第6話 気づいてしまったこの気持ち

金曜日の放課後。


 教室の窓際から見える空は、夕方の光にほんのり染まっていた。

 オレンジともピンクともつかない、春の終わりのやわらかい色。


 こはるは、いつものように隣の席でノートを広げていた。


「……ここの式、展開できてない。ほら、また符号」


「えっ、あ、本当だ……ありがとう」


「何回目だよ、これ」


「うぅ……黒川先生、厳しい……」


「厳しくしなきゃ覚えないだろ」


 黒川はぶっきらぼうな口調のまま、こはるのノートに赤ペンで印をつけた。


 その手元を見つめながら、こはるはふと思った。


(……なんでこんなに、気になるんだろう)


 目が合うだけで、胸が跳ねる。

 笑ってくれた日は、帰り道ずっとそのことを思い出してしまう。


 最初は、ただ「ちょっと不思議な人」くらいの印象だった。

 でも今は、違う。


(これって……“好き”ってこと、なのかな)


 そう思った瞬間、どこか胸の奥がざわついた。


(でも……もしそうだとしたら、私はどうしたらいいの?)


 怖い。

 この距離が壊れてしまうのが、怖い。



「なに、ぼーっとして」


 黒川が、不意にこはるの目の前で手を振った。


「あ、あ、ごめん! ちょっと考えごとしてて……」


「珍しく黙ってるから、寝たかと思った」


「ね、寝てないよっ!」


「そ。……でも、疲れてんなら帰れよ。無理すんな」


「……黒川くん」


 やさしい。

 声も目線も、ぶっきらぼうな言葉の裏に、いつもちゃんと優しさがある。


(……やっぱり、好きなんだ)


(ちゃんと、私……黒川くんのことが、好きになってる)



 その夜、こはるは布団の中でずっと悩んでいた。


 この気持ちを言葉にしたら、何かが変わってしまう気がして。

 でも、隠しておくのも苦しくて。


 LINEを開いては閉じて、メモアプリに「ありがとう」の下書きを何度も書いては消して、

 気づけば午前1時になっていた。



 翌朝。


 土曜登校日の短縮授業のあと、黒川はいつものように教室を出ていこうとしていた。

 その背中に、こはるは思わず声をかけた。


「黒川くん!」


 彼が振り返る。

 一瞬の沈黙のあと、こはるは——


「……あの、また、勉強見てもらってもいい?」


「……別にいいけど」


「ありがとう。……今日じゃなくていいんだけど、また……ね」


 彼は、こくんと小さくうなずいた。


 それだけの会話。


 でも、胸が少しだけ軽くなった。



 きっとまだ、何も伝えられない。

 でも、焦らなくていい。

 この関係を少しずつ、大事にしていけば。


(私は、いつかちゃんと、自分の気持ちを言えるようになる)

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