第21話 信じたいのに

週明けの月曜日。

 こはるは、教室のドアの前で深く息を吸った。


(……ちゃんと、普通にしなきゃ。……いつもどおり)


 でも、“いつもどおり”なんて簡単にできるはずがなかった。


 教室の中には、すでに黒川がいた。

 その目が、明らかに――自分を探していることに気づいてしまう。


(見ないふり。……いまは、顔、見れない)



「こはるちゃん、大丈夫? なんか顔色悪いよ」


 友達の声に、小さく笑ってごまかす。


「ううん、大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから」


 ――そんなふうに振る舞いながらも、

 あの屋上の光景は、何度も何度も心の中で再生される。


 黒川が、ひなことキスしていたあの瞬間。


(……ほんとは、違うって思いたいのに)


(でも、“見た”自分の記憶が、一番信じられない)



 昼休み。

 こはるが屋上に行かなかったことに、黒川はすぐに気づいた。


(避けられてる)


 目が合わない。話しかけても答えてもらえない。

 誤解を解きたくて、何度もメッセージを書いては消した。


【黒川】

《ちゃんと話させてくれ。あれは俺が――》


 ……また送れなかった。


(“言い訳”だって思われたら、それで全部終わる気がする)



 放課後。


「こはる、帰り一緒にいい?」


 教室を出たところで、佐伯が声をかけてきた。


「あ、うん……」


 黒川は廊下の隅からそれを見ていた。

 声はかけられなかった。



 二人並んで歩く帰り道。


 佐伯は、空を見上げながら言った。


「……最近、元気ないよね。無理してるの、わかる」


「……うん、ちょっとだけ。疲れてるだけ」


「……もしかして、“黒川とひなこのこと”?」


「……え?」


 驚いたこはるに、佐伯は穏やかな声で続けた。


「……偶然、見ちゃったんだ。あの日、屋上で」


 その一言に、こはるの表情が凍りついた。


「……そっか。……私も、見たの」


「……そうだよね。きつかったね、あれは」


 こはるは小さくうなずいた。


「でも……黒川くんのこと、まだ……信じたい気持ちもあって。

 でも……信じたくないって気持ちも、同じくらいあって」


「……わかるよ。

 でも、“疑い続ける関係”って、どっかで壊れちゃうんだよ。きっと」


 佐伯は足を止めて、正面からこはるを見つめる。


「俺なら――こはるを、不安にさせたりしないのに」


「……っ」


「ごめん、押しつけるつもりじゃないんだ。

 ただ、俺はずっと待ってるってだけ。こはるが、俺の方を見てくれる日を」


 そう言って、佐伯はそれ以上何も言わず、静かに微笑んだ。



 その夜。

 こはるはベッドの上で、ふたつの名前を何度も心の中で呼んだ。


(黒川くん……佐伯くん……)


(私、どうしたらいいの……?)



 そして次の日。


 いつもより少し早く登校すると、

 教室の扉の前に、黒川が立っていた。


 そして、こはるを見るなり、真剣な目で言った。


「逃げんの、やめろ。……ちゃんと話そう」

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