風になる

九月ソナタ

伝説のインディアン・クレージホース

 クレージーホースはインディアンの少年戦士。東部の白人との闘いでは、その恐れ知らずの戦いぶりから「タシュンケ・ウィトコ(クレージーホース)」と呼ばれていた。


 しかし、普段の彼は誰とも目を合わせないほどシャイな、母親思いの少年だった。

 

 その母の咳が春に始まり、夏になっても止まらなかった。どんな儀式をして祈っても、母は弱るばかりなのだった。

 

 部族の長老が言った。

「隣村のブラックショールなら助けられるかもしれない」


 ブラックショールと呼ばれるその女性は薬草の知識を持ち、森の奥で草を集めているという。

「肩に黒いショールを羽織っているから、行けばわかるだろう」

 それを聞いたクレージーホースはすぐに白馬にまたがり、森へと向かった。


 木々の間を進むと、小さな草原が開けた。そこには黒いショールの女性が、しゃがみ込んで、草を選んでいた。黒いショールが風に揺れ、その指先が草の表面をなぞっていた。


 彼は歩み寄り、声をかけた。

「あなたを探していた」


 黒いショールが振り向くと、それは黒い瞳が美しい少女だった。


 クレージーホースは拳を握ったまま、言った。

「母さんの咳が止まらないんだ」


 ブラックショールが彼を見上げた。

「熱はあるの?」

 クレージーホースが頷いた。


「いつから」

「四月から」


「症状を教えて」

「息が苦しそうだ。ものが食べられない」

「わかったわ」

 ブラックショールはゆっくり立ち上がった。


「あなたがクレージーホースね。勇敢な戦士だけど、無口な方だと聞いているわ」

 クレージーホースが唇を噛んで、視線を落とした。


「あなたは岩みたいな人ね」

 彼女は微笑ほほえみながら、近くの岩を指さした。「口を聞かないなんて」


「……岩じゃない」

「じゃ、何?」

「谷」


「あの深い谷のこと?」

「誰も来なくなった谷」


 彼女は彼をまっすぐ見つめた。

「あなたは、静かな谷が好きなのね」

「いいや。……おれの谷には、風が通らない」

 

 この人、ずっとひとりだったんだわ、と少女の胸が痛んだ。

 

 彼女は、革袋から乾燥した薬草を取り出した。

「この草を煎じて、お母さんに。一日三回、飲ませてあげて。それから、この葉を枕元に置いて。香りが呼吸を楽にするから」

「ありがとう」


「もっと作っておくから、必要なら、またここに来て」

「じゃ、また」

 彼はそう言うと、白馬を引いて帰って行った。

 

 彼女はその背中をじっと見送っていた。背中に手を置いて、「大丈夫」と言ってあげたい。

 そして、思った。

 私が彼の風になろう。



              了

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風になる 九月ソナタ @sepstar

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