どこまで他力本願なんだ。


「すみませーん!」


「はーい!」


 愛宮の呼びかけに、中から声がした。奥のほうからバタバタと音がしている。人が来るのが分かった。


 あらわれたのは六十代くらいの女性だった。多分、ここの女将なのだろう。


「あー! どうもどうも。天野さんね。今日からよろしくお願いします」

 

 女将は快活にあいさつをしてくれた。天野先生はそれに応えるような明るいあいさつではなく、相変わらず暗いどんよりとしたあいさつを返した。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 女将は俺たちのことをじっと見た。そうするなり、さらに表情を明るくした。


「天野さんの生徒さんたちかしら? みんな若い若い!」


 どうやら俺たちの若さに感激しているようだった。この人、めちゃくちゃ元気。俺たちのほうが暑さと日差しにやられて元気ないじゃん。


「俺が顧問として担当している、文芸部の生徒です。二泊三日でお世話になります」


「はいはい、どうぞゆっくりしていってくださいね」


 天野先生が会釈した。


「よろしくお願いします」


 俺たちも声をそろえてあいさつをした。女将は元気がたくさんでいい人そうだった。


「二階にお部屋を三室用意してあります。どうぞお上がりくださいね」


 女将が言って、俺たちを二階へ案内した。


「先生、部屋割りはどんな感じですか?」


 愛宮が俺の疑問を聞いてくれた。三室あると女将が言っていたので、それぞれの部屋の用途が気になった。


「一部屋が愛宮と早瀬、もう一部屋が俺と夏川の宿泊に使う。最後の三部屋目は全員が共同で使うぞ。その部屋で今回の合宿の肝である、文学賞に向けての作業を行ってもらう」


 文学賞。またそれがよぎった。言葉だけがよぎるならいいのだ。だが、その言葉が俺の過去を思い出させる。それがいやだった。必死に努力を重ねても、一本の指すら届かなかった、悲壮に満ちた過去。それが再び自分の元にあらわれる。そんな恐怖があった。


 それが愛宮と自分を比べてしまう理由だ。ライバルなんて関係とは程遠い、圧倒的な差。文学賞を意識すると、それが自然とよぎってしまう。俺は愛宮のようにはなれない。愛宮とは距離がある。それを分かっているのに、どうして俺は、意識の中に愛宮を置いてしまうのか。


「宿泊部屋に荷物を置いたら、共同部屋に集合だ。さっそく合宿を開始するぞ」


 天野先生が言った。合宿が始まる。俺はこの三日間で、文学賞を意識しては愛宮を意識するのだろう。内面にはかなりの負荷がかかることが予想できた。


 はっきり認めてしまえば、これはトラウマなのだ。中学生のころに刻まれたトラウマである。それが今になって発作のようにあらわれている。これはトラウマであり、呪いだ。だから文学賞から離れていた。応募どころか、その情報に触れないよう遮断していた。


 それなのに、今。こうして俺の元に文学賞があらわれている。その事実が、俺をひどく苦しめている。こんなにも窮屈きゅうくつなのか。


 宿泊用の部屋に荷物を置いた。天野先生とともに共同部屋に向かうと、愛宮と早瀬が先に部屋にいた。


 天野先生が咳払いをし、頭をかいた。


「まあなんだ。合宿とはいっても文芸部の合宿だからな。表面上は地味だ」


 俺はまともに先生の説明を聞いていられなかった。内面にあるものがずっと気になる。文学賞も愛宮のことも。


「地味だから、俺が諸君を見ている必要もそこまでない。俺は宿泊部屋でだらだらしている。自由な環境で、存分に創作に励んでくれ。では」


 天野先生は共同部屋から出て行った。マジかあの人。本当に顧問なのか。まあでもそもそも合宿はあの人が旅行したいっていう身勝手が含まれてたもんね。


 それに、自由な環境を与えるというのは本心からなのだ。あの人は創作に対する姿勢や俺たちのことをよく分かっている。


「天野先生、行っちゃったね〜。夏川と早瀬さんはどんなの書くか決めてる?」


「私は書くこと自体が初めてなので、なんにも構想なんかないですよ」


 愛宮の問いに、早瀬が答えた。早瀬は小説を書いた経験などはない。この中で一番書くことが難しいのは、早瀬かもしれない。いや、どうだろう。この中で一番書けないのは、もしかすると——


「そっか~、夏川は?」


「俺は……」


 聞かれて、一つ息を吐く。一番書けないのは、俺かもしれない。そんなことを思ったら、途端になにもかも失った気分になった。俺には、なにもない。本当にそうかもしれない。


「俺は、文学賞には作品を出さない」


 愛宮と早瀬は俺を見ていた。二人とも同じ顔をしていると思ったが、違った。早瀬は驚いている様子。瞳を丸くしていた。


 愛宮が、ひどく俺をにらんでいるように見えた。

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