第二十話:土の子の姫
寺浦は姫と一達を見比べながら、ゆっくりと話を続けた。
「土の子は、ちょっと昔までこの辺りで祀られていた山の神様だったらしい」
「ちょっと昔、まで?」
ミヒロが首を傾げる。
その言い方ではまるで、今は祀られていないかのようだ。
「察しが良いな。少し話は逸れるが、この東黒川村にはお寺がないってのは知ってるか? 明治辺りだったかな。廃仏運動があったってんで、その時からこの村は日本で唯一お寺さんがない村だって少し有名なんだよ」
その話を知っているのはつちのこ館で熱心に資料を見ていた一だけである。
ミヒロとレジ子はそんな話を聞いて、姫に何度か視線を送った。
ヒラケンは話を聞かずに、そんな姫の隣で黙って彼女に寄り添っている。
「お寺さんがない、つまりこの村には神を信じる心……信仰って奴が薄い。本来怪異や神様なんかの力の源ってのは、それを信じる心だ。この村が神を信じなくなってから百年以上。そりゃ……神様の力も弱くなるってもんよ」
「弱くなる……」
レジ子は、姫と温泉に一緒に入った時に感じた違和感は気のせいではなかったのかもしれないと感じた。
そもそも、神様の姿がこんな無邪気で小さな女の子だというのが、少し変な話ではある。
「コレは俺の見解だが、その女の子は……神である土の子が力を失った末にギリギリ存在を保つ為の姿。そんな所か」
「姫が……神」
ミヒロは姫の事を幽霊か何か、せいぜいその程度だと思っていた。
それが突然神様なんて言われて、思っていたことに比べてスケールが大きすぎる。
地縛霊だったら家に連れて行くのは無理だとか、そんなレベルの話ではなかった。
「力が弱くなれば、神様は人々を守れなくなる。……もしくは神の怒りに触れて、滅ぼされる。西野原村がなくなった三年前の土砂崩れの原因が土の子にあるっていう話はここだ」
「あんたは姫があの村を滅ぼしたって、そう言いたいのか?」
ミヒロが食ってかかると、寺浦は両手を上げて首を横に振る。
「まぁ、確かに……土の子の祟りで西野原村が無くなった。そんな想定をしていなかった訳じゃない。が、俺も偉そうに話してるが土の子について全てを知ってる訳じゃない。可能性の一つとして考えていたし、その結果宇田川が坊主達に迷惑をかけた。……けど、今はそうは思ってない」
「どういう意味だ」
「祟りで土砂崩れを起こせるような力が残っているなら、宇田川はもう死んでる。けど、逆だったみたいだな」
逆、という言葉にミヒロ達は首を傾げた。寺浦は、更にこう続ける。
「土の子が──その子が、山の守護神として人々を守っていた。けれど、信仰を失い、力を失った神様は、村を守る事が出来なかった。……だってよ、優しそうな神様じゃないか」
寺浦は姫を見ながらそう言った。
姫は、窓の外を見ている。
その表情は、何かを心配しているようにも見えた。
「姫は……ただ、ツチノコを探してるだけの、女の子だ。別に、神様とか、俺はどうでも良い」
「ミー君……」
「そ、そうっすよ。ただ、姫はツチノコがいるって皆に信じて貰いたくて──」
「さっきも言ったが、何かを信じる心が怪異──まぁ、神様の力の源だ。ここまで弱ってしまった土の子が、何かを信じる心を求めて、ツチノコを探していたんだろうな」
姫を見る。
小学生の女の子にしか見えないその小さな身体。
彼女の右腕の肘から先は、まるで泥人形のように崩れてしまっていた。
普通の女の子ではない。
そんな事は分かっている。でも、それが幽霊だとか、神様だとか、そんな事は、どうでも良い。
「どうしたら良いんすか」
「あ? 何がだ?」
「姫は、俺達の友達なんですよ」
一はハッキリと、寺浦の目を真っ直ぐに見てそう言う。
「別に、姫の正体とか俺達はどうでも良いんです。姫が、今困ってるなら、俺達は
一の言葉にミヒロ達も強く頷いた。
寺浦は少し驚いたような表情を見せる。この四人は本気で神様とかどうでも良いと思っているのだと、感じた。
「なら、そうだな──」
寺浦が口を開こうとした次の瞬間──
「姫!?」
「──助けに行かなきゃ。こんな雨の中で、川の掃除なんて、危ないよ……!」
──突然、姫が立ち上がって部屋の外に飛び出す。
そのまま宿の玄関を開けて、彼女は更に強くなった雨の下で走り出した。
本当に突然の事で、その場にいた誰も反応出来ないで。
「……え?」
一番初めに口を開いたのが、いつも全てがゆっくりなレジ子であったくらいには、全員が一体何が起きたのか理解するのに時間が掛かったのである。
「姫!? なんで!?」
「お、おい! 追い掛けるぞ!」
数回瞬きをしてから、一とミヒロが弾かれるように立ち上がった。レジ子と一緒に、姫を追い掛ける。
「え……姫?」
ヒラケンは、今さっきまで隣にいた、姫がいた筈の場所を、虚空を見詰めていた。
「……宇田川、分かったろ。あの子は──土の子は、祟りなんて起こす神様じゃない」
「……説教なのは分かったけど、今こんな話してる場合じゃないわよ」
「俺も驚いてるんだよ。……捕まえに行くぞ。あの子が本当に消える事になったりしたら、この村は終わりだ。それこそ、三年前と同じ事が起きる」
立ち上がり、車の鍵を持つ寺浦。
「おい坊主。着いてくるか?」
「ぇ……ぁ、あぁ。行く」
状況が理解出来ていない、固まったままのヒラケンは寺浦に連れられて車に乗り込む。
「雨の中で川の掃除、とか言ってたか。なら、自然公園の川だな」
車のワイパーが殆ど意味を為さない程の、昨日よりも酷い雨。車に乗り込んだ寺浦は、宇田川がヒラケンを乗せたのを確認すると、慎重に──けれど出来るだけ早く自然公園への道へと進んだ。
☆ ☆ ☆
姫を追いかけて、走る。
一達は、雨で濡れた地面に着いた姫の小さな足跡を頼りに自然公園へと向かっていた。
「姫ちゃん……なんで」
「分からん」
「助けなきゃって言ってたよな……。さっきのさ、ツチノコの事信じてなかった村の人達の事じゃないか?」
「は? あんな奴ら放っておけよ……」
ミヒロの気持ちは分かるが、一は首を横に振る。
「神様なんだろ、姫ってさ」
「それがなんだ。関係あるか? 友達だろ? 幽霊だろうが神だろうがなんだろうが──」
「関係あるんだよ……」
進むのは辞めない。
けれど、一はミヒロの言葉を遮った。
「一……?」
「関係ない事はない。そら、俺達にとっては友達だよ。それ以外の何者でもない」
「だったら」
「でも姫は、この山の神様なんだ」
関係ない。
姫がなんであろうが、友達だから、関係ない。
そうやって、考えないようにしていたのかもしれない。逃げていたのだろう。
「だから……なんだよ」
「関係ないなんて、言えないんだよ。神様は。姫は、優しくて、この村の神様なんだから。神様として、村の人を守らなきゃいけないんだろうから。俺達には何も分からないけど、神様には神様の……大切な物ってのがあるんだよ」
後悔した。
姫の立場を考えていなかったのは、自分達さえ良ければ良いと思っていたのと変わらない。
姫と楽しい時間を過ごせれば良いと、そんな身勝手な考えで、姫の大切な物を見ようとしていなかったのだから。
「私達……姫ちゃんの為に、なんて考えられてなかったんだよね。多分」
「……っ」
レジ子の言葉に、ミヒロは唇を噛む。
「俺達が姫をさ、普通の子として扱いたくて。姫の事を見ようとしてなかった。……だからさ、姫がなんだろうが関係ないなんて言わずによ」
自然公園の入り口に辿り着いた。
足跡は、その奥に向かっている。
思えば姫と初めて出会ったのはこの場所だった。
ミヒロも、前を向く。
「神様の姫と向き合ってさ、ちゃんと友達になってさ! それからどうするのかを考えようぜ!」
一歩踏み出して。
一達はその先へと進んだ。
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