第9話
「わるい、入院してて受けてないからちょっと助けてほしくて。ほら、ウチの学園って授業のスピード早いしさ」
「え、えっと……あの、そんなことでいいの? 他に、いろいろ……」
「……? すまん、そう言われても特に……あっ、もしかしてあんまり板書しないタイプ?」
「あっ、いや、ちゃんと書いてる。ノートだよね、ちょっと待って……」
ごそごそとカバンを漁って数冊のノートを取り出してくれた。教科書などとまとめて高校に置き勉する学生が多い中でも、彼女はしっかりと持ち帰るタイプだったらしい。やはり真面目だ。
「ど、どうぞ」
「ありがと。……おぉ、さすが字が綺麗だ。かなり読みやすいよ」
「……そう、かな」
かなり几帳面なタイプなのか板書のついでに忘れないための補足やマーカーの色分けも細かくされていて感心した。雑に書きなぐっている俺の物とは正反対だ。退院したらこれ真似して丁寧に書こ。
「これ明日も使うだろうし、写真だけ撮っていいかな」
「あ、うん」
「さんきゅ。じゃあ失礼して……ぁっ」
意気揚々と取り出したスマホを片手で操作していたところ、撮影する直前に床へ落としてしまった。一応新しめの機種なのだがサイズがデカいため片手だと少し扱いづらいかもしれない。
「悪い伊々月さん、足とか当たってないか?」
「ううん平気。まって、私が拾うから……」
そう言って拾い上げたスマホを俺に手渡し──そのまま両手で弱々しく俺の左手を包み込むように握ってきた。何事。
「い、伊々月さん?」
「……っ」
なにやら考え込むように口を噤んだが、少ししてから顔を上げて俺を見つめた。不安そうな表情をしていて、徐々に手を握る力も強くなってきている。
「もしかしてラルオット君、怪我をした右腕……利き手のほうだったりする?」
「あぁ、まあ……無難に右利きです」
「それだと授業を受けながらノートを書くの大変じゃないかな。ほら、数Ⅰとか公民の先生って黒板を書いたり消したりがすごく多いし……」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
あまり板書が多くない現国などであれば授業終わりに日直が消す前に写真を取れば事足りるものの、黒板の内容が変動しまくる教科に対してはどうしたものかと悩んでいたところだ。
……なんか久しぶりに学生らしい悩みができたな。そういえば俺って今は高校生なんだった。
「私ので良ければノート貸すから。……あっ、ていうか書き写しやるよ」
「いやそこまでして貰っちゃ悪いって。マジで見せてくれるだけでありがたいし」
「でも、利き手じゃない方で書くのは大変でしょ……? 私は全然大変じゃないから」
と、互いに譲らない押し問答が数分続いて。
「えっと……じゃあ、ここは素直に甘えようかな。ありがとな、伊々月さん」
結局はこちらが助かる話なので、俺が頼る方向でその話は終結した。アフターケアが行き届きすぎてて感動。
ただここまでしようとする理由が、それほど伊々月が強い罪悪感に苛まれているからなのであれば、少々話は変わってくる。
「なぁ、帰る前に一ついいか」
「っ? ……う、うん」
そろそろ面会時間のギリギリということで支度を始めた少女を軽く呼び止めた。
──そもそもの話になるが、重い贖罪はいらない。
親密になる必要もなければ、こちらに対する罪の意識も持ち続けてほしくはない。
たったひとつ、彼女の周囲にレイド・ラルオットという人間がいることを許容してくれるだけで、全然まったく構わないのだ。
それがまた距離を置くことであっても最低限のコミュニケーションが取れるのならそれでいい。
極論、嫌ってくれても問題はない。
いち個人が別の誰かを嫌うことはその個人の自由に他ならないから。
それに彼女が俺を嫌う理由には十分な心当たりがある。
「繰り返しになって悪い。でも、この腕の事に関しては本当に伊々月さんのせいじゃないんだ。だからあまり俺の為に時間を削ってくれなくても大丈夫だよ」
これだけは伝えておきたかった。
あの物語のように伊々月結仁が主人公であるあの少年のヒロインの一人になるのであれば、本来盤面にいない俺という存在は邪魔以外の何物でもない。
だからせめて彼女の行動を制限するような枷にはならないよう配慮して立ち回らなければ、俺としても今後が怖いのだ。
「……うん、わかった。……それじゃ、また明日」
小さく頷き、そのまま別れの挨拶をして伊々月は帰っていった。
なんとか理解してくれたようで安心した。
これで中盤の展開が拗れる要因が一つ減らせたと思いたい。
「…………伊々月結仁、ね」
ドサッとベッドに寝転がり、改めて思考に耽る。
──この入院生活中、原作における伊々月のこともいくつか思い出せた。
まず原作における序盤のメインヒロインは主に三人存在する。
ツンデレ皇女ことアリア・イフリーティア。
近いうちに邂逅するであろう、他学園から移籍してくる二人目の少女。
そしてこれまた面識がまだなく、我が学園の強さランキング的なやつの序列一位であり、そろそろ練習試合で映司に一泡吹かせるであろう一つ上の先輩の、計三人だ。
最初の二人と映司で三人のチームを組み、指導役として序列一位が監督しながら一年目の大会を勝ち抜いていく、といった流れで進んでいき──中盤、ヒロインが二人増えることになる。
伊々月結仁ともう一人。
レイド以外に原作で明確に“洗脳”という能力を唯一行使する、敵から味方へ寝返るタイプのヒロインである。
中盤は主人公の映司をクッションにしながら、その二人が確執と衝突の果てに友情を育んでいく物語が中核となり──それで思い出したのが伊々月の過去だった。
こちらの世界へ来たばかりの頃に図書館で見た、五年前に発生したという催眠異能者による大規模失踪事件。
その事件の被害者には当時初等部だった生徒もいた。
そして伊々月結仁もその中の一人だった、というのが俺の思い出した内容だ。
あの事件の忌まわしい記憶に加えて、個別の異能が発現する時期を折に高校入学でここへ訪れる俺や映司とは異なり、催眠の異能が明確な“悪”として認識されているこの都市で幼いころから過ごしていた影響でトラウマがより強く彼女の中に根付いてしまった。
それが催眠系の異能者である俺をただ嫌うだけでなく、あの戦いの場で反射的に拒絶を見せてしまった真相である。
……俺という個人がただ死ぬほど嫌われているとは考えたくないが。そうだった場合は素直に反省して一週間ほど引きこもり、今一度自分の人間性を顧みよう。
◆
──あれ。
「あ、おはようラルオット君」
「…………伊々月さん?」
「寮に戻るんだよね。荷物持つから一緒に帰ろ」
ようやっと退院する休日の昼頃。
病院を出た出入り口付近には、見覚えのある制服の少女が待ってくれていた。なんでいんの……。
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