とうふとみず

藤泉都理

とうふとみず




 大豆を水洗いする。

 大豆を水に漬けて、たっぷりと水を吸わせる。

 浸した大豆を潰す。

 潰した大豆と水を鍋に入れて煮る。

 煮た大豆を磨砕し、豆乳とおからに分離する。

 豆腐を凝固、くずし、圧搾、成型、水さらしして冷却したものが、もめん豆腐になる。

 豆腐をそのまま凝固、成型、水さらしして冷却したものが、きぬごし豆腐になる。




 全体の八割から九割が水である豆腐。

 時折、無性にその豆腐を作りたくなる理由は、単純に豆腐が好きだからだと思っていた。




 豆腐になりたい。

 彼が言った。

 この世のあらゆる存在の中で何よりも、水が、綺麗だと、美味しそうだと、豊かだと見せる事ができる存在になりたい。


 ちゃぷんちゃぷん。

 ちゃぷんちゃぷん。

 ちゃぷんちゃぷん。


 半分ほど水が入った木桶の中で、豆腐が沈んでいる。

 水の中で、とても、とても心地よさそうにたゆたっている。

 まるで水以外に満たしてくれる存在は居ないのだと言っているようだ。


 豆腐になりたい。

 彼は穏やかに言った。

 彼は静かに言った。

 彼は囁いた。

 とても、とても心地よい眠りに誘うような声音で言った。


 行った事があるだろうか。

 彼とあの場所に、

 木陰が生い茂り、拳よりも大きな石が乱雑に積み重なり、透明な水が緩やかに流れる川に足首より下だけを浸した。

 私だけこの場所に、

 彼は。どうしていたのだろうか。

 彼は確か、私の傍に立っていたような気がする。

 木桶を持っていた。

 木桶の中には豆腐が入っていた。

 もめん豆腐ときぬごし豆腐がそれぞれひとつずつ。


 食べるためだったのか。

 届けるためだったのか。

 見せるためだったのか。


 そもそも。

 そもそもこの世界で一番静かで清らかでほんのり温かくも冷たい不思議な空間は、光景は、本当に存在していたのか体験したものなのか。

 彼は。

 彼は本当に存在していたのか。


 ちゃぷんちゃぷん。

 ちゃぷんちゃぷん。

 ちゃぷんちゃぷん。


 水が張った木桶の中に沈む大豆を眺める。

 たっぷりと、水を吸っている大豆を眺める。


 木桶を動かしていないのに、

 木桶は動いていないのに、

 風も大地も動いていないのに、


 ちゃぷんちゃぷん。

 ちゃぷんちゃぷん。

 ちゃぷんちゃぷん。


 水が動く。

 大豆が動く。

 水が動いたから大豆が動いたのか。

 大豆が動いたから水が動いたのか。


 ちゃぷんちゃぷん。

 ちゃぷんちゃぷん。

 ちゃぷんちゃぷん。


 豆腐になりたい。

 彼の声がする。

 水の音がする。











(2025.7.27)




(豆腐の参考文献 : 御豆腐調製處 楽粹)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とうふとみず 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ