第8話
いくつか思い出したことがある。
この世界とよく似たあの物語について。
基本的に忙しない普段と異なり、ベッドの上で何もやることがなく暇を持て余していた入院生活のおかげか、原作の流れを順繰りに思い返していたらそこから連鎖的に過去の記憶が誘発したのだ。
「……腕の怪我、だいじょうぶ?」
そう、今ベッドの横の椅子に腰掛けているこの少女についても。
肩までで切り揃えられたセミロングの黒い髪、風属性の高威力の技を即時発動可能という強力な異能、一般的なマイナスイメージから催眠や洗脳系の能力を忌避する他の学生たちとは異なる──ほぼ脊髄反射と言っていいレベルで見せたあの過剰な拒否反応。
そのどれもに該当する人物が記憶の中に一人存在した。
ぼんやりと覚えていた中盤の新しいヒロイン、その実情をようやっと想起することができたわけだ。
「俺は平気だよ、ギプスも早い段階で外れるらしいし。まぁ……治るまで数週間ってとこかな」
「そ、そう」
ジッとこちらの腕を見つめ、明らかな緊張が見てとれる悲痛な面持ちの伊々月。
何かを言おうとして、しかし迷ってを繰り返している。
「……」
そこで俺は黙って待つことにした。
急かすこともなければ、無理やり明るく振舞って話題を提供することもしない。
きっと現状において必要なのは彼女自身の心の整理だろうから。
「……っ」
両膝の上に置かれた手がギュッとスカートの裾を握った。
懊悩の末、どうやら遂に決心がついたのだろう。
こちらを見上げて、何度か視線を右往左往させて──ようやく俺と視線が重なった。
「ごめん、なさい」
そうして出てきたのは捻りのない、真っすぐで真摯な謝罪の言葉であった。
「本当に……ごめんなさい……」
後頭部が見えるほど深く頭を下げた彼女はそのまま静止した。
多感な時期のはずの高校生が同級生に対してここまで重く真面目な謝意を見せるまでに至った過程を僅かながら視野に入れ、とりあえず俺はまだ何も言わない。
ここは一度、伊々月本人の言いたいことを全て吐き出させてしまった方がいいだろう。
「……普段のことも、そうだし。……きみが傷ついたのも、あの時すぐ近くに敵がいたのに油断して捕まった私の責任」
消え入るようなか細い声ながら、決して詰まることなく喋り続けるその様子から、決して誤魔化しはしないという意思を感じる。
これはきっと許しを求める形だけの謝罪ではない。
相手にどんなことを言われたとしてもそれを罰として受け入れ、贖罪をするという意思表示だろう。
──とはいえ、そこまで自罰的になって空気を重くされても今後がやりづらい。
「だから……ごめんなさい」
「……うん」
ひとまず彼女の伝えたかった内容は理解できた。
これといった言い訳がなかった点に関しては彼女の真面目さが窺えるが、顧みた過去がすべて自分の責任だと思い込んでいる状況はいただけない。
「えぇと、まずは顔を上げて」
「……はい」
では、少しずつ解いていこう。
「とりあえず先に一個だけ訂正」
「……?」
きょとんとしている。生真面目さのせいで本当に分かっていない可能性もあるかもしれない。
「この腕の怪我に関しては、伊々月さんに責任はまったく無いよ」
「で、でも……」
「伊々月さんが何かしてもしなくても、結局あの犯行グループは強化合宿の施設を襲ってた。そこからは全部あいつらのせいだろ」
「それは……そうかもしれないけど……」
「あの時きみは一緒に戦ってくれた仲間だ。伊々月さんがいなかったらもっと酷いことになってたかもしれないし……謝られるような事はされてない」
あの時に受けた傷はすべてあの犯罪者集団の攻撃によるものであって、俺自身は彼女から何も被害は被っていない。
伊々月は間違いなくあの場で最善を尽くしてくれていたのだ。
感謝こそすれ『お前のせいで怪我をした』だなんて責任転嫁をするつもりは毛頭ありはしない。
「ラルオット君……」
そんな俺の返答が意外なものだったらしく呆気に取られている──が、ここで終わらせるわけにはいかない。
なるべく今後の障害を取り除いていくためには、彼女との確執もうまい具合に緩和しておかなければ。
もし適当に流してなぁなぁで済ませると後になって悪い意味で効いてきてしまうことだろう。
伊々月結仁が罪だと考えているソレの清算はいまこの場で終わらせるべきだ。
「……まぁでも、話しかけても無視されるのはちょっと寂しかったかな」
「っ!!」
ビクッと少女の肩が跳ねた。忘れていたわけではないにしろ、この流れで普段の行いに対して舵を切られたせいか少なからず狼狽している。
「……ご、ごっ、ごめんなさい……っ」
腕の怪我に関しての弁明で少々ホッとしていた顔から一転、首元に汗を滲ませ俯いてしまった。
なにも落ち込ませたかったわけではないが、なってしまったものはしょうがないのでこのまま続けよう。
とは言えこれ以上責めるつもりもないのだ。
ここでやるべきは彼女が欲しているものを与えること、そして俺自身がこの場でやりたい事をやり抜くことだけである。
「そのっ、なにか……なにか私に、できることがあれば……何でも──」
あっちょっとまって何でもするは禁句です、なんか普通にテンション上がってしまうので。冷静なままでいさせて。
「それならひとつお願いしようかな」
「っ。……う、うん」
また膝上の握り拳に力が入ってしまっている。
ではそんな緊張状態の彼女に向けて、怪我や普段の行いからくる罪悪感を逆手にとってほぼ確実に受けてくれるであろうお願いをしよう。
「それじゃあ──今日分の授業のノート、見せてくれないか?」
そう言って、数秒。
なぜか間が空いた。
「………………へっ?」
聞こえなかったのだろうか。割とハッキリ言ったつもりだったが。てか呆けた顔もかわいいね。
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