第11話

 早瀬の腕がぶんぶんと振られている。愛宮の握手が激しい。新入部員の参加が相当に嬉しいらしい。かくいう俺も、新入部員は嬉しい。文芸部が発展するのは、決して嫌なことではない。まあ、唐突に大量の新入部員が押し寄せてくると話は別だが。


「それにしても嬉しい! 私以外に新しい部員、入らないと思ってた!」


 ようやく愛宮の激しい握手が止まった。早瀬の疲労が顕著にあらわれていた。激しい握手に体力を奪われたようである。微かな息切れとともに、早瀬は戸惑いを見せていた。愛宮の猛烈な歓迎に入部の意欲が削がれてしまっていないか、少し心配をした。


 新入部員。その響きが、俺の中にも嬉々としてあった。文芸部がこうして少しずつ拡大していくことは、この場所が、より深く根付いていくことと同義だろう。その感覚が、内心で前向きに響いている。確定ではないが、早瀬が入部を考えてくれていることは、俺も愛宮も、本当に嬉しいことなのだ。


「でも、なんで文芸部?」


 愛宮が問うた。先ほどまで寝ていたこいつは、早瀬の入部動機を聞いていない。


「運動が苦手だけど、なにかしら部活には入りたかったそうだ」


 早瀬の説明を俺が補完した。俺が説明をしたことで、早瀬はほっと胸をなで下ろしている。早瀬の態度を見ていると分かったが、彼女はおそらく、人と関わることがあまり得意ではないようだ。俺や愛宮に対してかなり不安定な姿勢を見せている。俺たちの問いかけに、一度呼吸を置いている。瞬間的に言葉を返すのではなく、一つ考え、自分の中で一度整理している。


 他人と会話をすることが得意ではないのだろうが、きちんと俺たちの言葉を咀嚼してくれていることが分かった。早瀬に対して、そんな好印象を抱いた。愛宮は、早瀬のこの人間性をどう思っているのだろう。なにか思考を働かせているだろうか。ただ歓迎しているだけかもしれないが、無意識の中で、早瀬に対するなにかしらの感情はあるに違いない。


 俺からすると、早瀬は文芸部員として歓迎できる。そういった繊細さを抱えているのは、素晴らしいことだと思う。俺はそんな意を込めて、早瀬に微笑んだ。早瀬は俺のほうを見ると、すぐに視線をそらした。え、俺の笑顔、そんなに不自然だった?


「歓迎するよ、早瀬さん。小説は好き?」


 愛宮が興味津々な様子で早瀬に問うた。この構図、早瀬が愛宮に圧倒されているように思える。早瀬はまた少し戸惑い、一つ置いて答えた。


「小説はよく読みます。でも、書いたことはないですね」


 早瀬よりも、愛宮のほうが背丈が高い。失礼かもしれないが、愛宮の背丈が高いのではなく、早瀬が平均より小さいのだ。早瀬はひどく小柄である。肩幅も小さく、ものすごく華奢だ。腕も脚も細い。ぶん殴ったら折れるのではないか。そんなふざけた心配をした。


「大丈夫! 私が一から教えるからね!」


 愛宮はとても張り切っていた。この張り切り具合に早瀬は圧倒されずになんとか耐えている様子だった。俺が助け舟を出したほうがいいのか。でも俺はさっき、微笑んだら視線をそらされたのだ。


「愛宮先輩が部長なんですか?」


 早瀬がようやく自発的に口を開いた。圧倒されていた中でようやくの発言。心配は霧散むさんした。俺が早瀬に下手くそな微笑をたたえる必要は皆無のようである。


 早瀬はきょとんとした顔で愛宮に問いかけていた。こんなに愛宮が積極的なのだから、部長は愛宮に見えてしまってもしかたがない。


「いや、部長は一応、俺なんだ」


「あっ、そうなんですね!」


 小柄な肩がぶるりと震えた。早瀬は納得した様子だった。俺が部長でも違和感はないらしい。


 早瀬は背丈が小さいので、俺への視線がずっと上目遣いのようになっている。身長差がかなりある。早瀬の雰囲気は、弱々しい小動物のようなものと類似している。もしくは病弱な妹。勝手な想像だが、同級生からは「守ってあげたい存在」のような立ち位置なのではなかろうか。勝手な想像だけど。


 気分が高揚している愛宮を見ていた。こいつはこんなにも後輩の存在を喜べるキャラクター性を持ち合わせていたらしい。ということは俺が思っているように、愛宮も早瀬の人間性を無意識に認めているのだろう。早瀬は良い奴だと思う。それを愛宮も同じく、感じているのかもしれない。


 視界の端で視線を感じた。ふとそちらを向くと、早瀬と目が合った。思わず、


「どうした?」


 俺が問うてしまった。ただ目が合っただけだったろうに。早瀬は慌てたように視線を下にそらし、


「いや! なんでもないです。すみません」


 視界から俺を外した。愛宮が早瀬に色々と話しかけている。早瀬はその間、自身の制服の裾をぎゅっと握り、耳を微かに赤くしていた。緊張しているのだろう。そう思い、俺は特に気にしないようにした。


「まあとりあえず、座ったらどうだ? 文芸部について説明するよ」


 俺が言うと、愛宮がせっせと部室の奥からイスを一脚、テーブルの前に運んだ。座るようにうながすと、早瀬は縮こまってゆっくりと座った。


「ありがとうございます……」


 早瀬が席に座った。文芸部が正式に三人になった気分だった。まだ早瀬の入部は確定ではない。が、自分の視界に二人の部員がいる光景はなんだか嬉しい。


「んで、文芸部についてなんだがな……」


 俺は嬉々として文芸部の説明を始めた。季節ごとに部誌を刊行していること。そして、今の時期がめちゃくちゃ暇であることを説明した。


「どうだろう? かなり地味な部活なんだが……」


 説明は淡々と行った。早瀬は熱心に聞いてくれていた。早瀬の思っている文芸部とはかなり乖離かいりしてしまっていたかもしれない。早瀬の思っている文芸部を聞いておくべきだったのだろう。だが、早瀬の瞳は輝いていた。こんな地味な活動に、そんな目をしてくれるとは思わなかった。


「いやいや、地味だなんてそんな……私、文芸部、入りたいです!」


 早瀬は高らかにそう宣言してくれた。部室内に少し大きい、後輩の声が響き渡った。その音は——その声は、部長である俺をじんわりと温かく歓喜させた。早瀬はやはり、優しい奴なのだと、そう思った。


「本当!? いやぁ~、嬉しいねぇ。ね、夏川」


「ああ、そうだな」


 口頭ではある。公式的な約束ではないが、早瀬は文芸部への入部を語ってくれた。愛宮が笑っている。俺も今、安堵の表情を浮かべているのだろう。鏡を見なくとも分かった。


 早瀬も笑っていた。その笑みは作られたものではない。屈託のない純粋な笑顔。文芸部に幸福をもたらすかのような、温かな笑顔。俺は早瀬の表情を見て、文芸部の発展を期待した。その未来を見た。心地よい気分だった。


 翌日の部活動にも、早瀬が来た。


「さっき入部届、出してきました!」


 早瀬はまだ笑っていた。これで文芸部は正式に三名となる。俺と愛宮は改めて、早瀬を歓迎した。


「ナイスだよ~早瀬さん! これからよろしく!」


 愛宮は昨日よりも激しい勢いで、また早瀬と握手をしていた。腕をぶんぶん振っている。俺は自然と笑みがこぼれ、それを隠すように読書を続けた。早瀬への歓迎は愛宮に任せた。


「早瀬さん、連絡先交換しようよ」


 愛宮がスマートフォンを取り出して言った。早瀬も反射的にスマートフォンを取り出し、画面を指でなぞっている。連絡先の交換はスムーズに行われ、文芸部に平和な空気が流れた。


 俺が構わず読書をしていると、早瀬が小さな歩幅で俺の元に駆け寄った。


「よかったら、夏川先輩も交換してくれませんか?」


 視界に映る本の奥に、早瀬が立っていた。まさか俺の元にも来てくれるとは思わず、軽く動揺した。こんな俺でも連絡先、交換してくれるんですか? 早瀬、お前は本当にいい奴だ。誰にも分け隔てなく平等な関係を維持しようとする辺り、お前は社会で重宝される純粋な奴だ。


「あ、ああ、交換しよう」


 自分でも慌ててしまっているのが分かった。だがきっと、これはしかたなくだろう。見ている限り、早瀬は俺に慣れていない。怖がっている節もあるかもしれない。そんな早瀬が連絡先を聞いてくるのは、しかたなくだ。目の前で愛宮とは連絡先を交換したのに、俺とは交換しないというのは、表面上、とても寂しいことである。差別でもある。早瀬はそれを避けたのだ。結論、早瀬はいい奴なのだ。


 連絡先を交換し終えると、早瀬は「ありがとうございます」と一言だけ述べ、愛宮の元に行った。二人でテーブルの前に座り、談笑していた。俺はひたすら、読書。本を読み、二人の空気感を味わった。どこまでも平和な空間だった。


 下校時刻になり、俺たちは駅まで三人で歩いた。


「じゃあ、また明日、部活で!」


 愛宮は言って、ホームへと駆けていった。もう電車が駅に到着するらしい。俺と早瀬が駅の人混みの中に残った。俺が乗る電車はまだ来ない。だが二人でいるのは早瀬が気まずいだろうと思い、俺は急いだふりをした。


「じゃあ俺もここで。また明日」


 俺は早瀬にそう告げた。電車はまだ来ない。自販機でジュースでも買って、駅のホームで待つことにしよう。そう思って歩き出した。


「あの!」


 人混みの中で早瀬の声が通った。驚いた。こんなにも通る声を出せたのか。俺はその声に呼び止められ、振り返る。


「ど、どうした?」


「まだ、——ない……です」


「え? なんて?」


 声が小さすぎて聞こえない。


「まだ! 行ってほしくないです!」


 早瀬は自身の制服の裾をぎゅっとつかみ、叫んでいた。顔が赤い。耳まで赤い。俺は今、呼び止められている。


 早瀬が上目遣いで俺を見ていた。その視線に、思わず胸がざわついた。


「え、どうしたんだよ? 急に」


 なんだ、この状況。俺はなんで呼び止められているのだろう。


「私、ずっと前から、夏川先輩が好き……なんです」


 駅のどこかのホームに、電車が到着したようだった。甲高い停止音。やがてドアの開く音がした。愛宮が乗る電車が来たのだろうか。そんな意識が、宙に飛んでいた。


 早瀬の言葉も、俺の元に届いてはいた。ただ、理解するのには、半歩ほど遅れた。


——ずっと前から——


 早瀬はたしかにそう言った。

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