第5話 黒川くんが、笑った日
水曜日。6時間目、LHR(ロングホームルーム)。
クラス全体がざわついていた。
「うわ〜、行き先どこがいい?」
「遠足っていうか、ほぼレクリエーションだよね」
来月に予定されている校外学習の行き先を、班ごとで話し合う時間だった。
こはるの班には、たまたま黒川くんも入っていた。
(……話し合い、苦手そう)
案の定、彼はノートの端に何かを描いていた。
発言もせず、完全に空気と化している。
「えっと〜、うちの班は……どうする? 遊園地とか?」
「遊園地、混むし高いよ〜。水族館とか、どう?」
「うーん……」
女子たちがわいわい盛り上がる中、こはるは思いきって口を開いた。
「黒川くんは……どこがいい?」
周囲の視線が一気に集まる。
黒川はペンを止めて、目を上げた。
「……行くなら、人少ないとこ。人混み、嫌い」
「そ、そうだよね。たしかに……」
「え〜〜! 黒川くんって、遊園地とか好きそうなのに〜」
誰かが軽く茶化すように言うと、彼は無表情で言い返した。
「人の多いとこで、無理して騒ぐのってバカらしい」
ぴしゃりとした口調に、空気が少し凍る。
けど、次の瞬間——
「……でも、パンダは好き」
その一言で、場がふわっと緩んだ。
「パンダ!? 意外〜〜!!」
「マジで!? 見た目とギャップありすぎ!」
「……うるさい」
黒川は顔をそむけるが、その頬がほんの少しだけ赤くなっていた。
こはるがそっと見ると——
彼が、ほんの少しだけ、口元を緩めて笑っていた。
(……今、笑った?)
ほんの一瞬のことだった。
でもその笑顔は、これまで見た彼のどんな表情よりも、
ずっとあたたかくて、自然で、胸がきゅっとなるものだった。
⸻
放課後、帰り支度をしながら、こはるは隣の彼に声をかけた。
「……さっき、笑ってたね」
「は? 笑ってねぇし」
「笑ってたよ。パンダのとこ」
「笑ってねぇって」
「むしろ、かわいかった」
「……」
黒川の動きがぴたりと止まる。
「かわい……って、お前……」
「ふふ、ごめんごめん。からかっただけ」
「……調子乗んな」
彼は顔をそむけて、カバンのチャックを強めに閉めた。
でも、耳のあたりがほんのり赤くて、
それがなんだか、嬉しかった。
⸻
その夜、家に帰ったこはるは、自室のベッドでスマホを見つめながら思った。
(黒川くんって……もっとクールで冷たい人だと思ってた)
(でも、違う。どこか不器用で、たまに照れて、ちゃんと笑う)
(……あれって、私だけに見せてくれたのかな)
胸の奥が、じわっと熱くなる。
名前のつかない感情が、少しずつ、膨らみ始めていた。
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