第二十一話:ツチノコと土の子

 雨が山を削って、土砂が川を半分堰き止めていた。



「嘘だろおい……」

 一昨日に皆で釣りをしていた綺麗な川が、今は増水で流れ込んできた土で溢れかえっている。


 薙ぎ倒された木や流れ込んできた土砂の量を見て、自然災害の恐ろしさに身が震えた。



「アイツら、川に流されてるんじゃないだろうな。何も見えん」

 既に日は沈んでいて、更に強い雨で視界が悪い。


「危ないなここ……。姫ー! ここにいるのかー!」

 川は今も増水していて、この場所が危険な事くらいは三人にも分かる。



「二人共、あそこ……!」

 レジ子がスマホのライトで、河岸だった場所を照らした。


 二人が視線をその先に向けると、一匹の小さなツチノコが立っている。



「ツチノコ!?」

「いやでもよ、今はそれどころじゃ──ん!?」

「ツチノコの近く……!」

 レジ子はそのツチノコの奥を指差して声を上げた。


 そこには村人の男二人と、小さな女の子が倒れている。



「姫!」

 一が走った。ミヒロ達も追い掛ける。



「ひ……め……?」

 けれど、途中で一が止まった。


 追いついた二人も、一と同じく足が固まる。



「姫ちゃん……身体、が」

 彼女の手足は、右腕と同じく土に混じってなくなっていた。


 今にもその身体が全て土になって消えてしまいそうな、か細い身体。

 そんな姫は目を開いて、一の方を向く。



 一は、ゆっくりと彼女に近付いた。ミヒロとレジ子はその場で固まっている。



「……お前なー、こんな無理して。ダメだろー?」

 そっと手を伸ばして、体を起こそうとした。


 触れた所から、彼女の身体は土になって崩れる。一は触れるのを辞めた。



「一……お兄さん?」

 虚ろな目は、一の目と合うことなく虚空へと向けられる。


 けれど、ゆっくりと首を動かして、一がいる方を向いて、彼女はゆっくりと口を開いた。



「私ね……この山の、神様なんだって」

「……あぁ。凄いな。神様ってよー、本当に、凄いや。俺、神様の友達なんて、初めてだぜ」

 握る手もない。頭を撫でてやる事も出来ない。


 何も出来ない手が、強く地面の土を握る。



「……全然ね、意味……分からなかったんだけど。けど、町の人達、守らなきゃって」

「偉いな、姫。偉い。神様だもんな。この二人、助けてくれたんだな」

 姫の隣に倒れている男二人に視線を移すと、二人の身体は全身泥まみれだった。



 どうやったのかは分からない。

 けれど、川の増水に巻き込まれた二人を、姫は助けたのだろう。


 神様だから。

 この山の──村の人達が大好きな、優しい神様だから。



「……うん。でもね、分かっちゃうとね……なんだか、寂しくて」

「姫……」

「私がツチノコを探してたのは……ツチノコを皆に信じて欲しいって思ってたのは、本当は……私の事を、信じて欲しいって思ってたからなのかなって」

 信仰を失って、力を失った神。


 土の子は、自らの力を取り戻す為に、ツチノコという未確認生物を信じる心を村の人々に与えようとした。



「そんな事はない」

 そんな訳がない。


「姫、ツチノコの事大好きだろ」

 ツチノコを探している彼女の顔を思い出して、一はハッキリと口にする。



「姫がツチノコを探してたのは、そんな理由じゃない。それは、姫が姫だからだ。姫は神様だけど、その前に姫なんだよ。もし本当にツチノコを皆が信じるようになったから神様の力が強くなるんだとしても、それは姫がツチノコを好きな事とは関係ない! だって、姫は……ツチノコの事あんなに楽しそうに探してただろ?」

 ツチノコを探して、ミヒロ見たいな無愛想な男とも仲良くなって、釣りをしたり、川で遊んだり、カレーを食べたり、ゲームをしたり。



 姫が神様である事は受け止めても、姫が姫である事を否定する事はしない。出来ない。



「だからさ、また一緒にツチノコ探そうぜ」

「一お兄さん……」

「姫……!」

「姫ちゃん……!」

 ミヒロとレジ子が、彼女の側に座り込んだ。


 この強い雨が、姫を土に混ぜて、連れていってしまう。嫌でもそんな現実が、目に焼き付けられた。



「皆……私も、また……ツチノコ、探したかった」

 か細く漏れる声。



「信じてもらえないの、寂しいの……分かっちゃったから」

 身体が崩れていく。



「私も、ツチノコもね……寂しいの」

 信仰を失い、ツチノコへの関心もなくなり。



 山の神、土の子は、力を失った。



「……ねぇ、皆は──」

「姫……」

 遅れて、ヒラケンが寺浦達に連れられてやってくる。



 ヒラケンが目にしたのは、もうその殆どが土に混じって、泥だらけのツチノコTシャツにかろうじて顔のような物が付いているだけの存在だった。



「──皆は、ツチノコの事……私の事、信じてくれる?」

「当たり前だろ」

 ミヒロが言う。



「良かった。……また、ツチノコ探したかったな。ねぇ、皆──」

 崩れた。全てが。



「──ありがとう」

 ツチノコのTシャツだけを残して、姫は消える。



 跡形もなく、土になって、雨に流されて。



「姫……」

 一は泥だらけになったツチノコTシャツを握りしめた。



 どうしたら良かったのだろう。

 何を言ってあげたら良かったのだろう。何をしてあげたら良かったのだろう。



「……土の子は消えた、か。となると東黒川村もまずいかもな」

 後ろで見ていた寺浦は冷静にそう口にして、四人の背後に立った。



「村の二人は俺達に任せろ。お前らは早く山を降りて、出来るなら村を早めに離れた方がいい」

 そう言いながら、寺浦は倒れている村人の様子を診始める。


「いつこの山が崩れるかも分からんぞ。忠告はしたからな」

「姫を、どうしたら取り戻せますか」

 一が聞いた。



 寺浦は目を細める。



「辞めとけ。あんまり怪異に深入りし過ぎると、癖が付いてまた変な事に巻き込まれるぞ」

「友達なんすよ……!!」

 寺浦の肩を掴んで、一は声を上げた。


 ミヒロはそれを後ろで黙って見ている。



「ツチノコをまた探して、見付けるって。約束したんです」

「……後悔しないか?」

「寺浦君」

「ぇ」

「どうなっても後悔しないってなら、方法は教えてやる」

 静止しようとする宇田川を遮って、寺浦は男の容体を見終わるとその内の一人を背負いながら口を開いた。



「さっきも言ったが、神様──怪異の力の源は俺達人間がソレを信じる感情・・だ」

「お寺がなくなっても……姫の力が残ってたのは」

「察しがいいな。……そう、ツチノコだ。少し昔にあったツチノコブーム。アレで、神様の土の子の方も少しだけ力が残されてた。けれど、ツチノコブームが終わりかけて、今こうなってる」

 明治の時代に、この村は寺を失っている。



 そうして信仰を失い、力を失いそうになっていた土の子をかろうじてこの世界に引き留めていたのが怪異──ツチノコ──だった。

 未確認生物、幻の生き物、 UMA、ツチノコを信じる人々の心が、辛うじてこの山の神の力になっていたのだろう。


 それすらも消え、小さな女の子としての形すら保てなくなった土の子は、今完全に消えてしまったように見えた。



「まだ、間に合うんですか……?」

「お前達がツチノコを……土の子を覚えてる間はギリギリ間に合うだろう。けれど、余裕はないぞ。お前らも多分、もうあの子の顔を思い出せない」

 寺浦にそう言われて、四人は姫の顔を思い浮かべる。



「嘘だろ……」

 思い出せない。


 あんなに長い時間、一緒にいた女の子の顔が、つい数時間前まで一緒にツチノコを探していた子供の顔が、思い出せない。



「名前は?」

「なま、え……?」

 あの子はなんて名前だった? あの子はどんな服装だった? あの子はどんな髪型をしていた? どんな顔をしていた? 女の子だった? 男の子だった? 身長は? 話し方は? あの子はなんて言ってた? あの子と何をしていた?


 記憶を掴もうとして、それがすり抜けていった。



「ダメだ……ダメだダメだダメだ!」

 一は崩れ落ちて、頭を抱える。


 このままだと、あの子の事を忘れてしまう気がした。

 土を掴んで、必死に記憶に思い留めようとする。



「怪異ってのはそういう物だ。本来この世界で知覚してはいけない存在。……そのまま忘れてしまった方が、幸せかもしれないぞ」

「忘れてたまるか!!」

 ツチノコのTシャツを握りしめた。



「ほら、マジで二次災害なんて洒落にならん。宿に帰れ」

 少しだけ雨が弱くなる。



 寺浦達は倒れていた二人を村の診療所へ、四人は宿へと歩いた。

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