第2話
俺は愛宮奏と付き合うことになった。嘘である。嘘の交際なのである。本気でこんな女と付き合う気はさらさらない。外見は整っているので、同学年の男子生徒からはよく話題になることはあるが、俺はそんな表面上の話には惑わされない。
愛宮は変わっている。小説においては天才である。俺は愛宮の外見ではなく、変わっている性格をよく知っているので、彼女を恋愛対象で見たことがない。愛宮に惚れている男子生徒よ。悪いことは言わない。やめておけ。愛宮はどこかぶっ飛んでいるのだ。男子生徒よ。付き合うと無駄な労力を彼女に使うことになるぞ。
そんな愛宮は今、学校の屋上にて、俺の隣にいる。女らしさを捨てているのか、弁当に勢いよく食らいついている。昼休みはまだ始まったばかりであるのに、食べるスピードがとんでもなく速い。
「うっ、喉に詰まった」
愛宮がどんどんと胸の辺りを叩いた。手元にあったお茶を勢いよく飲む。もっと落ち着いて食べなさいよと言いたくなる様子だった。俺はそんな愛宮から視線をそらし、ゆっくりとメロンパンをかじる。牛乳をストローで吸い上げると、口の中でメロンパンと混ざった。
「私、君のことなんて呼べばいい?」
唐突に愛宮が尋ねた。呼び名をこちらから指定するのはなんだか恥ずかしいが、愛宮に任せると変な呼び方をされそうな気がした。こいつはそういう奴だ。だからこちらで呼び名を指定した。
「夏川くん、とでも呼んでくれ」
「えー、それだとカップルっぽくないよ」
なんなのこいつ。俺の指定する呼び名では満足いかない様子の愛宮である。それに「カップル」という単語がなんだかいやな響きである。俺たちの関係は本物のカップルではない。偽の交際なのだから、呼び名までこだわる必要はないだろうに。
……なんだか、いやな予感がした。
「愛宮……お前、俺たちが付き合うってことを周りに話してないよな?」
「え、だめだった?」
あーあ、終わった。なんでこいつは後先を考えずに行動してしまうのだろうか。周りからの反応を俺はどう対処すればいいのか。腹が痛くなってきた。飲んでいた牛乳のせいか。いや、違う。目の前のこの女のせいである。
「ちなみに誰に話したんだよ?」
「クラスの仲いい人にしか言ってないはずなんだけど、今朝の時点でなぜか学年中が知ってるらしかった。色んな人に聞かれたもんね」
分かっていたはずだった。こいつはバカなのだ。抜けているところがあるなどというレベルじゃない。小説以外のことは途端に知能が下がってしまう、究極のアホなのだ。
「あのなぁ、当たり前だろバカ! 誰が付き合ったとか、誰が告白したとか、そういった話題はみんな大好きなんだよバカ! 思春期なめんなよこのバカが!」
「うぅ~、そんなにバカって言わないでよ~」
「面倒ごとになる前にもういっそ、この交際は嘘ってことにしておいたほうがよさそうだな」
「あ、ごめん。それは無理かも」
「は? なんで?」
「みんなさ、祝福ムードなんだよね。学年の女子のほとんどが祝福ムード」
終わった。この祝福ムードをぶち壊す勇気は俺にはない。というか疑似交際でした! なんて言ってしまえば、俺のゆったりひっそりをモットーとした高校生活は終わりを迎える。きっと二学年全員から敵視され、目立ち、俺の平和な学園生活は終わる。きっと人間の扱いをされてもらえない。相手が愛宮ならなおさらだ。
というか愛宮と付き合っていることになっている時点で、俺のゆったりひっそりのモットーは崩れ去っているのかもしれない。が、せめて人間扱いはされていたい。ゆったりひっそりじゃなくなっても、人間ではいたい。
となれば、疑似交際は周りにバレてはならない。絶対にバレてはならない。
「いいか? 愛宮」
「ひぃっ、顔が怖いよ!」
「絶対に、周囲の人間にこの交際が嘘であると言うなよ? 分かったな?」
「はいぃ!」
これで愛宮がなにか失態を犯した場合は、それまでである。俺の学園生活は終わる。愛宮の行動を注意深く見ていないといけない。いやなにそれ、面倒。本当に面倒なことになってしまった。これが恋愛なのか。いや、偽の交際なのだ。この面倒ごとが恋愛の本質であるわけがない。
「ところで話を戻すけど、君のこと、なんて呼ぼうかな」
「もう普通に夏川とかでいいだろ。変なあだ名とかつけられるとぶっ飛ばしたくなるし」
「ひぃっ! 暴力反対!」
愛宮の扱い方がだんだんと分かってきた気がする。なんだか俺が暴君のような形になっている感じもあるが。
「夏川」
「なんだよ」
「ふふっ、なんにもないよ。呼んだだけ」
「あ、そうすか」
「ひん、冷たい」
こいつは——愛宮奏は恋を知るために俺と疑似交際をしている。こんな形で愛宮は恋を知ることができるのだろうか。俺以外にも適任はいるのではないか。そんな疑問が、屋上の端で静かに残った。
中学生一年生のころ。俺は小説家を志し始めた。元々、国語が好きで読書にどっぷりとハマり、それから自分も書く側になってみたいと思うようになった。小説の新人賞があることを知り、プロになるにはその新人賞を受賞することから始まる。
俺は小説に燃えた。学生の間にプロデビューをしたい。そんな想いが強くあった。が、現実は残酷で、どの新人賞も一次選考すら通らない。
「まあ、何度落ちても書き続けないとな! 書き続けた者に勝利はやってくるんだよ」
落ち込む俺に、父はそう言った。分かっている。書き続けない奴に受賞はない。それでも何度も落とされるのは精神的に辛い。俺はいつの日からか、小説を書くことがなんなのか、分からなくなっていた。
そんな中で、一つの賞を見つけた。中高生向けの小説の賞。俺はまた燃えた。この賞なら受賞できるかもしれない。新人賞のようにプロデビューが確約するわけではないが、腕試しにはちょうどいい。
俺は全ての時間を小説に注いだ。寝食を忘れて書いた。ネタが切れそうになったら散歩に行き、アイディアをかき集めたり絞り出したりした。
夏休みの終わりごろ。小説が完成した。ある程度の修正をしてすぐに賞へ送った。俺が今まで書いた小説の中で、一番の傑作。全てをかけた作品。
結果は、一次選考落選だった。
小説を書くということは、どういうことなのだろう。もう、なにも分からなくなっていた。
「信也、大丈夫か?」
落ち込む俺に、父が心配そうな声を添えた。俺は悔しいのだろうか。悲しいのだろうか。今、俺はどういう感情なのか。自分が分からなくなっていた。
後日、応募した賞の受賞者が発表された。
「愛宮……奏」
受賞者は愛宮奏という女子だった。自分と同い年。それでもこの差。俺は絶望した。同じ年齢なのになぜここまで差が開くのか。
次の年も、その次の年も同じ賞に応募した。俺はやはり一次選考すら通らず、受賞者は毎回、愛宮奏だった。
賞のホームページには愛宮奏の受賞コメントが掲載されていた。それを見て、俺は二度目の絶望をした。
「初めて賞を受賞したときの作品は、処女作です。それから毎年この賞に応募して、ありがたいことに最優秀賞を頂いています。きっと運がいいんですね」
愛宮奏は、天才なのだ。彼女の手から生み出される作品は、その才能からつむぎ出た尊い文学なのだ。俺にはそんな真似はできない。いや、真似をしたところで中途半端に味が出るだけなのだろう。
俺は彼女のようにはなれない。愛宮奏を超えることは絶対にできない。圧倒的な才能の差。天性の才能が彼女にはある。俺にはまるでそれがない。
それから俺は、新人賞に小説を投稿することをやめた。書いて送ったところで、意味がないと思った。なにも意味が生まれないと思った。俺が書いた作品に価値などないのだ。挫折であるはずが、涙すら出ない。それほど薄い気合いでの挑戦だったのだ。
俺と愛宮では、圧倒的な差がある。超えられない壁である。
高校に入学するころには、小説を書くことは少なくなっていた。それでもなぜか文芸部に入部した。三年の先輩が数人おり、作品を読ませてもらったがどれも響かなかった。自分が書いた小説のほうが面白いのではないかと、微かに思う。
この場所でなら俺は小説を書ける。そう思って部誌に小説を掲載した。新人賞に投稿していたころより気楽である。俺は放課後、部室で小説を書いたり、先輩と談笑する日々を送った。
「そういえば、新入生にすごい人いたよね? 名前、なんだっけ?」
「愛宮奏ちゃんでしょ? 天才の」
「そうそう、その人」
愛宮奏。先輩はたしかにそう言った。耳を疑った。愛宮奏がこの学校にいるのだ。心臓がバクバクと高鳴る。なにを考えてこの心臓は動いているのか。分からない。分からないが、不快感があった。新人賞や学生向けの賞に落選したときのような不快感。
俺は考えることをやめた。部活が終わって渡り廊下から校庭を眺めていると、ぶつぶつとなにかを唱えながら廊下を歩いている女子生徒がいた。ポケットに手を突っ込んでいて、所作は男子のように思える。
なんだか危険な香りがしたのでその場を去ろうとすると、彼女がポケットから手を取り出し、突然、天井を指さし始めた。その拍子にポケットからなにかが落ちた。彼女は落とし物に気付かず歩き始める。
「あの、落としましたよ」
俺が彼女のポケットから落ちたものを拾った。生徒手帳だった。整った顔立ちの写真の横には、「愛宮奏」の名前があった。
「愛宮、奏……」
「あ、どうも」
彼女は俺の手から生徒手帳を受け取り、その場から立ち去っていった。俺はその顔を忘れないのだろうと、強く確信した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます