第2話 彼らの出会い


 街の中古車屋では何台もの車が陽光に照り輝いていた。様々な車種が吹きさらしの中で展示され、多彩な色や形でもって各々自己を主張している。その輝きに引き寄せられ、一人の客が店を訪れた。


「中古車屋って言ってもいろんな車があるんだなあ」


 金髪の青年、コウスケは展示場をぶらぶらと歩き回っていた。目についた車を意味もなく覗き込んではうんうんと唸り、大した知識も無いのにそれらしい振る舞いをしてみせる。一台の軽自動車を眺めた時、彼はフロントガラスに映った自分の金髪が生え替わった黒髪と混じり、まだらになりかけているのに気がついた。大変不格好だがあいにく散髪にいく金銭的余裕もなかった。青年は今度は別の意味で唸りを上げた。


 並んだ車を観賞する内に、ある車種がコウスケの目に留まった。屋根は低く、細身で角張った銀色の車体に、黒いラインが走っている。古い年代の物であることは明らかだが、同時にどことなく近未来を想像させる、不思議な魅力のある車だった。


「すげえすげえ!」


 青年はおもちゃに夢中になる子供のように車の虜になった。ガラスに映る自分のまだら髪ももう気にならない。コウスケは感動溢れんばかりに車体の周りをぐるぐると回った。その光景を見て、店の奥から店主が現れた。


「ようお客さん。この車を気に入るとはお目が高いねぇ」


 年老いた店主は深みのある声で話しかける。


「ねえおやっさん。この車はなんてえの?」

「こいつはポインターてやつさ。六十年代製でマニアに人気の車だ」

「すげえ何十年も前!」


 益々はしゃぐ青年を見て、店主も自然と笑顔を浮かべる。その笑みを見て、コウスケはいたずらっぽくはにかんだ。


「なあおやっさん。この車、運転してみてもいいかい?」


 親に欲しいものをねだる幼子のように、老店主に頼み込む。


「運転って、こいつを買う金あんのかい?」

「いや全然。ただそこらをちょっと一周してくるだけでいいからさ……」

 それは無茶な要望だった。

「ダメだダメだ!」


 店主はきっぱりと断る。


「この車はうちの売りもんだ! 金を出して買ってくれるならまだしも、はなからその気もないやつに触らせるなんて無理だ!」


 老人の厳しい言葉と態度に、コウスケはしょげ返る。


「でも俺金なんてねぇよ」

「ならちゃんと働いて稼ぐことだ。そうすりゃいつか買えるだろう」


 そう言われたコウスケは、より一層深い沈痛の表情を浮かべた。店主も彼の妙に哀しげな様子に気づいた。


「兄ちゃん、あんたなにかあるのかい」

「あるんじゃない、ないんだよ。俺には時間が」


 青年はすっかり弱々しい口調で語る。


「俺病気なんだ。もう長くない。今から働いたって、金が貯まる前に、俺は……」


 車にはしゃいでいた彼からは想像も出来ない姿に、厳しく接していた老人も、胸を打たれる思いだった。青年は車の屋根にそっと触れた。


「一度でいいから、こんなすげえマシンを、ぶっ飛ばしてみたかったなあ……」


 銀色の屋根をやさしく撫でる。力無いその手に、店主は自分の右手を重ねた。


「わかった。乗らせてやる。金は払わんでいい」

「ほ、ほんとに?」


 コウスケの表情がぱっと明るくなる。


「ああ。ただし一週間だけだ。それまでに必ず店に返しに来ること。いいな」

「ああ、わかった。わかったよおやっさん!」


 コウスケは思わず店主を抱きしめた。力強い抱擁に老人も困り、こらこら、と彼を引き剥がした。年の離れた二人の男は、互いに向き合って笑っていた。物言わぬ車たちが、彼らを囲んでその車体を輝かせていた。



 キーを差し込んでエンジンに火を点す。ロートルの身体に力がみなぎり、ポインターは重い音を響かせて銀色の車体を振動させた。


 満面の笑みでハンドルを握り、コウスケは心地よい手触りを体感する。サイドガラスから店主が覗き込む。


「どうだ乗り心地は?」

「決まってるじゃん。最高だよ! まだ走ってもないのに、どんなラブホのベッドより快適さ」

「そいつぁ良かった」


 店主はガラスを拳で軽く小突いた。


「いいか、一週間だぞ。必ずだからな!」


 調子づく青年に対し釘を刺す。


「わかってる。この約束、絶対守るよ」


 彼の回答は真剣だった。店主もその言葉を確かに信じた。


「そうか、じゃあ行ってこい」

「ああ!」


 コウスケはアクセルを踏み、車を発進させた。道路に出たポインターの姿は、道行く車たちの中で一際目立っていた。青年は意気揚々と、一週間限りの愛車をかっ飛ばした。銀色の車体が見えなくなるまで、店主はその姿を見送り続けた。


  


 ポインターは軽快に大通りを駆け回った。銀色に輝く姿は通行人たちの視線を集めた。コウスケはこの上なく上機嫌になり、鼻歌を歌いながらハンドルを動かし続けた。気に入った車を無料で運転できる。貧困に陥った青年にとって、これ以上の贅沢は想像も出来ない。彼は幸福の絶頂を感じていた。


 コウスケはカーラジオの電源を入れた。何気なく合わせたチャンネルから、くぐもった音質でナレーターの男性の声が流れた。機械的な調子でニュースを読み上げる。その内容は宝石店で起きた強盗事件についてだった。時価十億円のダイヤモンドが盗まれたという。


「十億円かぁ……」


 それだけあれば、牛丼が何杯も食えるな、とくだらない考えを巡らせて、コウスケは車を走らせ続けた。



 気の向くまま走るうちに、コウスケは特に行く当てが無いことに気がついた。車を手に入れたはいいが、行き先がないのでは宝の持ち腐れである。とりあえずなにか落ち着ける場所を探そうと、彼は大通りを抜けて路地に入った。


 速度を抑えてゆっくりと走りながら、青年は車を預けてくれた老店主について考えた。病気で余命僅かだからと、あんなクサい言葉をよく信じたものである。なんにせよ、車を返す約束は必ず守らなければならない。このような人の優しさには、そうそう巡り会えるものではないのだから。


 コウスケは顔をさすった。娼婦に打ちのめされた傷が痛んだ。


 迷路を攻略するように路地を進んでいくと、突如大きな音が響いた。コウスケは驚いて車を止め、何事かと辺りを見回した。のどかな住宅街の中に放たれたその音は、彼が初めて聞く音だったが同時に妙な聞き覚えがあった。それは刑事ドラマやアクション映画で何度も耳にしたような音……。


 ぞっとする感覚にコウスケが襲われた瞬間、路地の向こうの曲がり角から人影が飛び出した。それは青年だった。中肉中背のコウスケよりも背が高く、顔立ちにも涼しさが感じられる。しかし青年は必死の形相で走り、そしてコウスケの車を見つけると大きく両腕を振って合図を送った。


「な、なんだなんだ」


 困惑するコウスケを尻目に、青年は車に駆け寄ってサイドガラスを叩いた。ガラスの向こうで彼は叫ぶ。


「おい! 乗せてくれ。今すぐ車を出せ!」


 鬼気迫る雰囲気に従うしかなかった。コウスケは助手席の鍵を開けた。青年は急いで乗り込む。


「早く行け!」

「なんなんだよあんた一体……」

「説明は後だ!」


 すると青年が飛び出してきた曲がり角から、またも人影が、それも大勢飛び出してきた。皆スーツを着た男性で、血に飢えた野獣のような凶暴な人相をしている。手には妖しく光る物が握られていた。コウスケは再び、刑事ドラマやアクション映画のワンシーンを思い起こした。


 スーツの男たちの群れを掻き分けて、一人の中年男性が姿を見せた。太鼓腹が揺れ、禿げ頭に日光が反射する。男性は右手に持つ物を、青年の乗り込んだ銀色の車に向けた。コウスケは先ほど聞いた音の正体を悟った。


「ピストルじゃねえか!」


 急発進で車をバックさせる。逃げようとする二人に中年は引き金を引いた。銃声が響き、弾丸は車の屋根をかすめた。銀の塗装が剥がれてしまった。


「ちくしょう車が!」

「気にするな! さっさと行け!」


 青年に急かされて、コウスケは泣きたくなる気持ちを堪えながら、十字路で車を方向転換させ、なんとか脱出に成功した。小さくなっていく車体に、中年は無茶苦茶に発砲し続けた。


「よしてください組長! あんまり街中で撃つと騒ぎに……」

「うるさぁい! ちくしょうめぇっ!」


 止めようとする部下を振りほどいて、田中組の組長は咆哮した。



 法定速度をゆうに超えて走る車の中で、二人の青年は深くため息をついた。

「おい、あんた一体なんなんだよ……」

 全身の力が抜けた状態で、コウスケは尋ねる。助手席の青年は額の汗を拭って、運転席の青年の横顔を見て答えた。

「俺はツカサだ」

 もう一人の青年、ツカサはたった一言の自己紹介を終えた。コウスケはさらに脱力した。

「いや、名前じゃなくてさ……」

 車は当てもなく走り続けるのだった。


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