第22話 ふたりの距離、壊れる前に
教室の前。朝の昇降口がまだ静かな時間。
「逃げんの、やめろ。……ちゃんと話そう」
黒川の低く、でも揺るがない声。
こはるは思わず立ち止まった。
心臓の鼓動が、耳に響く。
「……逃げてないよ」
そう返した声が、少し震えていたのを、自分でもわかっていた。
「俺……あの時、ひなこにキスされた。
でも、それだけだ。俺からしたんじゃない。拒んだし、すぐ突き放した」
「……見てた。全部、見た」
「じゃあ、わかるだろ?」
「わかんないよ!」
こはるの声が、鋭く響いた。
その場にいた数人の生徒が振り返る。けれど、ふたりにはもう見えていなかった。
「私……あんなの、見せられて、冷静でいられるわけない。
どんな理由があったって、あんなの、嫌に決まってる」
黒川は唇を噛み、こはるを真っ直ぐに見つめ返す。
「……ほんとに信じられねぇのか、俺のこと」
「信じたかったよ。……でも、傷つくのが怖いの」
こはるの目に、涙がにじんでいた。
「……黒川くんのこと、ほんとは、信じたい。
でも、私……“好き”って気持ちに、確信持てなくなっちゃったの。
だって、私ばっかり、不安になるじゃん……!」
「……俺だって、不安だった」
こはるがはっと目を見開いた。
「佐伯とお前が話してるの、見るたびに思ってたよ。
“奪われるんじゃねぇか”って。……怖かった。自分が情けなかった」
「……黒川くん……」
「……だからって、お前を不安にさせたのは、俺のせいだ。
ひなこのことも、ちゃんと拒絶しなきゃいけなかった。……そこは、本当に悪かった」
黒川の声が震えた。
あの強気で不器用な彼が、初めて“弱さ”を見せた瞬間だった。
「……こはる。俺、お前がいなくなるの、マジで嫌だ」
涙がこはるの頬をつたう。
「……そんなこと言われたら、また信じたくなるじゃん……」
「信じてくれ。……俺は、お前だけがいい」
「……私も、黒川くんのこと……ずっと、好きだった」
二人の間の距離が、ほんの一歩だけ近づいた。
けれど、それでもまだ、不安という壁は完全には消えていなかった。
⸻
その日の夕方。
こはるが帰宅すると、スマホに一通のメッセージが届いていた。
【佐伯】
《明日、少しだけ時間くれない?
こはるに渡したいものがあるんだ》
心が揺れる。
涙が乾いたその場所に、別の温もりがすっと入ってこようとしていた。
⸻
夜、黒川は自室でイヤホンをつけ、何も音楽を流さず、ただ目を閉じていた。
(……大丈夫。まだ、終わってない)
けれど、その“まだ”が、いつまで続くのかは、誰にもわからなかった。
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