第7話 澪の初任務「構文断絶式・試作001」、
了解。では、あの夜の澪が何を見たのか──どれだけ血の通った「語りの殺し方」が必要だったのか、その微細な呼吸や記憶の焦点まで描写に落とし込みます。
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2009年6月25日|東京第八封語区・構文断絶実験記録
雨は止んでいた。だが地面は濡れている。
高架下に並ぶ車両の光が、アスファルトに溶け、澪の頬を青白く染める。
彼女の呼吸は、浅い。
語り遮断レシーバーのノイズキャンセルが不完全で、まだ微かな“言葉の息”が耳の奥をくすぐってくる。
> 「名前のない語りが、最も強い。
> 誰でもない私が、誰でもある君を語る」
少女の唇が震えている。
雨宮澪の視線がそこに吸い込まれていく。
身体は訓練済みでも、“語りに触れる”のは初めてだった。
──膝の内側が重い。
緊張が、骨髄の奥に溜まっているのがわかる。
手の甲に汗が滲む。端末のスクリーンが曇っていく。
「……構文断絶式、最終入力開始」
彼女は口を開いた。
だが、最初の言葉が出てこなかった。
語り鬼の感染文法が、先に音を奪っていた。
少女の眼が澪を貫いた。
それは「見ている」目ではなかった。
見られていたのは、澪の記憶そのものだった。
> 《ねえ、“黙殺課”になるってことはさ。
> いちばん自分を語れないまま、誰かの語りを殺すってことじゃない?》
澪の中で、5年前の記憶が点いた。
父が発症した語りを、誰も黙殺できなかった夜。
台所に立って、構文断絶式を模索した日。
なのに今──手が震えていた。
「……わたしは、あなたを語らない。
語られないわたしが、わたしを語る」
語った。ようやく語った。
その瞬間、周囲の光が1フレーム遅れて反射したように見えた。
語り鬼の唇が止まり、少女の眼が澪から外れた。
だが、少女は泣いていた。
涙ではない。声が──澪の声が、少女の胸から溢れていた。
《わたしは、本当は黙りたかった。
誰かの語りに触れるのが、怖かった。
だから“断絶”なんて、道具にした》
澪は唇を噛んだ。
断絶式が成功したのに、自分の語りが少女に感染していた。
> 「断絶は構文の終端じゃない。
> 誰かの語りが、始まる準備かもしれない──」
その夜、黙殺課は初任務の成功を報告した。
だが報告書には載っていないことがある。
澪は少女を見送りながら、最後にこう呟いた。
> 「……語らないことで、語るって──ほんと、ずるい」
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梅雨明け直前の東京第八封語区。
高架下の湿った空気に、澪の足音が溶けていく。
「……構文断絶式、最終入力開始」
声は震えていた。
語り遮断レシーバーのノイズキャンセルは甘く、“言葉の息”が耳奥をなぞる。
> 「語られない私が、わたしを語る」
その言葉が少女の胸から溢れ、澪の声が──語りとなって感染していた。
断絶は成功していた。なのに、澪自身が語り鬼の種を撒いたのだ。
それ以来、澪は“断つ者”として任務を重ねていた。
構文を殺す。語りを絶つ。それだけに見えて、そのたび、彼女の語りが深まってしまう。
> 「語りを断つには、語りに触れるしかない。
> それってつまり……私が語ってしまうことなんだよ」
解析班には澪型の感染波形が記録されていた。
けれど誰も触れない。触れれば、語りに巻き込まれるからだ。
澪の中で語りが積もっていく。
まるで心の骨髄に、誰にも聞かれない物語が沈殿していくようだった。
> 「もし私の語りが誰かを壊した時。
> その時は……誰かが私を黙殺してくれればいい」
その言葉は、黙殺課の音声記録には載っていない。
だが、彼女はその“語られない祈り”を胸に、今も任務に赴いている。
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澪の中にある戦いの動機は、綺麗な正義ではない。
それは、自身の語りが誰かに感染してしまった罪。
語り鬼になってしまう可能性を残してしまった懺悔。
そして何より──
語られずにいられるために、語りを殺すしかないという宿命。
語らないことで語る。その矛盾を生きる少女の物語は、まだ終わらない。
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