流れ星になりたい 

恐竜洗車

第1話 二人の青年


 その日、夜空の星々は一際強く輝いていた。街のネオンの淫靡な光も、今夜ばかりは星の煌めきに圧倒されているように見えた。


 街の一角、ラブホテルの中から二人の若者が通りに出た。一人は赤いドレスを着崩した娼婦。もう一人はその客の青年である。青年が行為で乱れた金髪をかき上げると、ふと視界に星が映った。彼はその輝きに感嘆した。


「今日の星はずいぶん綺麗だなぁ。そこら中のネオンが薄汚く見えるぜ」

「なにロマンチスト気取ってるの。さあ早く金を出しなさいよ」


 娼婦が急かす。風情がないなぁ、とぼやきながら、青年はジーンズの尻ポケットから古びて色褪せた二つ折り財布を取り出す。指を突っ込み、中から二枚の紙幣を引っ張り出した。折れ曲がった千円札で、新紙幣の北里柴三郎の顔が醜く歪んでいる。


「……これなんの冗談よ」


 しっかり受け取りつつ、娼婦は北里柴三郎よりも大きく顔面を歪ませた。


「悪い。それが俺の全財産」


 あっけらかんと青年が答える。全財産。二千円。言うまでも無く、行為を終えた娼婦に支払う額としては少なすぎる。女の顔は歪みを通り越して爆発した。


「あんたふざけんじゃないわよ! こんな額で女買うとかどういうつもりよ!」

「いやぁごめんごめん。俺もやった後で気づいたからさぁ。笑っちゃうよなぁ全部で二千円て。今時小学生だってもうちょい持ってるっつーの」

「こっちは笑い話じゃないわよ!」


 娼婦は怒り狂う。手に持っていたバッグを振り回し、青年のワイシャツの胸板に叩きつけた。衝撃で尻餅をついた青年を、なおもバッグで殴りつける。何度も繰り返される攻撃の中で、青年は必死で頭を守りながら、こういう感情的な女の子も可愛いな、と思った。少なくとも、セックス中の全くなんの反応も見せなかった彼女よりは、はるかに魅力的だった。


 散々打ちのめされ、青年は道路に転がった。仰向けになり、自然、彼の瞳は夜空の星の輝きを捉えた。やはり強く美しい光だった。その時、突如一筋の閃光が空を走った。流れ星である。瞬く星々の輝きの中にあって、それはなおいっそう強く美しく煌めいた。


「なあ、俺は、あの流れ星みたいになりたいんだ」


 息も絶え絶えに青年はつぶやく。思いの丈を空に吐き出すように。


「あんな風に、一瞬、ほんの一瞬だけでいいから、強く輝いてみたいんだ……」


 言い終わって、青年が通りに目をやると、既に娼婦の姿はなかった。彼は夜の街に一人取り残されてしまった。


「ちくしょう」


 ボロボロのまま立ち上がる。埃を落とすため下半身を手ではたくと、ジーンズの膝が破けていた。服を新調する余裕もない貧乏人にとっては、手痛いダメージだった。


「泣くなよコウスケ。男だろ」


 自分に言い聞かせて、青年、コウスケは夜の街を歩き出した。彼の姿はネオンの光の中へと消えていった。


  


 白昼、街外れの路地にある二階建てのこぢんまりとした建物の入り口に、田中組、と書かれた看板がでんと置かれていた。その建物、田中組の事務所の二階の窓から、一人の青年がちらと振り向いて外を見た。青年の目には電線に止まるハトの姿が見えた。


「おい。なによそ見してる」


 酒焼けした声に青年は向き直る。彼の前には机を挟んで椅子にふんぞり返る田中組の組長がいた。太鼓腹と禿げ上がった頭が、私腹を肥やした中年男性らしさを存分に演出している。周囲に立つのは、その配下である組の構成員たち。スーツ姿の背後に組まれた手の指が、欠けている者も少なくなかった。


「俺は聞いてんだぞあんちゃん。盗んだ品をどこにやったのか」


 タバコをふかし、組長が尋ねる。机の灰皿には何本もの吸い殻があった。


「えっと、名前は……」

「ツカサです」


 一番近い構成員が補足する。ああそうそう、と組長は灰皿にタバコを置く。


「ツカサの兄ちゃん。わかるだろ。俺はただ単純な質問をしてるんだ。品はどこへやった」

「ですから、落っことしてしまいました」


 青年、ツカサは不敵な態度で答える。その振る舞いは、肥え太った中年を激怒させるには十分だった。


「ふざけてんじゃねえぞコラ!」


 組長は灰皿を投げつける。ツカサは身を躱し、行き場を無くした灰皿は吸い殻をまき散らし床に転がった。かわいそうに、とツカサは思う。


「てめえ品をどこに隠しやがった!」

「だから隠してませんて」


 態度を改めない若造に中年の怒りはますます高まる。もうタバコを離したのに口から煙りが溢れてきそうだった。組長は感情のままに次の言葉を発そうとしたが、その時、外の電線に止まっていたハトが鳴き出した。


 デデポッポポー。デデポッポポー。


 のんきな囀りが滑稽に響き渡る。ツカサは思わず吹き出してしまった。組長の怒りは爆発した。


「ぶっ殺せ!」


 構成員たちが一斉にツカサに飛びかかる。その手元には一様に短刀が閃く。ツカサもすかさず動き、窓に向かって飛び込んだ。


 ガラスが砕け、青年は日の光の下に投げ出された。着地の瞬間に身体を前転させ、衝撃を逃がして即座に体勢を立て直す。


「ちくしょうが!」


 割れた窓から組長が拳銃を発砲する。穏やかな真昼時に、あまりに場違いな銃声が轟いた。ツカサはたまらず駆けだした。彼は自分の背後に二発、三発と放たれる発砲音と、そんなことはまるで気にせず鳴き続けるハトの声を聞いた。


「鳥の世界は平和でいいや……」


 青年は路地の向こうへ消えていった。


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